ドンカズの動き

趣味やNPO災害支援の状態の報告です。 宮澤一也の「云いたい放題、書きたい放題」でも地域の事を真剣に考えています。 震災等の活動体験を語り継ぐ大切さを感じました。 今までやってきた活動を元に纏めた、PP等使い防災活動、ボランテアの有効活用等の「出前講座」引受ます。但し顎足付。

2009/10/30 17:39高志国・越国・から越後へ

高志国(越国)から越後の成り立ち
「久比岐国」が史実に語られるのは日本尊命の国造りに始まり、崇神朝にまず、久比岐国が置かれ、成務朝に「高志深江」の国を加えた(設立した)とされる。

では「久比岐」「高志」「深江」三国の地名の意味する処と、その後の地域づくり、発展はどんな関係にあるのだろうか。


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さて「越国(高志国)」はどんな経過を経て、越後・越中・越前に分割されたのかで有る。特に越後が創られた経過を見てみたい。
「越国」成立以前崇神朝には「道君同祖、素都乃奈美留命」が「高志深江国造」「大和直同祖御戈命」が「久比岐国造」に任じられたと「国造本紀」に有ると言う。

そうすると「大和朝廷以前の国造り」の部分は、高志深江・久比岐の二つの「国造」による造営だったと言える(高志・深江・久比岐の三国の可能性も有る)。

もう一つ大切な事は七世紀後半から末の高志(越)「高志深江国」「コシ」が有ると言う事と、此の二つの関係成り立ちの位置づけで有る。
大化の改新前の「越」は今の福井中心で有りその頃の新潟地域は、高志深江と久比岐と見るべきだろう。であるとしたら当初の「越」 「高志」 と完全に別の地域を指す言葉である。

(この項続く)
「クビキ」及び「コシ」の変化の概要図は
「カテゴリー」「市名は如何なる」
 「小冊子の内容・8、皆で後論を」に掲載して有ります。参考にご覧ください。

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