裄は短しタスキは長し

数種類のテーマを軸にその時の気分で書きます

2020/11/10 06:20「湖の男」A.インドリダソン

 韓ドラ「秘密の森」の放映が終わった。 

で、次に何を読むものは決めていた通り、A.インドリダソン「湖の男」にしたが、実は手に取るまで勇気が要った。 

 これまでのインドリダソンの作品は、感動もしたが、とにかく読むのが苦しかった。主人公のエーレンデュルの私生活は殺伐としているし、娘のエヴァ・リンドも深刻な薬物中毒。で、事件の背景には恐ろしく濃密な人間関係があって、必ず暴力シーンの描写が怒涛のごとく展開する。必ず読み終わった時に、本当に精神的に参ってしまうのだ。 

緑衣の女」は特に酷かった。ゆえに手を出しにくい。体調が悪い時にインドリダソンを読むのは禁忌だ。案外トラウマになる。特に今回のようにブランクが長ければなおのことだ。 

 今回も途中で呼吸を整えながら休み休み読むことになるだろうと腹を決めて本を開いたが、事件関係者のDVの描写と、娘のエヴァ・リンドのやさぐれた描写がほとんど登場しないので、読んでいて具合が悪くなるようなことにはならずに、「湖の男」は意外にサクサク読むことができ、結果として最後まで一気に読んでしまった。 

 湖底から水が失われつつあると言われているクレイヴァルヴァトン湖の干上がった湖底から白骨死体が見つかった。まだ水があったころに遺体を捨てたものと思われるが、遺骨にはは旧ソ連製の盗聴器がくくりつけられていた。男の身元の手掛かりが乏しい中、エーレンデュルたちは失踪者のリストやロシア大使館、アメリカ大使館、ドイツ大使館などの外交筋を当たって被害者の身元を調べ始めるが、その「外交筋」なるものの硬い口と高い敷居に阻まれて、なかなか捜査が進まない。 

 エーレンデュル達の苦闘と並行して、冷戦真っただ中にアイスランドから東ドイツのライプツィヒに留学した青年の回想が語られていく。登場人物たちが「おかしな時代だった」と口をそろえて言うソ連共産党体制下の東欧。市民がいかに厳重な監視下に置かれていたか、当局はどうやって反対勢力を摘発していたのか。ここまでくれば当然スパイ容疑と自由思想の弾圧、そして摘発後には当然のことだが、ものすごい拷問のシーンとか出てきたらどうしよう?と悩んでいたが、意外にそこは流して書いてあって、安堵した。

 ただし、だからと言って、ぬるいファンタジーで恐怖を緩和してあるのか、というと決してそうではない。 

中学の地理の時間に西のEC、東のコメコンと授業で習っていた頃、東欧諸国はソビエトの傘下でそれなりにまとまっていたのだと思っていたら、じつはその傘の内側にはとんでもなく物騒なものがぶら下がっていたことを知ったのは、ペレストロイカ、ベルリンの壁の崩壊、東欧諸国の民主化という出来事によって、中学の地理の授業で学んだことが最新の「歴史」になってしまった時だった。 

「何を、誰に話すかには、細心の注意が必要なの。」 

「もっと近くをみることだな。」 

読み終われば、このセリフの怖さが理解できる。当局は相互監視とスパイと密告の3点セットで世論をコントロールし、相互に疑いあう社会を作り上げた。誰かを、何かをうかつに信じてはいけない世界。「湖の男」はこっちの怖さを強く感じる作品だ。 

 21世紀、東欧の民主化が少しづつ進む一方、周りを見れば今度は日本の対岸に、「湖の男」の上を行く監視社会が機能する国家が、でんと構えている。先ほどの二つのセリフの意味に敏感にならなければいけない時代の空気を吸って、これから日本もアジアも進むことになるのだろうか。

 

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