ドンカズの動き

趣味やNPO災害支援の状態の報告です。 宮澤一也の「云いたい放題、書きたい放題」でも地域の事を真剣に考えています。 震災等の活動体験を語り継ぐ大切さを感じました。 今までやってきた活動を元に纏めた、PP等使い防災活動、ボランテアの有効活用等の「出前講座」引受ます。但し顎足付。

2010/12/29 07:36小生と新潟県日中友好協会の軌跡・2

県日中の改組と、時を同じくして、上越日中も改組され、上越商工会議所会頭を会長に迎へ、事務所を同事務所内に置かせて頂き、新しい活動を開始した。

小生も、当時の前田事務局長の要請を受け「風除け」的存在とし、役員の末席に名を繋げる事と成った。上越日中代表で、県日中理事と成り各種行事に参加させて頂いた。

県都より遠い県南地域の代表としての地域活動は、小生の見識を広げさせて頂く機会、県都域の情勢を研鑽させて頂いた。

県庁建設地域の確執、それに関連する現ビックスワン地域開発問題。
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新潟東港と、三江平原開発問題、此れらを繋ぐ計画「図們江開発問題」等、此の地では知りえない情報を、佐野会長等の教えを得た。
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又中国訪問も、県日中代表団・各種添乗、随員等の立場で発展途上の中国各地を訪れる機会を得た。

中国では、小生の様な者が会えない様な、廖承志氏、孫平化氏等の中国要人と会見する等の機会を得、国政要人でなければ入れない、国、省の接待所等の宿泊機会も得た。
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県日中は、佐野会長もとに、活動を広げていたが、何時も活動資金難に喘いでいた。

これは我が国における、民間活動機関の永遠の課題の様だ。

県日中友好活動の象徴的存在であった佐野氏が、平成8年(1996年)東京で急逝され、県日中は新たな会長を得、、ハルピン、新潟直行便運航・総領事館誘致問題などで、中国側と話し合いを、続けて来たのである。

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