裄は短しタスキは長し

数種類のテーマを軸にその時の気分で書きます

2018-01-15 22:27:32.0 「ありきたりの痛み」東山彰良

 はじめに

  最近ヘビーユーザーでなくなりつつあるので、カテゴリーのタイトルを変更しました。

 でもって、「図書館ヘビーユーザー」改め「書架の森を行く」ですが、気の利いたタイトル(を毎回ひねり出そうと努力していたんですよ、これでも)を考え出すことに消耗しまったので、今後はタイトルと作者名でアップします。悪しからず。 

 

 というわけで、ここ数年「ついしょうこが好きな作家ランキング」の上位に浮上してきた東山彰良「ありきたりの痛み」。内容は作者の自伝的エッセイと映画とテキーラについての連載、勤務しておられる大学の広報誌、「」の直木賞受賞前後の騒動をつづった日記で構成されている。 

 以前書いたかもしれないが、私の東山彰良デビューは「路傍」だった。読みながら「東山さんとお友達になりたい」と思ったが、本作を読んでそれはかなり無謀な考えだったと悟った。 

 ナチュラルハイ気味の筋金入りの下戸(テキーラなんてとんでもない)で、 

 ゾンビもヘヴィメタルも苦手で、 

 現住所で生まれ育ち、人生のほとんどをこの地で送り、―他のことではともかく―地理的な要因でアイデンティティが危機にさらされたことがない、 

 私はそういう人間だ。全く共通点がない。 

 作品と文章を通してしか存じ上げない私に著者という存在は、あくまでヴァーチャルの存在だ。そしてヴァーチャルなレベル―人気作家と一ファン―のお付き合いが最適だわね、と割り切り、作品を楽しむ。それが一番。 それでも、というかだからこそ、私は東山彰良の文章が大好きである。

 

2018-01-08 21:27:35.0 彼は頭の形が美しくなかったらしい。

 ご無沙汰しております。そして遅まきながら明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 

 図書館で年末年始に読む本を物色したところ、長い休みにこれは必須、ということで、塩野七生「ギリシア人の物語Ⅱ・民主政の成熟と崩壊」を借りた。前巻の読後、ずいぶん時間がたっているので、おさらいのため第Ⅰ巻も借り、ダーッと読みとばしてから本作に着手することにした。 

 

  第Ⅰ巻のラストで、ペルシア王アルタ・クセルクセスが、「来ちゃった 来ちゃったランランラン」とテミストクレスの亡命に狂喜乱舞した後… 

 主役のペリクレスがギリシアの政治の表舞台に登場し、その死をもって退場するまでの33年間と、その後の衆愚政(デマゴジア)を経て覇権都市国家としてのアテネが消滅するまでの26年間、計59年間のエーゲ海の動きが語られる。恥ずかしながら、私は衆愚政はポピュリズムの和訳だと勘違いしていた。勘違いもいいところである。 

 ペリクレスについて情報を一つ。塩野さんは、往年のエッセイ「男の肖像」の第1篇にこのペリクレスを取り上げている。機会があるならば、まずこれを読んでから本編を読むと、作者の執筆意図―あふれんばかりのペリクレス愛―が、より明確になる。 

 かつてユリウス・カエサルの生きざまを書くために、その前後も書かねば、という思いから15冊も本を執筆した塩野さんは、あの時と同様、ペリクレスの生きざまを書きたいがために、このシリーズを書くことになってしまった、いうのが私の推測。先日刊行した第Ⅲ巻の主役はマケドニアのアレクサンドロスらしいが、一番書きたかったのはやはりペリクレスだったのではないか思う。 

 さて、塩野作品を読む時、登場する英雄たちに視点をロックして読むと、現代の政治家が見劣りしてしまい、読むのが辛くなることがある。不世出の英雄とはそんじょそこらにいるものではないのだ。だから、視点をロックするポイントには十分注意し、上から目線とないものねだりはやめて読むことをお勧めする。 

 

 追記:舞台が古代になると塩野さんの筆が冴えるのは、多分毛嫌いしている一神教を加味しないで書けるからだろう。このくらい塩野さんのファンならすぐ察しがつくことだが、ここで疑問が一つ。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教など、一神教の信者の方達は、異教徒と無神論者とアンチ一神教のどれを一番忌み嫌うだろうか?

 

2017-11-24 23:24:33.0 昭和の少女はみなヴェルサイユを目指す

(画像は裏表紙。マリーアントワネットの寝室。)

 

 ディーヴァーを返した後、主人公の恋愛というめんどくさい要素に疲れてしまった私は新しく入った本の書架で妙なものを見つけた。 

 その本は背表紙ではなく、表紙を前面に向けて立てかけてあり、しかも表紙にタイトルの表記がない。ただ、その表紙は「鏡の間」と呼ばれる世界的に有名な部屋-部屋ではなく、回廊と呼ぶのが正しいらしい-の全景で、つまりタイトルをわざわざ表記しなくてもこれが「ヴェルサイユ宮殿」の写真集であることが一目瞭然、というわけだ。

 昭和の少女漫画の名作、と言えば、何といっても「ヴェルサイユのばら」(略してベルばら)である。

  私はかなりベルばらにハマった一人で、連載終了からずいぶん経ってから、岩波文庫のツヴァイク著「マリーアントワネット」も読んだ。だから舞台であるヴェルサイユ宮殿にも並々ならぬ興味があり、今までも雑誌の特集などを見つければ必ず目を通していたので、ここぞとばかりに手を伸ばした。

 序文によれば、ヴェルサイユ宮殿には公式カメラマンと呼ばれる、宮殿内のどこにでも入ることを許可された方が4人だけいて、今回の写真集は彼らが撮影した映像をもとに編集されている。だから、一般公開している絢爛豪華なエリアはより絢爛豪華に、そうではなくすっかりさびれてしまった観のある部屋もまた趣深くフィルムに収めているところが面白い。

 各頁の写真の下には、かなり詳しい注釈がついていて、誰が使っていた部屋だとか、誰が模様替えを指示したとか、これだけで結構ブルボン王家のトリビアが仕入れられる趣向となっている。先程書いた「模様替え」一つとっても、我々が行うカーテンやカバーリングを変えるなどといった、生易しいものではない。調度品はすべて新調、特注、自分の好みに合わせて絶対妥協はしない。大変な贅沢、浪費だが、多く人の懐が温かくなったことは容易に想像できる。もはや公共事業の域に達しているな、というのが率直な感想だ。

 史実によれば、フランス革命の発端は、ブルボン王家とフランス政府の財政破綻で、破綻の最大の原因は、マリーアントワネットの浪費ではなく、アメリカ独立戦争への参戦だという。たとえそれが事実だとしても、度重なる宮殿の改修工事はやりすぎだと思うが、あの場所に身を置いて、住む立場になってみれば、リーズナブルなお値段で、という感覚のほうが場違いなのかもしれない。

 あまりに美しく、トリビアが満載で読んでも面白い。筑摩書房さんよくぞここまで、と拍手を送りたい。ゆえに貸出期間の2週間、めいっぱい堪能しようと思ったが、難点が一つ。縦26.5cm×横37cm×厚さ3cmと巨大で、紙面が横長のため、置き場所に困り、結局1週間で返却した。

 

 

2017-11-09 21:36:09.0 「僕が殺した人と僕を殺した人」東山彰良

 

 はぁぁ・・・今回ばかりはいいタイトルが浮かびませんでした。

 

 写真集「ヴェルサイユ宮殿」を図書館に返却した時、東野圭吾の「マスカレード・ナイト」が入ってないかなと思いながら、は行の書架を見ていると、いつの間にか東山彰良のエリアに移動しており、そこで「僕が殺した人と僕を殺した人」を発見。先日新聞の書評で高かったことを思い出し借りることにした。 

 「流」の冒頭からやや時間が過ぎた80年代の台湾と、21世紀のデトロイト。二つの時空を行き来しながら物語は進む。台湾の4人の少年と、デトロイトで相まみえる連続殺人犯と弁護士。台湾の4人のうちの二人がデトロイトの二人なのだが、この4人が関わった事件が、その後の彼らの人生を大きく変え、30年後の再開に収束していく。 

 戦前の日本統治時代、国民軍の流れをくむ外省人と台湾人の対立、日本の漫画やアメリカの音楽やダンスなど、流れ込む海外のサブカルチャー。幾層もの時代の断面には、誰もが必ず懐かしい思いを抱く時代背景があり、ありとあらゆるものが分断してしまった現在進行形のアメリカがある。。あまりに固い彼らの絆と思い罪の意識ゆえに、彼らは30年間にわたって苦悩し続ける。何とも複雑な思いが残るラストだった。 

 

追記:憎まれっ子世に憚る。ゆえに胖子はここにも登場する

 

2017-10-28 21:22:40.0 盛り過ぎのプライベートが…

(東山彰良作「僕が殺した人と僕を殺した人」を楽しみにしていた方がいらっしゃったらごめんなさい。) 

 

 ディーヴァーのシリーズ2種類のうち、キャサリン・ダンスのシリーズ第4作「煽動者」は、いきなり番狂わせのエピソードから始まる。 

 尋問の達人キャサリン・ダンスが取り調べ対象者のキネシクスを見誤り、容疑者を取り逃がしてしまう。捜査チームを外され民事部へ飛ばされたダンスが担当したのが、地元で人気のライブハウスでのボヤ騒ぎと、それに伴う将棋倒しによる死亡事故。ところが捜査を進めていくと、これが事故ではなく、故意に仕組まれたパニックによる殺人事件であることが判明する。 

 未詳(ディーヴァーの作品では犯人をこう呼ぶ)の目的は?次々に容疑者が浮かび上がっては、ある者は容疑が晴れ、またある者は犯人に消され、同時に犯人が次々と仕掛けてくるパニックにダンスは翻弄されまくる。果たして彼女は再び捜査の第一線にカムバックできるのか?ネタバレになるが、ラストでこのシリーズでは最大級のどんでん返しが繰り出され「うわぁ、こんなのあり~」と驚愕する。 

 実を言うと、私はディーヴァー作品の3つのカテゴリーである、リンカーン・ライム、キャサリン・ダンス、ノンシリーズのうちキャサリン・ダンスが一番苦手である。理由は、ダンスのプライベートシーンに興味が持てないから。ダンスの子供たちや両親のエピソードは何とか我慢できるが、殊更彼女に「等身大のワーキング・ウーマン」を投影させる必要があるのか?と思う時が結構ある。特に男性の交友関係がめんどくさい。同僚と惹かれあおうが、シリコンバレーの天才と懇ろになろうがどうでもいいではないか。どうしても彼女に新しい出会いが必要なのか?とすら思えてくる。勿論、現実ならばいろんな成り行きがあるだろう。ただ、エンターテイメントとして本を読む立場からすると、ヒロインのホレたハレたは時に邪魔になる。ここもネタバレだが、ダンスは本作のラストでプロポーズされ、それを承諾する。そこも「えぇ、こんな綺麗すぎるオチはないよね」と失望した。