
主人公御子柴将が重傷を負って救急搬送される、という物騒な場面から始まる「御子柴くんと遠距離バディ」は、事件の後、長野県警に一旦戻り、新しい職場となった長野県警千曲川署の閑職に配された御子柴君が、その後も、長野県警と警視庁と近隣県にまたがる事件の謎を追い、ついに最終話で再び警視庁捜査共助課へとカムバックするまでを描いた連作短編集。今までは御子柴くんの相方だった、若干印象の薄かった竹花一樹君が、本作では警視庁サイドの御子柴くんの遠距離バディとして活躍する。
前作同様、円滑な合同捜査、捜査協力、情報共有と、事件の早期解決のために重要な意味を持つ共助課の手土産のクオリティと心配りだが、御子柴くんの後任である細澤は、余りにやる気がなく、警視庁内に「御子柴復帰待望論」が立ち込めている。長野と東京で発生する連続していないようで連続していないでもない殺人事件を追って、長野県警と警視庁の面々が駆け回る、というなかなかハードな展開。各部署を飛び交う手土産が一瞬、読者を和ませるが、事件そのものはなんともおどろおどろしい。若竹さんの絶妙な味付けである。

ケン・リュウは面白かったが・・・正直疲れた。
ここらで日本人作家の作品に目を向け、少し楽をしようと手に取ったのが若竹七海「御子柴くんの甘味と捜査」。 主人公御子柴将(すすむ)の初登場は連作短編「プレゼント」。で、その後はずっとお茶を引いてたキャラなのだが、2014年に本作で再登場。華麗な(?)カムバックを果たした。ただ、私が「プレゼント」をよんだのはごく最近のことなので、若竹さんご自身でいうほど、長いブランクを感じなかった。
「プレゼント」当時は長野県警所属で小林舜太郎警部補とバディを組んでいた山岳救助隊志望の御子柴将くんは、実家が東京だということもあって、警視庁捜査共助課に出向になり、主に長野県警と警視庁の合同捜査の際のコーディネートが主たる業務なのだが、実のところ日常は長野と東京双方の同僚からスイーツのお取り寄せの調達。で、その合間に勃発する事件というのが、なかなかひとひねりあって・・・
そんな御子柴くんが捜査の進展になんとなくスッキリしない時に決まって電話をくれるのが前の上司、長野県警の小林舜太郎警部補。事件のいきさつや捜査状況を話しているうちに小林警部補は「なーんかヘンなこと思いついちゃった。聞きます?」と鋭い指摘をしてくれ、事態は思わぬ方向へ向かうことになる。
ミステリも充分面白いが、警視庁、長野県警の面々の無茶ぶりに振り回される御子柴くんのトホホ感と、登場する数々のスイーツ、特に長野県各地の銘菓と名産を眺めるのも楽しみの一つ。大半は無類の甘党である捜査一課の玉森剛主任に横取りされてしまうため、やっと御子柴くんがありつき「これは、うまいわ」で話が締められる。

前作「母の記憶に」が母親の影が強かったのに対し、ケン・リュウの短編集第三弾「生まれ変わり」は、父親の影が強い。
個人的に好きなのは「化学調味料ゴーレム」「訪問者」「神々は・・・」(三部作)「闇に響くこだま」「隠娘(いんじょう)」。多分アクションのスピード感と笑える要素があるか、そして科学的な記述についていけているかが好きと普通の境界線ではないかと思う。
とはいえ・・・総じて結構難解な作品集である。しかも分量が多い。
本当にこれらの作品を楽しめる人というのは、自然科学の各分野と歴史、古典に精通していることが前提だろう。だから、学生時代に数学で一度ならず赤点をとったことがあるついしょうこは「数えられるもの」は、その数学に関する記述の部分は結構苦痛だった。しかも結末がシーラッハを連想させるほど陰惨だ。読んでいて結構気が重かった。(20篇もあればこういうものもある、そういうことだ。)
「読書を楽しむ」というのは、「自分が面白いと思うであろう本を選びだす」能力を高めることだけでなく、「面白くその本を読む」作業も結構大事だったりする。以前別の場所で書いたことがあるかもしれないが、具体的にはこういう時に「物語の本質とあまり関係がないと思ったら、よくわからないところは、とばして読む」、これに尽きる。これが出来ないと、読むこと自体が楽しくなくなる。

猛暑のさなか、ラニーニャ現象発生のニュースに身構えていた2か月前。
邦訳の第一オリジナル短編集「紙の動物園」と引き合わせてくれた第二短編集「母の記憶に」をハヤカワポケミスの書架で発見。よしっ、とばかりに借りた。
短編というよりむしろショートショートというべき分量の冒頭の数編の後に、本格短編とでも言いたくなるような、長めで濃い作品がどん、どん、と目の前に供される。実を言うとこの辺から読み進むスピードがガクンと落ちた。昼食後、猛暑をしのぐためにエアコンの効いた部屋に立てこもり、そこでページをめくるということは、必然的に睡魔との闘いを余儀なくされる。残念ながら勝ち目はほとんどない。
本作の刊行に合わせて来日した際のインタビュー記事によるとリュウ氏は、アメリカでは家族愛は恋人同士の愛ほど重視されおらず、アメリカ文学の中で抜け落ちた部分を書きたい、とお考えとのこと。確かにどの作品も家族愛が濃い。
例えば表題作「母の記憶に」は分量にすればたった5頁。ここに「私」ことエミーとその母の、現実ではあり得ない「時空の隔たりによる」親子のふれあいとすれ違いが濃密に書き上げられている。で、読み終わって思うことは、両者の本質というか「母と娘は、これがすべてだ」といっても過言ではない普遍性だったりする。
個人的に気持ちがノッたのは「重荷は常に汝とともに」「状態変化」「万味調和―軍神関羽のアメリカでの物語」の3篇。ノリは今一つだったが揺さぶりが大きかったのは「存在(プレゼンス)」と「ループの中で」の2篇。前者は介護が重くしかかる境遇になったことが、後者はプラスコロナの影響下で、父と向き合う時間がマックスに達している今の生活実態に共鳴しているのだと思う。
最近昔ほどSFを読んでいない。がしかし、本作を読みながら昔読んだSF作品、近未来小説の記憶が呼び覚まされることが多かった。「パーフェクト・マッチ」を読んでJ.オーウェルの「1984」を思い、冒頭の数編は星新一や筒井康隆の作品を思い出させた。他にもSFではないが「残されしもの」は、読みながらマーセル・セローの「極北」を思い出していた。
訳者あとがきのほかに、作家の藤井大洋さんが「どこにでもいるケン・リュウ」というタイトルのあとがきを寄せて下さっているのだが、これが興味深い。藤井氏は自作品に関することでリュウ氏とも親交があるそうで、思わず藤井氏の作品を機会があったら読んでみたい、という気持ちになった。
「タラレバ娘」は、実はオリジナル放映は一度も見ていない。(笑)
で、今回吉高由里子演ずる倫子の恋人役で出演した松下洸平さんだが、さわやかで優しく穏やかな朝倉さんが、祭壇の前でまさかの「ごめん!」
うわぁーやってくれたー!
フツー(いや、すでにこの状況はフツーとは言えないんだが)ここでわけわかんない説得で乗り込んできた女をいったん返し、式が終わって間もなく浮気、のほうがありそうな気がするんだが、どうだろう?
で、ラストで倫子に合鍵を返されて深々と頭を下げる仕草が、なんか八郎さんをほうふつとさせます。
一方の先日スタートした「リモラブ」は、
「あれ、八郎さんと、阿湖姫がオフィスラブ?」でユルく(笑)
そっか、脚本が水橋文美江さんだもんねー
ところで、檸檬さんは誰なんだろう?渡辺大だったら面白いのに。いや、そもそも男かどうか、すら怪しいわけだし、相手が女だったら、なお面白いかも。
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