裄は短しタスキは長し

数種類のテーマを軸にその時の気分で書きます

2020/12/01 06:38 「クリスマスを探偵と」伊坂幸太郎

 12月になりました。 

 会社のワークシェアリング体制で、なんと一か月全休していたリアルついしょうこは、引き続き今月も全休という、リーマンショック以来の「究極のお茶引いてます状態」となりました。 

 ただ、リーマンショックの時より所得補償が充実している点では、今回の方が救われているな、と感じています。 

 

 ハードカバーのあ行の書架で、サイズがイレギュラーで並んだ本から一冊だけ飛び出していて目を引いたのが伊坂幸太郎文、マヌエーレ・フィオール絵「クリスマスを探偵と」。伊坂ワールドは殺し屋や泥棒が、真面目なのかふざけているのかわからない台詞を吐きながら仕事(?)に精を出すシュールな世界。当然クリスマスの探偵さんも、ほっこりするような展開は望めないだろうな、と思っていたら、これが意外にも探偵カールは対象を尾行し行き先を突き止め、そこで張り込みするだけという地味な展開。 

 館に入っていった対象が出てくるまでの間、カールは近くの公園で時間を潰すことにするが、そこにはベンチに座って本を読む若い男がいた。 

「こんな寒い中、外で読書とは、何かの訓練か」というカールに 

「寒さと暗さでもうお手上げでした」と苦笑するする男。クリスマスの宵のひと時、二人は取り留めのないおしゃべりを始めるのだが、時節柄サンタクロースのことに話が及んだのをきっかけに、カールは子供の頃のクリスマスの思い出を語りだす。今回の依頼人と、今尾行している対象と、そして自分。プレゼントのこと、両親の不和。家を飛び出したこと。クリスマスのまつわる苦い記憶がカールの胸に蘇ってくる。 

 最初はただの聞き役だった男は、途中からなにやら合いの手が積極的になり始め、しまいには「にわかカウンセラー」のようになって、一見こじつけとしか思えない変な仮説を展開し始める。やがて館から出てきた対象は、なんとサンタクロースの扮装をしていた。 

「もっと家の近くで着替えればいいだろうに」とカール。 

「ですね」と男。 

やがて男の連れがやってきたことで、カールは彼を見送る。 

 伊坂さんだからシュールな減らず口が次々と飛び出すんだろうな、という予想を裏切って、ラストは中々ハートウォーミングな結末だった。

 

2020/11/26 08:42 「シーソーモンスター」伊坂幸太郎

 伊坂さんの小説の中で、犯人というか、「一番悪い人」のカテゴリに入る人間には、大きく分けて二つのタイプがある。一つは暴行、暴力が楽しくて仕方がない人とその集団、もう一つは国家だ。 

 表題作の「シーソーモンスター」は、担当する顧客である医師の架空請求に気付いてしまった製薬会社の社員の男と、義母と折り合いが悪いことに悩む彼の妻の話で、物語は夫婦それぞれの視点から交互に語る形で進んでいく。実は妻は政府筋の元情報部員。優秀な彼女は結婚前、「夫の母親との同居何てちょろいもん」と甘く見ていたが、そんなわけにはいかなかった。以来初対面と結婚生活の7年あまりが過ぎ、もはや「生まれつき相性が悪い」以外に説明がつかないほど、些細なことから大きなことまで、二人の間には摩擦が絶えない。 

 義母の方にも秘密があった。その隠されたとんでもない秘密には「え、そうきたかー」と思わず笑ってしまった。このシチュエーションは凄すぎる。 

 続く「スピンモンスター」は、デジタル化、ネットワーク化、そして監視社会が行きつくところまで行ってしまった近未来の話。通信機器を駆使することと、「シーソーモンスター」で登場したあの人の協力のもと、厳重な監視をかいくぐっての逃亡劇、というのが楽しい。追われる側の水戸直正と追う側の檜山景虎には悲惨な因縁があるのだが、その行程の先に、思いもよらない真相が待っている。読んでいると途中でその兆候に気付くのだが、うわぁ、そういうことかぁこれはきついよな、と暗澹たる気持ちになる。にもかかわらず伊坂さんの小説はは文体が軽いから読み進める。と同時にその軽さゆえに騙されそうになる。

 

 そう、伊坂ワールドが連想させるものは、実に重い。 

 海族と山族は地政学でいう大戦略シーパワーとランドパワーを思い起こさせるし、水戸の「配達人」という職業は、ネットワークと監視システムの発達の反動から末に生まれたもの。そして水戸が追われることになった理由というのか、もはや彼の人生そのものが、いってみれば国策レベルのフェイクニュースと極秘プロジェクトに支配されているのだから、理不尽なことこの上ない。 

 

この作品、そもそもカバーの折り返しからして深遠で 

 

―争いはなくならない。 

―だとしたら、僕たちはどうすればいいんだろう。 

 

という問いかけから始まる。 

 

ってここまで書いてきて、今それ書くか?と思わずセルフで突っ込みを入れてしまった。

 

2020/11/21 06:23 「ホワイトラビット」伊坂幸太郎

 「湖の男」と「厳寒の街」の暴力シーンが予想外に少なかったのに対し、伊坂幸太郎「ホワイトラビット」はいつも通りに暴力シーンがてんこ盛りだった。量もさることながら、「暴行を加える側の人間が病的かつ盲目的に暴行が好き」という「伊坂作品あるある」のキャラクターが容赦なく、受ける側にとっては理不尽以外の何物でもない暴行を淡々と加えるのだから、怖いことこの上ない。

 

 仙台市の住宅街で、立てこもり事件が起きた。犯人の要求は「折尾、通称オリオオリオというオリオン座の蘊蓄を語らせたら止まらない男を連れてこい」というもので、犯人と交渉するSITは早速その男を連れて来る。ところがこの折尾という男、事の重大さが全く分かっていないのか、作戦行動に一々非協力的な上に、何かとオリオン座を引き合いに出し、変な持論を展開してSITの隊員たちを翻弄する。

 

 実はこの兎田という立てこもり犯も、自ら望んで立てこもるに至ったわけではない。彼が属する誘拐ビジネスという裏社会の組織の金を横取りしたのが先述の折尾というコンサルタントで、「お前の妻の身柄はこちらが預かった。妻を返してほしかったら折尾を捕まえてこい」と命じられ、折尾の行方を追っている過程で、ある民家に押し入り、行きがかりで立てこもり事件の実行犯になってしまったのである。

 

 SITの説得は長時間に及んだ。「もうやめたい」「疲れた」と悲観的な言葉を漏らしたのち、犯人は立てこもっている家のベランダから投身自殺をはかってしまう。

 

 で、事件の全容が分かったところで、この話は終わるかに見えたが、実は事件の真相は全く予想外のところにあったことが、物語の後半で明らかになる。で、そこから事件の真相がもう一度時系列で語られて行くのだが、これがまあ目からうろこと言うか、「え、そういう事だったの?」という驚きの展開が待っている。

 

2020/11/16 06:55 「厳寒の街」A.インドリダソン

 折も折、今年一番の冷え込みにファンヒーターを出したところでアーナルデュル・インドリダソン「厳寒の街」を読み終わった。実際の寒気は収まったが、小説世界の冷え込みは中々に厳しい。 

 10歳の男の子が路上で刺殺された。彼はタイ人の母とアイスランド人の父を持つ少年。両親は既に離婚し、母親はシングルマザー、そして母が母国であるタイで前夫との間に設けた息子と3人暮らし。少年は学校で問題を起こしたことはなかったが、母はアイスランド語があまり理解できず、また話せない。兄の方は物心ついてからアイスランドにやって来たこともあって、学校にもコミュニティにも馴染めていなかった。 

 被害者とその家族を取り巻く移民に対する感情が、そっくりそのまま壁となってエーレンデュルたちの捜査を阻む。事情聴取される人たちの意見、移民に対する感情というのが一人一人微妙に程度が違うところが、問題の複雑さを物語っている。 

 訳者はあとがきで「日本はいつまで日本に渡来して居住し働く人々を”外国人労働者”という枠に閉じ込めて扱うのだろうか。と批判的な印象の見解を述べているが、本作を読み終わった後、「移民は容認するとしても、受け入れるハードルは高めが望ましいのだな。」と感じた私は、対極的なこの一文を読んでとても驚いた。 

 さて、前作「湖の男」で暴力シーンが激減して読みやすくなったインドリダソンの作品だが、今回も具体的な暴力シーンは抑え気味であるものの、今までとは違った怖さを感じた。 

 考えてみてほしい。 

「そうしたかったわけじゃないんだ」 

「そうなってしまったんだ」 

「別に」 

「あいつがそこにいたから」 

「することがなかったから」 

取調室での犯人の供述が、犯行の動機とその経緯がこんな内容だったら、それは怨恨や金目当ての犯行とは別の意味で恐ろしいことだとは言えないだろうか。 

グローバリズムに飲み込まれてた、コミュニティが小さく、ほぼ単一民族の国アイスランドのミステリーは、これからの日本の外国人受け入れ政策についてもなかなか示唆に富んだ一冊である

 

2020/11/10 06:20 「湖の男」A.インドリダソン

 韓ドラ「秘密の森」の放映が終わった。 

で、次に何を読むものは決めていた通り、A.インドリダソン「湖の男」にしたが、実は手に取るまで勇気が要った。 

 これまでのインドリダソンの作品は、感動もしたが、とにかく読むのが苦しかった。主人公のエーレンデュルの私生活は殺伐としているし、娘のエヴァ・リンドも深刻な薬物中毒。で、事件の背景には恐ろしく濃密な人間関係があって、必ず暴力シーンの描写が怒涛のごとく展開する。必ず読み終わった時に、本当に精神的に参ってしまうのだ。 

緑衣の女」は特に酷かった。ゆえに手を出しにくい。体調が悪い時にインドリダソンを読むのは禁忌だ。案外トラウマになる。特に今回のようにブランクが長ければなおのことだ。 

 今回も途中で呼吸を整えながら休み休み読むことになるだろうと腹を決めて本を開いたが、事件関係者のDVの描写と、娘のエヴァ・リンドのやさぐれた描写がほとんど登場しないので、読んでいて具合が悪くなるようなことにはならずに、「湖の男」は意外にサクサク読むことができ、結果として最後まで一気に読んでしまった。 

 湖底から水が失われつつあると言われているクレイヴァルヴァトン湖の干上がった湖底から白骨死体が見つかった。まだ水があったころに遺体を捨てたものと思われるが、遺骨にはは旧ソ連製の盗聴器がくくりつけられていた。男の身元の手掛かりが乏しい中、エーレンデュルたちは失踪者のリストやロシア大使館、アメリカ大使館、ドイツ大使館などの外交筋を当たって被害者の身元を調べ始めるが、その「外交筋」なるものの硬い口と高い敷居に阻まれて、なかなか捜査が進まない。 

 エーレンデュル達の苦闘と並行して、冷戦真っただ中にアイスランドから東ドイツのライプツィヒに留学した青年の回想が語られていく。登場人物たちが「おかしな時代だった」と口をそろえて言うソ連共産党体制下の東欧。市民がいかに厳重な監視下に置かれていたか、当局はどうやって反対勢力を摘発していたのか。ここまでくれば当然スパイ容疑と自由思想の弾圧、そして摘発後には当然のことだが、ものすごい拷問のシーンとか出てきたらどうしよう?と悩んでいたが、意外にそこは流して書いてあって、安堵した。

 ただし、だからと言って、ぬるいファンタジーで恐怖を緩和してあるのか、というと決してそうではない。 

中学の地理の時間に西のEC、東のコメコンと授業で習っていた頃、東欧諸国はソビエトの傘下でそれなりにまとまっていたのだと思っていたら、じつはその傘の内側にはとんでもなく物騒なものがぶら下がっていたことを知ったのは、ペレストロイカ、ベルリンの壁の崩壊、東欧諸国の民主化という出来事によって、中学の地理の授業で学んだことが最新の「歴史」になってしまった時だった。 

「何を、誰に話すかには、細心の注意が必要なの。」 

「もっと近くをみることだな。」 

読み終われば、このセリフの怖さが理解できる。当局は相互監視とスパイと密告の3点セットで世論をコントロールし、相互に疑いあう社会を作り上げた。誰かを、何かをうかつに信じてはいけない世界。「湖の男」はこっちの怖さを強く感じる作品だ。 

 21世紀、東欧の民主化が少しづつ進む一方、周りを見れば今度は日本の対岸に、「湖の男」の上を行く監視社会が機能する国家が、でんと構えている。先ほどの二つのセリフの意味に敏感にならなければいけない時代の空気を吸って、これから日本もアジアも進むことになるのだろうか。