裄は短しタスキは長し

数種類のテーマを軸にその時の気分で書きます

2013-01-28 22:28:52.0 グローバル化する海外ミステリー ドイツ編 

 ここ数年の海外ミステリ出版の動きの一つに、英米語圏以外の作家の作品の刊行が増えたことがある。「ミレニアム」をきっかけに一気に盛り上がった北欧勢に続いて、ドイツからはシーラッハやこのフェツェックなどが続々上陸してきた。面白そうな本、特に海外の作品を見つけ出すコツの一つに、出版社のコンセプトが明確なシリーズを手掛かりにする、という手がある。
 ミステリーならハヤカワポケットミステリブック。今回「新しく入った本」の書架にセバスチャン・フェツェック「アイ・コレクター」を発見した。タイトルで引っかかる、というのは新聞の広告、書評、以前読んだ本の巻末の広告、過去に「このミステリーがすごい!」でランクインしていた、のどれかであることが多い。ちなみに「アイ・コレクター」は「このミス」に掲載されていた。警察の見当たり捜査もこれに近いのではないだろうか。
 主人公のツォルバッハは元警察官。交渉人として活躍していたが、ある事件をきっかけに退職し、現在はベルリンで新聞記者をしている。物語はまず母親を殺し、子供を連れ去り、父親に探させて45時間7分以内に発見できればよし、できなければ犯人は子供の死体から左目を持ち去る、というベルリン市民を震撼させる連続殺人事件が発生するところから始まるのだが、ツォルバッハは犯人「目の収集人(アイ・コレクター)」の罠にはまり、容疑者として警察に追われる身となってしまう。やがて彼は潜伏しようとしていた隠れ家で出会った特異な能力を持つ盲目の女性の協力を経て独自に捜査をはじめるのだが、事件は思わぬ方向へ転がりだす。
 「アイ・コレクター」の注目すべきところはまず、章立てとページがすべて逆になっている。405頁のエピローグから始まって1頁のプロローグで終わるのである。当然何それ?と思うのだが、読み終わるとおぉなるほど、と納得できる仕掛けになっている。
 余計なお世話かもしれないが、鈍い私でも冒頭の数章で真犯人の目星がつき、しかも当たってしまった。加えて本文中で犯人を「目の収集人」としているならばタイトルに英語で「アイ・コレクター」はないだろう。原題か、もう少し気のきいた邦題が思いつかなかったものか、少し残念である。 ただ、下らないケチをこれだけつけておいて何だが、動機やストーリー展開は全く予測不能だったので面白さが台無しになったわけではない。作品そのものはとても楽しく読めた。
 現在、フェツェックは本作の続編となる第7作を執筆中だというが、どうなんだろう? そもそもツォルバッハはあのような結末の後、健全な社会復帰は不可能ではないかと心配のほうが先に立つ。この二人がコンビを組んで事件を解決するところがどうしても想像できない。
縁があれば「治療島」をはじめとする既刊の5作はぜひ読んでみたいと思う。


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2012-12-23 23:15:27.0 iPS細胞がライムにもたらすもの

北海道が大停電に襲われていた頃、J・ディーヴァーの「バーニング・ワイヤー」を読んでいた。NYの送電網を標的にしたテロが次々と起こる中、メキシコでは宿敵ウォッチ・メイカーの逮捕劇が大詰めを迎えるが、作戦は予想外の結果が待っていて・・・と、ディーヴァーの真骨頂である3回ぐらい用意されているどんでん返しに夢中になってしまった。
 ご存じ無い方のために解説すると、主人公リンカーン・ライムは元NY市警のCSIのトップだったが現場検証中に事故に遭い、脊髄を損傷し首から下と左手の薬指以外の自由を失った。シリーズ第1作「ボーン・コレクター」でアメリア・サックスという相棒を得て今はNY市警の鑑識課の顧問として活躍している。ファンが彼のことを「究極のアームチェア・ディテクティヴ(安楽椅子探偵)」と呼ぶゆえんである。
ライムのこの特殊な事情ゆえに、捜査の実務を担当する面々が文字通りのドリームチームでこちらも素晴らしい。「バーニング・ワイヤー」では最近活躍の場が少なかったフレッド・デルレイがシブく光る活躍を見せるのが大満足だった理由の一つ。ただしもう一人のお気に入り、ローランド・ベル刑事が最後に顔見せ程度だったのはささやかながら不満が残った。彼が2丁拳銃で大活躍するシーンがあったら言うこと無しなのだが、欲張りすぎは下品だ。それは今後に期待したい。
リンカーン・ライムに限らずディーヴァーの作品を読む醍醐味は、悪と向き合う楽しさにある。ストーリーが進むにつれ犯人もしくは関係者全員の悪意、心の闇の部分が明らかにされていく過程は圧巻である。それを長編だけでなく短編でもやってしまうのだからこれはすごい。たとえ短編1篇でも最後に必ずどんでん返しが用意されている。「クリスマス・プレゼント」のような短編集を1冊読むと、逆転劇を10回ぐらい見せられるので、長編よりぐったりする方もいるかもしれない。
追撃の森」(こちらは文庫版)のようにストーリーが追走劇で、追う側と追われる側の視点が交互に入れ替わる時など、追う側の活躍だけでなく追われる側のキャラクターに魅せられてしまう。犯行の手口以外の部分で、犯人が持つ強いこだわりについて語られることが多いのもディーヴァー作品の特徴である。
 最後に「バーニング・ワイヤー」のラストについて。
「時代は変わる。人間も変わらなくてはならない。どんなリスクがあろうとも。何かをあきらめなくてはならないにしても」
「親しくしていたある人物」の、この言葉に触発されて、ライムはラストで重大な決断を下し、実行に移す。現実世界では、山中教授がノーベル医学・生理学賞を受賞したことでもあるし、ぜひライムにiPS細胞による再生医療技術の恩恵がもたらされるといいな、と心から願っている。

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2012-12-23 23:09:27.0 正月は背筋伸ばして葉室麟

「ゆるぎなき凛とした作品で注目を集めている」
今年直木賞を受賞した「蜩ノ記」の奥付には、葉室麟の作品をこう評している。とはいえ一歩間違えば浅薄な綺麗ごとのレベルに落ちてしまう危険があるため、このように評される作品を世に送り出すのは実は意外に難しい。いわばそのバランス感覚こそが時代小説家の持ち味であり、葉室さんの場合その集大成の一つが直木賞受賞作の「蜩ノ記」だろう。
葉室作品はまずタイトルと装丁がよろしい。書架の前に立ち外観を眺めるだけでも十分楽しいが、もちろん読むことをお勧めする。ぶれない生き方を文学に学ぶなら葉室作品はイチオシである。
先月図書館で見かけて読んだ「蜩ノ記」に続き、先日「橘花抄」を借りた。私の所要時間はどちらもノンストップで5時間強。時代小説の初心者でも読み易いと思う。正月に初詣以外にも少しは厳粛なことをしたい、すがすがしい気持ちで一年を始めたい、とお考えの方には是非おすすめしたい。
筑前黒田藩士の娘、卯乃は父が切腹したのち身内の誰もが引き取りを拒んだため、隠居した前藩主の重臣、立花重根のもとに身を寄せる。数年後、重根は卯乃を後添えにと申し出るが、間もなく卯乃は失明してしまう。重根の義母りくや周囲の人々の温かい思いやりに導かれて卯乃は美しく優しい、そして強い女人に成長していくというのがストーリーの主軸だが、背景には藩主黒田家の父と子、兄と弟の二重の確執、藩内における派閥争いと、立花家の同じ女性を思いながらも確執とは全く無縁の重根、峯均兄弟の兄弟愛、やや複雑ではあるものの、怨恨とは程遠い峯均と別れた元妻、継母と継子でありながらこちらも確執とは無縁のりくと重根、とすべてが対比して描かれている。
卯乃と立花家の人々は次々と悲運に襲われ、結果としてその権勢を失うが、困難のさなかにあっても自分を見失わない、ぶれない生き方を貫き通す。これはこれでハッピーエンドだな、と思わされてしまうところが不思議である。
ただし見習うのはかなりしんどい。葉室流「ゆるぎない凛とした生き方」の探求は三が日まで。それが過ぎたらほどほどにするのが今を生き抜く知恵である。

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