裄は短しタスキは長し

数種類のテーマを軸にその時の気分で書きます

2017-10-13 21:28:38.0 カズオ・イシグロ特集3 「私を離さないで」

(2014年のブログより)

最近、小説を読んで泣かない。

多分、最後に小説を読んで涙を流したのは、カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」だったように思う。

 「わたしを離さないで」は、不思議な小説である。学園恋愛小説であり、ミステリでもある。バイオ系SF小説のようでもあり、間違いなく正統派の文芸作品である。語り口がとても静かで抑制が効いていて、言葉が突き刺さるのではなく胸にひたひたとしみ込んでくる感じ。だから読み終わった直後の涙もまた静かにあふれてきた。

 しかし「わたしたちが孤児だったころ」はあまりに結末が残酷で、涙するどころかショックでなぎ倒され、へたり込んでしまった。さらにブッカー賞受賞作「日の名残り」は、「はてな?」という感じで、すごく感動したという記憶がない。もし誰かにカズオ・イシグロのイチオシを挙げろ、と言われたらやはり「わたしを離さないで」だと思う。

 余談だが、妙高市図書館所蔵の「日の名残り」は、以前私が持ち込んだものである。

2017-10-08 13:19:51.0 カズオ・イシグロ特集2「日の名残り」

 2009年春のことである。

 ブックオフで本を買い取ってもらい、買い取り価格が決まるまで店内を歩き回っていたら、カズオ・イシグロの代表作「日の名残り」を発見、早速購入した。

 カズオ・イシグロは1954年長崎生まれ。60年、5歳の時家族とともに渡英。日本とイギリスの2つの文化を背景にして育つ。ケント大学で英文学を、イーストアングリア大学大学院で創作を学び、ソーシャルワーカーとして働きながら執筆を開始。82年長篇デビュー作「遠い山なみの光」で王立文学協会賞受賞、86年「浮世の画家」でウィットブレッド賞受賞。89年長篇三作目の本書「日の名残り」でブッカー賞受賞。95年「充たされざる者」00年「私たちが孤児だったころ」を発表。05年発表の「わたしを離さないで」は世界的なベストセラーとなった。私も最初に読んだのは「わたしを離さないで」で、なぜかこの作品は当時のこのミス海外編でもランクインしている。次に読んだ「私たちが孤児だったころ」は結末の衝撃の大きさにへたり込みそうになった。派手であざとい表現は一切ない抑制された文体で、すい、すい、と読む者を引き込んでいく。大体、4,5年に1作のペースで作品を発表しているから、新作が近々出るかもしれない。

 ブッカー賞について。イギリスの多国籍企業、ブッカー・マコンネル社が1969年に設立した、その年に出版された最も優れた長篇小説に与えられる、イギリスで最高の権威ある文学賞。最近の候補作には「荊の城」「チャイルド44」などがある。

 さて、イギリス上流階級の使用人といえば、かの有名なジーヴズとハーレクインロマンスのエキストラのような存在しか知らなかった私だが、本書の主人公スティーヴンスはイギリス貴族ダーリントン卿のお屋敷に仕えていた執事で、キャラクターは正反対である。私は彼のユーモア精神のなさと朴念仁ぶりを精緻に描ききった著者のユーモア精神に感嘆してしまった。おそらく、お屋敷勤めをされていた方の中では彼が多数派で、ジーヴズはフィクションの中でのみ成り立つキャラクターなのだと今回初めて理解した。

さて、作中スティーヴンスは「品格」について何度も考察し、結局納得のゆく解答にはいきつかなかった。昨年まで日本では何かと「品格」がもてはやされていたけど、あれは嫌な現象だった。「何々の品格」という本の広告を新聞で見るたび、そしてそれらが書店の売り上げの上位にランクインしたのを知るたびに、何と下品な、と思ったものだ。

自分自身を上品だと思っているからではない。結局それは明確に定義できないし、そもそも天賦の才なのか会得するものか、すら判断できない。ゆえに「品格取得マニュアル」はなんとなく胡散臭い、と切り捨ててしまったのである。

使用人とはいえ、一つ屋根の下に暮らす同居人になるわけだから、(それとも、そう感じるほど小さい家には執事は必要ないのだろうけど)その意味では私だったらスティーヴンスよりジーヴズがいいなぁ、と卑近に考えてしまった。

2017-10-07 21:46:09.0 カズオ・イシグロ特集 その1

 今年のノーベル文学賞はカズオ・イシグロ氏が受賞した。お!と思ったが、以外ではなかった。むしろ村上春樹さんより「妥当だな」と思った。

 これは私の下衆の勘ぐりだが、ノーベル賞の委員会は、日本の村上春樹の受賞への期待に関する日本のフィーバーぶりや、イギリスのブックメーカーのオッズやらに辟易して-そう思っても無理はない、と私個人は思っている-いて、「ハルキにだけは賞を授与してなるものか」という思惑が働いている気がしてならない。

 だから委員会の皆さまは、去年のボブ・ディランのように、授与に対して余りにも謝意が感じられず、自分たちを振り回す人には授与したくない。その一方で、ハルキ・ムラカミには授与したくないが、彼が受賞を逃すたびに不満を募らせるファン心理を懐柔でき、かつ受賞を発表した時に、多くの人-特にハルキストと呼ばれる人たち-が納得できる方、となるとカズオ・イシグロは極めて妥当だったのではないかと推測している。

 

 というわけで、明日からしばらく、今までこのブログとその前身であるモバゲーの日記に掲載した文章のリバイバルをアップする予定です。よろしかったら読んでください。

 

追伸。今日図書館に行ったら、海外文学のい行の棚にぽっかり空きができていました。

2017-09-28 21:11:17.0 ピカレスク

 ゴンクール賞はフランスで最も権威ある文学賞だという。今までの受賞作がどんなものか知らないが、昨年の受賞作P.ルメートル「天国でまた会おう」は中々重厚なピカレスク(悪漢小説)だった。 

 第一次世界大戦の末期、上官のプラデルの企みに気付いてしまい、命を狙われたアルベールと、彼の命を助けたために顔面に重傷を負ったエドゥアール。復員した二人は過酷な境遇に突き落とされるが、ある日エドゥアールはアルベールに壮大な詐欺を持ちかける。生来几帳面だが凡庸で気弱なアルベールは恐怖に怯え、罪の意識に苛まれながらエドゥアールに協力するのだが… 

 読み終わって最初に思ったのが「ピカレスクは徹しすぎると、後味が悪いものだ。」ということ。 

 エドゥアールが絵図を描いた大胆不敵な詐欺は、欲の皮の突っ張った小金持ちから大金を巻き上げるのではなく、戦争で疲弊しきった同胞であるフランス国民全員をターゲットに、お金をだまし取るというもので、おいおい、善良な小市民をカモにするのか?と異議を唱えたくなるが、復員兵である彼らの立場からすれば-戦死者は英雄として称えるが、祖国のために命がけで戦い、着の身着のままで戻った復員兵には異様に冷たい態度をとる-国民全体に復讐することのどこが悪い、ということになるらしい。至極もっともな言い分である。 

 小悪党が、かけらほどの良心-もしくは職業倫理-に従い、大悪党に天誅を下すタイプのピカレスクは沢山読んだ経験があるが、「天国で…」は、悪党や曲者ぞろいの登場人物の一人として好感が持てる者がいない、というかなり珍しい現象を体験する。エドゥアールは退廃的過ぎる。二人の元上官プラデル、エドゥアールの父マルセルと姉マドレーヌ。大悪党から子悪党まで悪党もよりどりみどり。一番善人度が高い(と思われる)アルベールは、あまりのヘタレぶりにイラッとしてくる。 

 あぁそうか、これでもかこれでもかと、えぐりだすように書き連ねた、人間の醜い部分-手近なところで、まずは自分自身-から目をそらしてはいけない、という読者に対する作者の叱咤なのかもね、というのが私の見立てだが、どうだろうか。

 

2017-09-15 22:11:42.0 9月15日 CT検査

 朝食抜き、朝一の予約、風は涼しい、当然血行は良くない。ゆえに今日の私の血管はかなり見えにくかった。造影剤のための穿刺はうまくいかず、看護師さんは手の甲に刺し直した。刺し直しなど何とも思わないので、「よくあることですから平気です」「(手の甲の穿刺は)赤ちゃんみたい(可愛い)ですね」と必死でフォローしたが、かえって彼女をを恐縮させってしまった。ごめんなさいね、である。 

 診察のほうは、毎回「お変わりありませんか?」と「はい」であっけなく終わるのは、いくら経過が順調な証拠でも、余りにも話が弾まないのは申し訳ない気がして、今回は若干準備をした。

 で、今回はいつもの問いに「ええと、50(歳)になりました」と答えたら、先生は取り敢えずウケてくださった。誠に優しい方である。

 これだけでは余りにも不真面目だ、とも思ったので、先日のレディース検診で子宮筋腫が見つかったことや、骨密度が大幅に低下したこと、市民健診で体重や腹囲が増えた話をしたところ、「そうですね。筋腫があるんですよね。」とおっしゃる。通常私の定期的なCT撮影は胴体部分全体を網羅しているので、子宮も映っていたらしい。昨今のお医者様は、自分の守備範囲以外のことについてはよほど深刻なケースでない限り、患者に告知しないようである。

 ともあれ、乳腺、肺、肝臓のいずれにも再発、転移は見られず経過は良好ということで、次回の乳腺エコーと採血、診察の予約をして診療費8870円を支払い病院を後にしたが、前回CTで見つかった脂肪肝らしき肝臓の暗く映った部分についてお尋ねするのをすっかり忘れていた。あーあ、である。