裄は短しタスキは長し

数種類のテーマを軸にその時の気分で書きます

2018-02-17 22:21:40.0 韓国を思う その4 メダカ馬鹿・文在寅

 冒頭から回りくどい話だが、冬季五輪平昌大会の真っ最中でもあるし、先日まで読んでいた塩野七生さんの「ギリシア人の物語」の受け売りから始めたい。

 

 古代のギリシア地方では、大小さまざまな都市国家(以下ポリス)があまた存在し、ポリス間の戦争が絶えなかった。

 で、「このまま続けたら、相討ちが連鎖して全滅だよね」と考えた一部の醒めた頭脳の持ち主が、「オリンポスの神殿のあるアテネで神々に捧げる競技会をやって、せめて4年に一度ぐらい休戦しよう」と提唱し、各ポリスが「せやな」「んだっす」「がってんでい!」と賛同した。これが古代オリンピックの始まりなんだそうだ。

 つまり古代オリンピックは、私たちがイメージする世界平和とは程遠い「まず戦争ありき」の背景を持っている。なぜ休戦できるのか?それは戦争をしているからだ。

 一方クーベルタン男爵が提唱し始まった近代オリンピックは、毎回事あるごとに「平和の祭典」を謳っているが、政治色の排除は回を重ねるごとに困難を極め、その開催意義は古代のそれに回帰している印象さえ受ける。 

 平昌大会に限って言えば、開催国の大統領自ら、理解不能な行動によって、4年に一度のつかの間の休戦期間すら不愉快なものにしている。

 北朝鮮の代表と融和ムードを必死に演出したところで、それを真に受けるほど韓国国民はバカではない。アイスホッケーのファンなど、きっといい迷惑だと思っているだろう。チームプレーの本質を理解していない大統領が国のかじ取りをしているとは、やはり韓国は「危うい」という表現がぴったりだ。

 さらに驚いたことに政治オンチの文在寅は、あれで統一と融和を世界にアピール出来た、と本気で思っているらしい。トップがバカなら仕える補佐官までもバカ揃いなのか、諫言する者もいないようだ。韓国国民の伝家の宝刀、デモンストレーションもオリンピック期間中では、盛り上がるとは思えない。

 北じゃあるまいし、トップを諫めたぐらいで命まで取られることもないだろうと思うが、でも北であれ南であれ朝鮮民族の場合、命を取られちゃうのかもしれない。

 

追伸:タイトルの「メダカ馬鹿」について一言。「メダカ馬鹿」とは「すくい(掬いと救いを掛けている)ようのないバカ」の意。同義語に「砂漠(のように果てしない)バカ」がある。

2018-02-11 22:40:42.0 「AX(アックス)」伊坂幸太郎

  冒頭に「蜜柑」と「檸檬」が出てきたところで、あ、これは「グラスホッパー」や「マリアビートル」に続く、妙な殺し屋が活躍するお話だな、と察しがついたが、当たったのは「妙な殺し屋」の部分だけで、あと半分は…活躍はしているんだが、何だか切ない。 

 とにかく殺し屋「兜」の恐妻家ぶりが面白い。妻の機嫌を損ねないように何があっても反論しない。その一方で、生い立ちに家族愛が皆無だった「兜」は、家庭を持ったことで裏家業の仕事のモチベーションに変化が現れる。エージェントというよりは元締めのような「医者」からの、ほとんど脅迫のような仕事の依頼を「兜」はどうかわすのか。これがかなり予想外の結末。最終篇の「FINE」では息子の克己が父の秘密に肉薄するが、そこにあの「医者」が現れて… 

 伊坂さん曰く「今までは息子の視線で物語を書いてきたが、自分も結婚し子供が生まれて、父親の視点というものが生じてきた」ことが作品に反映しているという。なるほど、これが伊坂流「父の愛」なのね、と楽しく読んだ。

 

2018-02-04 12:58:48.0 韓国を思う その3 日本だけ責めて済む話?

 第二次世界大戦のさなか、旧日本軍が韓国人女性を慰安婦という形で日本兵の性的欲求のはけ口にしていたことは、同じ-閉経も間近になったが一応-女として許し難い残虐な行為だ。

 先日私は、太平洋戦争当時、旧日本軍は朝鮮半島で相当ひどいことをやっちまったのは事実で、やっちまったことはなかったことにできない、と書いた。だから慰安婦問題についても日本に非はない、とは決して言わない。

 とはいえ私は日本人だし、慰安婦問題に対する日本側の反省やお詫びの気持ちが幾度も踏みつけにされて愉快なわけはない。ただ、現在に至るまでの時の首相の談話や発言で反省と遺憾の意を表し、基金の設立のために大金を拠出したにもかかわらず、それを不服とする韓国側の方たちに「確かに貴女方は被害者かもしれない。だが、加害者は日本以外にはいないのか!えぇ?」と考えてほしいのである。

 女性を連れて行ったのは日本軍におもねる韓国人だったかもしれない。

 無理やり連れていかれた、と思っているかもしれないが、実は親に売られたのかもしれない。

そういう可能性について考えたことはないのだろうか。

 

 戦時中、朝鮮半島が反日一色だったと思うより、反日感情優先の人たちと、反日感情よりも日本軍とのコネクションを優先し、相手を利用することや、良い共存関係を模索すべきだと考えた人たちの両方が存在した、と考える方がよほどしっくりくる。

 食うに困った親が、本人の了解を得ずに娘を女衒に売る、この類の話は、どこの国の貧困層にもある話だ。昔の日本でもよくある話だった。家の困窮を救うためにすすんで身を売ることだってあった。むしろ親孝行としてたたえられ、当たり前のように行われた。日本であって、韓国にはなかったはずはない。また韓ドラを見ていると、あの国は儒教の教えが尊ばれ、年長者は重んずるが、子供を大事に扱わない国民性があるのか?と誤解しそうなくらい、高い頻度で、子供や赤ん坊の取り換え、置き去りが起きる。しかもその理由のほとんどが、身びいきと我が身可愛さという私欲だ。(私の知る限り、その理由と取り換え行為に尊い自己犠牲が感じられるのは2例しかない)

 大抵、歴史認識というのは、自国に都合良く脚色される。

 それは中華思想のように自国の優位性を主張するためだけに行われるのではない。特に第2次大戦の後、各国の指導者が歴史を創作したのは、そうでもしないと国民をまとめていけそうになく、国が空中分解することなく、国民が一致団結して未来に目を向けるムードを作るために、「一時的に忘れることにした」のである。日本だけではない。ヨーロッパも、そして韓国だってきっと同じことをしているはずだ。(注:この段落の内容は、カズオ・イシグロ氏のインタビュー、タチアナ・ド・ロネ著「サラの鍵」、米原万里の著作が土台になっています。興味のある方、ぜひ読んで下さい。)

 

 断っておくが、これは事実認定とは程遠い仮説だ。しかもかなり日本側に有利すぎるぐらい有利に立てた仮説である。とはいえ、「慰安婦問題について、当時の韓国国民だって全くの潔白ではないはずだ」という私の仮説はそれほど荒唐無稽だろうか?韓国人の責任転嫁が過剰なのか、日本人が内省的過ぎるのか。

 

 最後に世界各地で増殖中の「慰安婦を象徴する少女像」について一言。

 あの像はよく、毛糸の帽子やマフラーを着用している。そこで、どうしても撤去していただけないならいっそ、防寒用にキティちゃん、ドラミちゃん、ポケモンなどの着ぐるみを着せ、日本のソフトパワーで対抗する、というのはどうだろう?日本大使館と韓国の団体双方から非難されるとは思うが、本来の趣旨よりインスタ映えが話題になったら、像の設置を諦めてくれるのではないだろうか。