皆さんこんにちは、担任助手の伊東です。
ラジオ体操のようなタイトルですが、なんと今回は伊東先生最後のブログになります。
びっくりですね。
~略歴~
私は高校1年生の4月に万代校に入校し、万代校で3年間担任や担任助手の先生とともに努力し、無事に新潟大学に現役合格することが出来ました。
3年間の恩や万代校を愛する気持ちから、大学1年生の5月より担任助手として、生徒の皆さんのサポートをしてきました。
おかげさまで無事進級し、この3月をもって卒業し、新潟大学大学院に進学することが決定しました。
この4月から学業に専念するため、卒業をもって7年間在籍した万代校も引退することにした次第であります。
さて、最後のブログ担当の通知を受け取ってから約一か月、何を書き残すべきかとずっと考えていました。
その結果、何も書くことが無いということに気づいてしまいました。
僕は思いついたことはすぐ口にするので、そもそも言い残すことなどどこにもなかったんですね。
自分でもびっくりです。
しかしながら私の心には一つだけ気がかりなことがあるということに気づきました。
それは、皆さんの将来です。
始めに申し上げておきますが、私は皆さんの能力や可能性については一片の疑いも抱いておりません。
ですが私は思うのです。
一つの時代の終わりを迎え、加速度的に変化していく世界において皆さんがその能力と可能性を遺憾なく発揮することができるのだろうかと。
なので、私は皆さんに一つの理想像を示したいと思います。
(注:あくまで僕の考える理想像ですから、参考程度にしてください。また、仏教の話が少し出てきますが、宗教勧誘ではありませんので安心してください。)
私の理想像はとある植物の姿にあります。
その植物こそが「蓮」であります。
(注:引用画像はpublic domainですから権利関係についてはご安心ください。)
なぜ蓮の姿が理想なのか、それは僕が蓮の花を好きだからというわけではありません。(好きな花は彼岸花です。特に群生してるやつはめっちゃ綺麗だと思います。)
仏教には「蓮華の五徳」という考え方があります。
この五徳とは、
・淤泥不染の徳(おでいふぜんのとく)
・一茎一花の徳(いっけいいっかのとく)
・花果同時の徳(かかどうじのとく)
・一花多果の徳(いっかたかのとく)
・中虚外直の徳(ちゅうこげちょくのとく)
であります。
この五徳について私の考え方を述べたいと思います。あくまで私の考えですから、仏教における一般的な解釈とは異なる場合があることに注意してください。
・淤泥不染の徳(おでいふぜんのとく)
蓮は泥の中に在っても泥に混じることはありません。
皆さんも、「泥」に呑まれることなく美しい花を咲かせてください。
・一茎一花の徳(いっけいいっかのとく)
蓮は一つの茎に一つしか花をつけません。
皆さんが一つしかない蓮の花のようにかけがえのない存在であることを私は信じています。
・花果同時の徳(かかどうじのとく)
蓮は花を咲かせるのと同時に実を結びます。これは物事が上手く行ったときに一気に進むことの象徴であります。
皆さんも上手く行かないことに相対しても最後に待つ成功を信じ邁進して欲しいと思います。
・一花多果の徳(いっかたかのとく)
一つしか咲かない蓮の花でも多くの実を結びます。
かけがえのない皆さんが成功を収めるとき、多くの人に「実」という幸福を与えられることを願っています。
・中虚外直の徳(ちゅうこげちょくのとく)
まっすぐ伸びた蓮の茎には無数の空洞が通っています。知ってのとおり、中身が詰まっているものよりも空洞があるほうが物理的に堅牢です。
皆さんも蓮の茎のように真っ直ぐと、強靭に生き抜いてほしいと思います。
最後になりますが、この7年間関わってきた全ての方々に御礼を申し上げて、結びの言葉にしたいと思います。
今まで有難うございました、またどこかでお会いしましょう。
伊東