ドンカズの動き

趣味やNPO災害支援の状態の報告です。 宮澤一也の「云いたい放題、書きたい放題」でも地域の事を真剣に考えています。 震災等の活動体験を語り継ぐ大切さを感じました。 今までやってきた活動を元に纏めた、PP等使い防災活動、ボランテアの有効活用等の「出前講座」引受ます。但し顎足付。

2010/01/30 07:50構造線は文化の接点・1

狩猟生活稲作文化の接点

古墳時代後期大和勢力の及んだ範囲を見るとき重要な手掛かりに「国造(くにのみやつこ)」制が有る、少なくとも此の時には国造の作られた地域は表面上、原住民(蝦夷)は大和勢力に協力するか、征伐されたと見るべきだろう。
という事はそれ以前に於いては、大和勢力と原住民とのいさかいが有ったと見るべきだろう。
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それ以前の石器時代から縄文期に入り、森林山地の植生の違いから北と南の人口密度が違っていたと云われている。
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北の植生はブナなどの木が有りそれが現住民の食糧と成ると共に動物の食べ物ともなり、食糧や動物を追った定住地を持たない生活で有ったと云われている。
(遣唐使が唐の天子に、原住民(蝦夷人)の存在や生活様式を問われ答え多内容から推察)

植生境から南に於いては常緑木が主で有り、原住民の十分な食糧とは成らず、肉食源となる動物も少なかった、そうすると当然生活出来る人数にも差が出ており国土の北部分の人口がはるかに多かったと云われている。

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