裄は短しタスキは長し

数種類のテーマを軸にその時の気分で書きます

2018-01-20 23:50:11.0 韓国を思う その2 韓国司法のポピュリズム

 「法廷の裁判の前に、人民裁判に負けました」

 韓国最大の法律事務所のシニアパートナーの弁護士が依頼人の財閥会長に、係争を断念し和解と示談を勧めるシーンで、件の弁護士がこう言って会長を説得する。パク・シニャン主演「街の弁護士チョ・ドゥルホ」の中のセリフだ。

 昨年3月に朴槿恵政権が崩壊した時の読売新聞国際部次長、豊浦潤一氏の署名記事に「特に憲法裁について旧知の韓国人政治学者は『刑事事件のように証拠と法理を積み重ねるのではなく、政治的判断で結論を出す、というのが法学者の一致した見解』と述べ、世論に影響されやすい特性を指摘した」とある。

 つまり韓国では憲法裁の案件のように、事件が世間の注目を浴びて世論が盛り上がり、市民が「けしからん!被告を有罪に!」とか「これで有罪は非情ではないか、無罪に」とか街頭デモが起こるような状況は、司法当局の判断に影響を与えるというのだ。マスコミが取り上げないだけかもしれないが、確かに有罪、無罪を主張するデモはニュースで見るが、法改正や法整備を訴えるデモ、というのはニュースで見たことがない。

 私は「大衆迎合主義」(ポピュリズム)という概念を一応知っているし、三権でいえば立法と行政のポピュリズムまでは理解できるが、「司法のポピュリズム」は理解不能だ。民主主義国家であることと法治国家であることのうち、優先されるべきは後者であると思うのだが、韓国国民は「大韓民国は法治国家ではない」と自ら世界にアピールすることは、国益を損なうという意識がないし、法曹界には意識改革の必要性が極めて薄そうだ。街頭デモで自分たちの手で政治を変えることができた、と誇らしく思っていたとしたら、それはとんでもない勘違いである。ならず者国家、とまでは言わないが、法治国家ですらない国との外交は、日本にとって厄介なことこの上なく、隣国でなかったらこっちから国交を断絶したいぐらいだ。

 とはいえ日本では、かつてどんなに特捜部が証拠を固めても、世論が「小沢は罪を認め、真実を話せ」ムードでどれほど盛り上がっても、ついに裁判所は小沢一郎に有罪の判決を下さなかった。それについては多くの人に、内心忸怩たる思いがあったと思う。そのくらい日本の議会制民主主義もまた完璧ではないし、改善するには時間がかかるシステムである。

 ただ、それでも私は韓国をうらやましいとは思わない。

 彼らは自分が被告席に座ることになった時、自分の判決、量刑や執行猶予の有無などが、法律の条文や判例より世間一般の思い込みによって決められることや、自分が参加したデモが原因で、見込み捜査や証拠のねつ造や冤罪を引き起こす可能性を怖いと思わないのだろうか。

 私はデモで短絡的に安っぽい成果を得るより、民主主義の一見回り道に見えるめんどくさい手順に耐える必要がある国に生まれたことを、心から幸運だと思っている。

 

追記:昨年放映されたTVドラマ、「秘密の森」(主演チョ・スンウ)は、韓国の法曹界の諸々の問題点を鋭く指摘している秀作だった。韓国でもこんなドラマが放映されるようになったのね、と大変興味深く拝見した。

興味のある方、日本でオンエアされたらぜひご覧ください。 

2018-01-17 23:08:00.0 韓国を思う その1 日韓合意の撤回には腹が立った

 先日ブログリストで私の更新記事の隣に永島義男上越市議のブログがあり、タイトルから日韓関係に関する内容だったので、興味がわき、拝見した。

 そこで、拝見したブログと、日常生活から私が受ける韓国という国の印象をもとに、できるだけ率直に意見を書きたくなった。

 第一に韓国政府と韓国の政治家は、「政治的決着」の意味を理解しているんだろうか?

 文大統領は「先の合意は国民が納得できないもので間違いであった」と言うが、そもそも「政治的決着」が「国民全体が納得する内容」になるなどあり得ない。賭けてもいいが、たとえ天皇皇后両陛下が韓国に行って土下座して謝罪のお言葉を述べようと、日本側が国庫から100億ドルの拠出をしようと、韓国国民は納得しない。

 理由はただ一つ。旧日本軍は第二次世界大戦当時、朝鮮半島でかなりひどいことをやっちまったことは事実で、やっちまったことはなかったことにできないからだ。

 仮に「国民が納得する内容」が実現したとしよう。一時的に彼らの溜飲は下がるだろうが、こっちだってあちらの反日感情に負けない反韓の嵐が吹き、日本人は彼らが思っているほど淡白でも忘れっぽくもないことを痛感することになる。でもそれじゃ何も進まないし、なんの国益にもならないから、せめて「政治的な決着」ぐらいつけようね、ということだったのではないのだろうか。

 永島先生は「今後も隣の国との付き合い方、日本流では簡単にいかないと思います。」と締めくくっておられるが、では韓国側の対応にどれほどの正当性と妥当性があるのか、考えを述べてみたい。

2018-01-15 22:27:32.0 「ありきたりの痛み」東山彰良

 はじめに

  最近ヘビーユーザーでなくなりつつあるので、カテゴリーのタイトルを変更しました。

 でもって、「図書館ヘビーユーザー」改め「書架の森を行く」ですが、気の利いたタイトル(を毎回ひねり出そうと努力していたんですよ、これでも)を考え出すことに消耗しまったので、今後はタイトルと作者名でアップします。悪しからず。 

 

 というわけで、ここ数年「ついしょうこが好きな作家ランキング」の上位に浮上してきた東山彰良「ありきたりの痛み」。内容は作者の自伝的エッセイと映画とテキーラについての連載、勤務しておられる大学の広報誌、「」の直木賞受賞前後の騒動をつづった日記で構成されている。 

 以前書いたかもしれないが、私の東山彰良デビューは「路傍」だった。読みながら「東山さんとお友達になりたい」と思ったが、本作を読んでそれはかなり無謀な考えだったと悟った。 

 ナチュラルハイ気味の筋金入りの下戸(テキーラなんてとんでもない)で、 

 ゾンビもヘヴィメタルも苦手で、 

 現住所で生まれ育ち、人生のほとんどをこの地で送り、―他のことではともかく―地理的な要因でアイデンティティが危機にさらされたことがない、 

 私はそういう人間だ。全く共通点がない。 

 作品と文章を通してしか存じ上げない私に著者という存在は、あくまでヴァーチャルの存在だ。そしてヴァーチャルなレベル―人気作家と一ファン―のお付き合いが最適だわね、と割り切り、作品を楽しむ。それが一番。 それでも、というかだからこそ、私は東山彰良の文章が大好きである。

 

2018-01-08 21:27:35.0 彼は頭の形が美しくなかったらしい。

 ご無沙汰しております。そして遅まきながら明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 

 図書館で年末年始に読む本を物色したところ、長い休みにこれは必須、ということで、塩野七生「ギリシア人の物語Ⅱ・民主政の成熟と崩壊」を借りた。前巻の読後、ずいぶん時間がたっているので、おさらいのため第Ⅰ巻も借り、ダーッと読みとばしてから本作に着手することにした。 

 

  第Ⅰ巻のラストで、ペルシア王アルタ・クセルクセスが、「来ちゃった 来ちゃったランランラン」とテミストクレスの亡命に狂喜乱舞した後… 

 主役のペリクレスがギリシアの政治の表舞台に登場し、その死をもって退場するまでの33年間と、その後の衆愚政(デマゴジア)を経て覇権都市国家としてのアテネが消滅するまでの26年間、計59年間のエーゲ海の動きが語られる。恥ずかしながら、私は衆愚政はポピュリズムの和訳だと勘違いしていた。勘違いもいいところである。 

 ペリクレスについて情報を一つ。塩野さんは、往年のエッセイ「男の肖像」の第1篇にこのペリクレスを取り上げている。機会があるならば、まずこれを読んでから本編を読むと、作者の執筆意図―あふれんばかりのペリクレス愛―が、より明確になる。 

 かつてユリウス・カエサルの生きざまを書くために、その前後も書かねば、という思いから15冊も本を執筆した塩野さんは、あの時と同様、ペリクレスの生きざまを書きたいがために、このシリーズを書くことになってしまった、いうのが私の推測。先日刊行した第Ⅲ巻の主役はマケドニアのアレクサンドロスらしいが、一番書きたかったのはやはりペリクレスだったのではないか思う。 

 さて、塩野作品を読む時、登場する英雄たちに視点をロックして読むと、現代の政治家が見劣りしてしまい、読むのが辛くなることがある。不世出の英雄とはそんじょそこらにいるものではないのだ。だから、視点をロックするポイントには十分注意し、上から目線とないものねだりはやめて読むことをお勧めする。 

 

 追記:舞台が古代になると塩野さんの筆が冴えるのは、多分毛嫌いしている一神教を加味しないで書けるからだろう。このくらい塩野さんのファンならすぐ察しがつくことだが、ここで疑問が一つ。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教など、一神教の信者の方達は、異教徒と無神論者とアンチ一神教のどれを一番忌み嫌うだろうか?

 

2017-11-24 23:24:33.0 昭和の少女はみなヴェルサイユを目指す

(画像は裏表紙。マリーアントワネットの寝室。)

 

 ディーヴァーを返した後、主人公の恋愛というめんどくさい要素に疲れてしまった私は新しく入った本の書架で妙なものを見つけた。 

 その本は背表紙ではなく、表紙を前面に向けて立てかけてあり、しかも表紙にタイトルの表記がない。ただ、その表紙は「鏡の間」と呼ばれる世界的に有名な部屋-部屋ではなく、回廊と呼ぶのが正しいらしい-の全景で、つまりタイトルをわざわざ表記しなくてもこれが「ヴェルサイユ宮殿」の写真集であることが一目瞭然、というわけだ。

 昭和の少女漫画の名作、と言えば、何といっても「ヴェルサイユのばら」(略してベルばら)である。

  私はかなりベルばらにハマった一人で、連載終了からずいぶん経ってから、岩波文庫のツヴァイク著「マリーアントワネット」も読んだ。だから舞台であるヴェルサイユ宮殿にも並々ならぬ興味があり、今までも雑誌の特集などを見つければ必ず目を通していたので、ここぞとばかりに手を伸ばした。

 序文によれば、ヴェルサイユ宮殿には公式カメラマンと呼ばれる、宮殿内のどこにでも入ることを許可された方が4人だけいて、今回の写真集は彼らが撮影した映像をもとに編集されている。だから、一般公開している絢爛豪華なエリアはより絢爛豪華に、そうではなくすっかりさびれてしまった観のある部屋もまた趣深くフィルムに収めているところが面白い。

 各頁の写真の下には、かなり詳しい注釈がついていて、誰が使っていた部屋だとか、誰が模様替えを指示したとか、これだけで結構ブルボン王家のトリビアが仕入れられる趣向となっている。先程書いた「模様替え」一つとっても、我々が行うカーテンやカバーリングを変えるなどといった、生易しいものではない。調度品はすべて新調、特注、自分の好みに合わせて絶対妥協はしない。大変な贅沢、浪費だが、多く人の懐が温かくなったことは容易に想像できる。もはや公共事業の域に達しているな、というのが率直な感想だ。

 史実によれば、フランス革命の発端は、ブルボン王家とフランス政府の財政破綻で、破綻の最大の原因は、マリーアントワネットの浪費ではなく、アメリカ独立戦争への参戦だという。たとえそれが事実だとしても、度重なる宮殿の改修工事はやりすぎだと思うが、あの場所に身を置いて、住む立場になってみれば、リーズナブルなお値段で、という感覚のほうが場違いなのかもしれない。

 あまりに美しく、トリビアが満載で読んでも面白い。筑摩書房さんよくぞここまで、と拍手を送りたい。ゆえに貸出期間の2週間、めいっぱい堪能しようと思ったが、難点が一つ。縦26.5cm×横37cm×厚さ3cmと巨大で、紙面が横長のため、置き場所に困り、結局1週間で返却した。