ドンカズの動き

趣味やNPO災害支援の状態の報告です。 宮澤一也の「云いたい放題、書きたい放題」でも地域の事を真剣に考えています。 震災等の活動体験を語り継ぐ大切さを感じました。 今までやってきた活動を元に纏めた、PP等使い防災活動、ボランテアの有効活用等の「出前講座」引受ます。但し顎足付。

2010/06/27 10:18鉢飛び伝説はどうして生まれた?・2

その頃、頸城地域の山間耕地では「米」は育たなかったのではないだろうか。 

南方作物だから、此れは当然で、平地なら兎も角、山間高地では到底育つ作物では無かったと考える。

だから何年に一回の凶作は当然で「此の対策は」農村地域の大問題で、娘売り・間引きが在っただろう。
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各地を回っていた、 「高僧、泰澄」は寒冷地の出羽で育つ米なら高地でも育つと考えた。

其処で沖行く船に「種籾」を分けて貰うべく、弟子の「沙弥」を使いに出した。
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然し米を運ぶ「上部清定」は、官米だからの理由で分けてはくれなかった。

その理由は単に「官米」だからだったのか、「種籾」を分ける事の産物分散を防ぐためだったのかもしれない。

然し何回もの航海が無事であったとも思われない。

在る時、暴風等に会い船が、入江に避難や、遭難の事態も当然考えられるだろう。
その時、地元の住民等が、救助しなかったり「略奪行為」も考えられる。

だが、高僧泰澄や弟子沙弥は住民に対し「困っている人」に救助の手を差し伸べる大切さを説いたのではないか。

助けられた、上部清定等は自分達が頼みを拒んだのに、遭難時親切な対応を受け、出羽で作っていた「籾」を分ける事にした。

此れによって「米山」の山頂近くまで「稲作」が出来るようになり、地域の生活は楽になった。
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此れが新説「鉢飛び」物語である。 

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