裄は短しタスキは長し

数種類のテーマを軸にその時の気分で書きます

2017-05-17 21:14:47.0 アレックスという女

 P.ルメートル、ルメートル・・・どっかで聞いた名前だな、と思って確かめたらD.ブラウン「天使と悪魔」にあった。ビッグバン理論を世界で初めて提唱者した修道士の名がルメートルだった。 

 さて、「悲しみのイレーヌ」を経て、いよいよ本命の「その女アレックス」である。 

 誘拐事件の被害者の女性は、救出を待たずに自力で脱出した。ところが彼女は警察に何も連絡してこない。追跡中に事故死した誘拐犯の素性を調べていくと、その被害者の女アレックスの驚愕の過去が暴かれていく。犯罪の被害者、あるいは極めて嗜虐性の強い連続殺人犯・・・カミーユたちがたどり着いた真相は・・・絶句、というほかない。 

 被害者、連続殺人犯、そして被害者。アレックスの立ち位置は章ごとに変わる。担当編集者である文藝春秋の永嶋俊一郎氏はこの作品を読んで、東野圭吾の「白夜行」や宮部みゆきの「火車」を連想したと仰っている。確かにミステリーでしか書けない悲しみと感動という点は同感だが、犯行計画が自死で完結する分、アレックスの生きざまは、雪穂や喬子よりはるかに痛ましい。最終章で克明に描かれる、ヴェルーヴェン班による取り調べの過程は圧巻だった。

 

2017-05-08 20:47:47.0 こんな逆転劇もありなのね

 ローマ帝国の衰亡の読み過ぎはとても消耗したし、陽気も良くなって出掛けるのが億劫でなくなったため、久しぶりに図書館に出掛けて書架の間を散策した。

 「熊と踊れ」は下巻しかなかったので、当初の予定通りピエール・ルメートル「悲しみのイレーヌ」を借りた。残虐なシーンとは、あまりお近づきになりたくないはずだが、どういうわけか2年前にピエール・ルメートルが来日した時のインタビュー記事をスクラップしてあった。気にかかっていた証拠だ。

 「読者の確信が揺らぐようなショックを与えたい。波もなくて、読み終えてスムーズにベッドに入ることができる小説が、出来がいいと言えますか?」

  ルメートル氏はこんなことをおっしゃっていたので、そうか、そうですか、では揺るがしていただきましょう、と読み始めたのだが、中盤を過ぎてもちっとも揺らぐ気配がない。どうなるんだ?と思いながら読んでいたら、なるほど大きく揺さぶりをかけられ「え!こういうこと?」と驚愕した。

 

 ただし意外なことが一つ。GW中の昼間に読んでいたので、就寝には全く影響を及ぼさなかった。

 

2017-04-30 20:16:09.0 皇帝の橋

(あぁ、また画像が巨大化してそまった・・・) 

 

ご無沙汰しております。

 塩野七生「ローマ人の物語Ⅻ・迷走する帝国」の後半を総括するのは難儀なので、今回は「皇帝の橋」だけを取り上げることにした。

 「皇帝の橋」とは、三世紀の皇帝捕囚つまり皇帝ヴァレリアヌスが、ササン朝ペルシャ側に捕らわれ捕虜となったとき、皇帝とともに捕虜となったローマ軍団に、ペルシャ王シャプールが強制労働として課したインフラ工事によって建設された橋の一つである。建設された3本(どうでもいいが、橋の数え方は1本、2本でいいのだろうか?)のうち2本は度重なる洪水で崩壊してしまったが、残る一本は近代まで機能していたという。この橋がバンディ・カイザル、つまり「皇帝の橋」である。

 橋、と単純に書いたが、実際は「橋」と「水道橋」と「ダム」の機能を兼ね備えており、全長550メートル、遺跡となった橋脚41本のうち35本はなんと建設当時のオリジナル。シュスタールという街の郊外にあるそうだが、たぶん今は見に行けないところなのだろう。

 たとえ敵の利になろうとも、ローマの名に恥じない本格的で堅固なものを建ててやろうではないか、このようにでも考えなければやれなかったのではないか、身体の自由は奪えても、精神の自由までは奪うことはできない。そして、精神の自由が誰にも奪うことができないのは、それが自尊心に支えられている場合である。ローマの将兵たちは、自尊心の維持のために建設工事に従事したのではないか。塩野さんはこう述べている。

 度重なる洪水にも負けず、建ち続けること1700年。大した矜持である。この橋、現代の専門家が見ても、河底の活用方法、堅牢化のための工事、橋脚工事の的確さ、水の堰き止めと流出システムの合理性など、どれを取っても驚嘆に値するものだという。

 

2017-03-26 21:38:36.0 自分の自虐性を疑いつつ読む

 「ローマ人の物語Ⅻ・迷走する帝国」は、正直読んでいてしんどい。 

 帝国はフラヴィウス朝のあと、五賢帝時代をすっ飛ばしてカラカラ帝の治世に突入し、北方の蛮族侵入と非友好的なオリエントの新王国の台頭に手一杯となったローマは、度重なる暗殺と登位で皇帝が入れ替わる時代に入っている。美味しいところを端折ってローマ帝国の危機、混乱、迷走ぶりだけを読むことを楽しむ、というのがそもそも無理な話で、ひたすら「ここでやめるってのもね」という気持ちで読んでいる。 

 ただ、思い返せば第二次安倍政権発足前、日本も首相が何人も、辞職と就任で入れ替わった。考えてみれば交代劇で命を落とすか否か、以外はたいして違わなかったのかもしれない。 

 庶民としてトップの無能さを上から目線で批判しながら読むのは簡単だ。でもそれをやると、行間から歴代の皇帝たちの「じゃあ、お前やってみろよ!」 という悲痛な叫びが聞こえてくることもあり、「そうよね、頑張っている割に、効果上がんないよね」と、ついつい愚痴の聞き役のような合いの手を入れている自分を苦笑しながら読み進めている。

 

2017-03-11 21:21:30.0 甘いんだか辛いんだか

(帯の裏表紙部分)

 

 「ローマ人の物語Ⅷ・危機と克服」の後半は、フラヴィウス朝のヴェスパシアヌス帝、ティトゥス帝、ドミティアヌス帝が登場する。陰惨な内乱を終結させ、帝国の基盤を再度強化したヴェスパシアヌス帝。その前半生は父の補佐役として、登位からは度重なる自然災害への対処に、文字通り粉骨砕身したティトゥス帝。帝国の安全保障の要であり、ゆえに後世の安全保障の代名詞となるリメス(リメス・ゲルマニクス)の建設に着手したドミティアヌス帝。

 3人の皇帝の他にも、ヴェスパシアヌス帝の登位を全面的に支えたムキアヌス。(この方はまるで、「帝王の娘スベクヒャン」の衛士佐平ヘ・ネスクのようだ)「ユダヤ戦記」の著者ヨセフス・フラヴィウス。「インスティトゥーティオ・オラトリア」を著し、帝国の教育学体系を作ったクィンティリアヌスなど印象的な人材がたくさん登場する。

 ところで塩野さんはヴェスパシアヌス帝を一言で言うと「健全な常識人」だと評している。これは良いのだが、その一方で彼の外見の表現が面白い。

「頑丈な体の上に充分に膨らまなかったパンのような顔がのっている、一見しただけでも庶民的な風貌の持ち主だった」

 普通にパン、だけで十分だろうに、わざわざ「充分に膨らまなかった」という表現をつける必要があるんだろうか?

 他にも「治世が短ければ、誰だって善き皇帝でいられる」という同時代のローマ人のティトゥス評とか、ある大変皮肉屋の歴史家は、ドミティアヌス帝の次のネルヴァ帝を「五賢帝に加えられた理由は、トライアヌスを後継者に選んだ一事のみ」と評価していることなど、絶対手放しで褒めないところがバランス感覚の良さなのか、はたまた「持ち上げて落とす」評価が好きなだけだよね、と疑いたくなる文章が随所に登場する。