上越老人福祉協会 スタッフブログ

ご利用者の日常や施設行事の様子を掲載しています。

2013-01-18 14:34:10.0介護職員エピソード

 当法人では平成20年より不定期で、全介護職員から原稿を集め、介護職員エピソード集を発行しています。
 日頃の業務で感じている色々なエピソードをまとめた本で、法人各施設のロビー等で
ご覧いただけます。
 その中から、一部を抜粋してご紹介します。

 昨今の介護業界における人材不足、高い離職率、介護職員の慢性的な疲労、
そんな暗い話ばかりが飛び交う状況の中で、上越老人福祉協会の介護職員は、今何を考え、何をすべきか……今回のエピソード集の発行に至ったのはそんな背景がありました。
集まった原稿には、介護の原点である「人」と「人」との繋がりやその中で生まれる
ぬくもりのある日常、時には辛く後悔するような別れ、苦しみもがきながらも進もうと
する姿、そんな介護職員の生き生きとしたエピソードが綴られています。
 私たちは間違いなく、ご利用者の「人生」とかかわっているのだということを改めて
感じました。一人の人の「人生」にかかわる責任と誇りを、一人ひとりの職員が大切に、
そして自らの糧として頑張っているということが、このエピソード集から感じ取ることが
できます。
(平成20年発行 介護職員エピソード集第1号「輝」あとがきより抜粋)

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「介護職員としての信念」
勤続年数5ヶ月
 「いつも笑顔で」
 介護職員としての信念というより、私自身の信念としていつも笑顔でいたいと思っています。私の家族はいつも笑顔で暮らしていました。どんな時も家族5人で笑って暮らしていました。
 父が45歳という若さで亡くなった時も、初めは家族みんなで涙を流し落ち込んでいたのですが、母が「いつまでも泣いていたら亡くなった人が、あの世にいけないから笑っていよう」と言い家族で父との楽しかった思い出話をして笑っていました。
 そんな母も脳出血で、突然69歳で亡くなりました。
 不思議なことに母は亡くなる2ヶ月前に、自分が亡くなる事がわかっていたのか「私が亡くなっても泣かないで、みんなで笑って送ってね、お棺の中にはたくさんのぬいぐるみを入れてね、出棺の時は「千の風」という曲をながしてね」と笑いながら自分の最後は話していました。
 優しくいつも笑顔だった両親に、親孝行らしい親孝行もできず私は人生の半ばを過ぎてしまいました。
 私は元々、人と話したり接したりするのが好きだったので、病院の受付、医療事務、販売業など人と話したり、接したりする仕事をしてきました。
今の介護職につく前の販売業の仕事で、多くの年配のお客様といろんな話をしました。
 一人暮らしで困っている方、家族がいても楽しく生活されてない方、年配の方の話を聞いているうちに、何かお役に立てることはないか、何か手助けをさせていただくことはないかと思い、車椅子の生活を20年していた母の介護をしてくださったヘルパーさんの事を思いだしました。
 介護の仕事は簡単な事ではないと思いましたが、やりがいがあり、人に喜んでいただきその喜びが自分の喜びになり、人の人生も自分の人生も豊かになり、自分自身の成長にもつながると思い介護の仕事につきました。
 介護の仕事について5ヶ月、まだまだ介護職員としての私は未熟だと思います。
でも、私は笑顔に自信があります。
 ある日、入居者様が「あんたの笑顔、本当にいい顔だわ」と言ってくださいました。
私はこんな時こそ最高の笑顔でいなくてはいけないと思っていたのですが、なぜだか涙が出そうになりました。
 そんな私の顔を見て入居者様が笑顔で「ありがとうね」と言われました。
私は出そうになった涙をこらえて、とびっきりの笑顔で「サンキュー」と言いました。
その後は入居者様と「わはははと」声をだし大笑いしました。
 これからも入居者様の大切な時間を楽しく、手と手を取り合い、心と心で付き合い、一瞬一瞬を大事にしていきたいです。
そしていつも笑顔でいたいです。そして介護の仕事を続けていきたいです。


「私らしく」
勤続10年

 時間に追われ、目の前の仕事をこなして1日が終わる忙しい毎日。そんな中、法人の中堅職員研修にリーダーが参加し、自分の「介護観」「信念」について話をするという機会がありました。このような機会を作って頂いたことで少し立ち止まって自分を見つめ、自身が大切にしていることを再確認することができました。

 介護の仕事を目指したきっかけは学生時代の特別養護老人ホームでのボランティアでした。この時のご利用者の笑顔や「ありがとう」の言葉がうれしくて、人と触れ合えるこの仕事に就きたいと思いました。
 介護の仕事に携わって10年。ずっと心掛けていることは「丁寧な仕事をすること」「最後まで責任を持って仕事をすること」。これはどの仕事においても当然のことだと思います。
入社したばかりの頃、先輩のようにテキパキと仕事ができず悩み、落ち込んでいた私を「初めはゆっくりでも丁寧な仕事をしていれば、利用者さんは見ててくれるよ。」と先輩が励ましてくれました。「仕事が遅い」「もっと○○さんみたいにやんない」と言っていたご利用者も「おまんじゃなきゃだめだわ」と頼りにしてくれるようになりました。認めてもらえたことがとてもうれしく、誇らしかったことを今でも覚えています。こうして少しずつ、
ご利用者や職員との信頼関係が築かれてきたのだと思います。
 そして何よりもご利用者が笑顔で安心して過ごせるように、私自身も笑顔でいること、温かい言葉かけ、スキンシップを大切にしています。
その方の目線に合わせ話を聞くこと、怒らない、否定しまい、利用者のペースを待つこと。
また、ただ声を掛けるのではなく肩に触れたり、体を擦ったり、手を握ったり・・・そこから伝わるぬくもりが安心に繫がっていくのだと思います。
今となれば極当たり前にできていることですが、これは多くのことを経験する中で得たものです。
 ここ数年は対外的な仕事が増え、このまま続けられるのか不安や迷いがありました。しかし、どの仕事をしていても初心を忘れず、信念を大切にして、私らしくご利用者と介護の仕事と向き合っていければ良いのだと改めて気付かされました。そして、これからもご利用者の笑顔と言葉に支えられて、私はここにいるのだと思います。


エピソード
勤続年数 23年

 これから入院というその時、「私どこ行くの?」と。か細い、少しかすれた声だった。 「病院だよ。」と答えると、「そう。」と静かに頷いた。こんなふうに入院直前まで、ひと言ふた言は会話もし、表情を緩ませることもできた。
 病院から、「お亡くなりになった。」という連絡をもらったのは入院して翌日の午後だった。
 いわゆる老衰であったのだろう。Yさんは食事がだんだんと摂れなくなり、日に日に衰弱していった。全身が浮腫み、点滴も入らない。入院する二日ほど前は、布団の中にいても足が冷たく、湯たんぽを入れた。
 体力の消耗を考慮して、入浴は中止にした。私は最後の最後に2回ほど清拭を担当させてもらった。浮腫んではいるが、とってもきれいだった。ある看護師が、「傷なんか絶対つくらんようにしなくちゃね。」と言っていた。最後のひと月間は、すぅっと逝ってしまいそうな状態で、恐る恐る顔を覗き呼吸を確認してホット安心するような状況だった。
 特別養護老人ホームでは当たり前のように迎える最後の時は、老人保健施設では経験する機会が極めて少ない、稀なことであった。ほとんどの場合、もっと早い段階で入院するため、いわゆる「看取り」は予定外のこととしてきたからだ。看取りの体制もない中で、Yさんをぎりぎりまで介護させてもらい、そのかかわりの中で久しぶりに味わう感情があった。老人保健施設に勤務して、実は始めて経験する感情かもしれない。それは、Yさんを「愛おしい」と感じたことだ。自己満足であるかもしれないが、この感情が実は仕事の原動力であり、この感情を抱けるような介護をするために、一生懸命に仕事をしていたようにも思う。
 私たちはさまざまな活動を通して利用者から信頼を頂き、そして私たちも利用者への愛情を高めている。ただ単に、仕事として介護を行うだけではなく、人と人との交流活動を通じて、自分自身が高まっていくことを実感できるのが私たちの仕事である。そして、さらに今回のYさんとのひと時は、「仕上げのひと時」であり、この時間が介護職員としての自分をさらに高める大切な時間であったに間違いない。Yさんが望むことを想像し、苦痛を取り除くことに集中した期間、職員一人ひとりが精一杯考え、関わらせていただいた。そのようなかかわりを通して、私だけでなく多くの職員が愛情という快感を得たに違いない。これからも、快感を得るような介護をしたい。仕事を通じて快感を得たことがない職員がいるなら、快感の得方を教えたい。そして、これからの社会を担う若者たちには、介護はすばらしい仕事であることを伝えたい。
 老人保健施設の職員としての新たなスタートかもしれない。

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