裄は短しタスキは長し

数種類のテーマを軸にその時の気分で書きます

2013-04-27 22:14:35.0いっぺんにシリーズが2つも完結するなんて・・・

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 このミス13年版で海堂さんは「東城大学シリーズとバブル期シリーズを簡潔させる」と仰っていたので、「ケルベロスの肖像」を見つけた時は、新作では何が起こるのかとか、シリーズがどんな風に完結するのかよりも、あぁこれで田口先生とも今生の別れなんだわ、と寂しさのほうが先に立っていた。
 ところが、購読する読売新聞は、そう単純に私を名残り惜しさに浸らせてはくれない。(そのいきさつは前回述べた。困ったもんだ)
 本作もにいっ、と笑う笑顔がステキな田口先生の声にならないつぶやきとボヤきが、全編を通して散りばめられていてとにかく楽しい。ただ、愛しの田口先生は最近コン・ゲームに長けてきたようで、本人は否定しているが間違いなく「老獪さに一段と磨きがかかって」きた。もちろん田口先生の魅力が損なわれたわけではないので、私としては問題ない。
 今回も、手ごわい頭でっかちの患者への技ありのクレーム対応、児童虐待見落とし例、認知症のお年寄りの事故死の真相究明と、トラブルが次々と勃発した上、最後にAiセンターのこけら落としと同時に起こった炎上というセンセーショナルなイベントを経て東城大学医学部付属病院は閉院。最後に高階院長が後継者に田口先生を指名して物語は終わる。作品のように、Aiがタンポポの綿毛のごとく、議論の対象から一般常識になっていくことを願っているが、先述のように、その土壌をことごとく汚染しようとする輩が多いのは嘆かわしい。
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 「ケルベロスの肖像」で完結した東城大学付属病院シリーズにとってはエピソード編ともいえるバブル期3部作の完結編「スリジエセンター1991」もこれまた意表をつく結末だった。
蛇足だが、この2作品はあまり時間を開けず、出来れば続けて読むことをお勧めする。ネタバレ防止のため、詳しくは述べないが、よもやモンテカルロのエトワールにあのような未来が待っていようとは、全く想像していなかった。しかも主人公世良雅志のこれまた予想外の決断が、既刊の「極北ラプソディ」の結末につながり大団円をなす。まぁすごい締めくくり方である。
 「ケルベロスの肖像」で高階院長は田口講師に問われて渡海の放逐とスリジエ・ハートセンター創設の阻止に対する後悔を告白しているが、なるほどオレンジ新棟の立ち上げや桐生恭一の招へいやチーム・バチスタの結成などは、その後悔に帰しているのだな、というのが良く分かる。とにかく「スリジエセンター1991」中の若き日の高階講師は徹底的にカッコ悪い。天城先生に対してやることがえげつないうえに、極端な反・拝金主義は、病院運営で常に赤字に悩まされ続ける後の高階院長を思い返すと、なにやら滑稽でもある。また佐伯教授に押し付けられた面倒な仕事を世良に丸投げして「これは便利」と小躍りする場面には思わず笑ってしまった。
 メディカル・エンターテイメントというからには、確かにこのシリーズはエンターテイメントなのだが、読み手は決して底流する「医療は医者をはじめとする医療従事者や厚労省で作るのではなく市民全体も一緒に作るのが理想」という作者のメッセージを見落としてはならないと思う。
さて、海堂先生はこのミス13年版で「完結させるためには同時に新しいシリーズの立ち上げが必須」とも述べておられた。今後も注目していきたいと思う。

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【医療崩壊の序章】スリジエセンター1991(ぱふぅ家のサイバー小物) [ 2015-02-24 20:29:02.6217 ]
鏡「日本の未来がかかっていようが、世界が破減しようが、そんなことは知ったこっちゃねえ。オイラにとって大切なのは目の前の患者のいのちだけだ。」(357ページより)

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