ドンカズの動き

趣味やNPO災害支援の状態の報告です。 宮澤一也の「云いたい放題、書きたい放題」でも地域の事を真剣に考えています。 震災等の活動体験を語り継ぐ大切さを感じました。 今までやってきた活動を元に纏めた、PP等使い防災活動、ボランテアの有効活用等の「出前講座」引受ます。但し顎足付。

2009-10-01 08:14:58.0 なされるがまま

稲株は私達に何を示すのか。

稲文字田の取り入れが終わってやがて4週間、刈り取られた稲束は、ハサにかけられ、美味しい>「コシヒカリ」に姿を変へ食卓に上がり注目を浴びる事だろう。田植えから刈り取りまで「義と愛」で色んなメディアに取り上げられ、注目を浴びた水田に残された稲株、第二の人生を歩むべく再び芽吹いてきた。3087_125435076100.jpg
どうせ実る事は無いと侮ってはいけない、豊かに実りの時を迎えようとして、頑張っていた最盛期の姿を目指して居るのかも知れない。然し此れからの気候は厳しさを増し再び実る事は無理だろう。だが再び芽吹いた稲株は当初の稲文字の姿を現そうと力を振り絞って居るのかもしれない。結果は不十分でも、この芽株少なくとも、太陽光を頂き少ないかも知れないが「酸素」を生みだし「地球温暖化」を防止しているのではないか。人間誰でも年を取り「第二の人生」を歩まざるを得ない。其の時、気張る事無く、今までの職業や、人生経験を生かし、何気なく生きて行く、其れが自然に世の中に役に立つ事かも知れない。
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2009-09-29 08:26:37.0 正直な先生

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医者には痛みが分からない。
2年位前から膝関節が痛み、医者の言葉を信じ色々「小手術」を行ったが良くならない。今年意を決し両足の関節の「骨切り術」を遣って貰う事にした。両足を一度と云ったが、そう行かないはと云うので2月に右足の手術、痛みには強い方だが手術後3時間もすると麻酔が覚め、痛みが増してくる、「看護師」はたびたび巡回痛みを確かめる、我慢はしなくて良いと云うが、どんな痛みが来るのか分からない、いよいよ痛くなり座薬挿入、だが痛みは治まらない、そして注射、効くまで1時間、痛みとの闘い、もっと早く対応して貰えば良かったと思ったが「後の祭り」。左足は5月に手術、今回は前回の経験が生き早めに対応をしてもらったので、余り痛みを感じなかった。其の後担当医が巡回、 「痛みはどうですか、医者は手術はしますが、された経験が無い、だから患者の本当の痛みは分からない」と全く正直な言葉、でもこの言葉最初の手術前にほしかった。 「病んで医者になれ」は患者本位の言葉か。
 最初の手術から半年、お盆には杖ともさらば、何とか二本の足で歩いている。もう少しリハビリに頑張り、「早く直して暴れるぞ・・」の気持ちでブログを書いている。 

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2009-09-27 13:27:03.0 内容小冊子の内容・8.(終)皆で議論を

市名は市の顔 
一口に市名・地名といっても番号や符号ではありません。地名は、土地を表現するいろいろな要素を総称しています。市名は、其の自治体の区域を表現します。地理的・距離的な意味合いを持っているなかで、愛着やアイデンティティ(自己確認)としての役割が大きいと考えています。 では私達の住んでいる「上越市」はどうでしょうか。高田・直江津の合併で世に市名として「上越」が誕生してから三十七年。十四市町村の広域合併で新市「上越」として四年目を迎えました。合併して数十年経った自治体で、市名の変更運動がおこるケースはまれだと聞いています。
上越新幹線や上越線とまぎらわしいという声に「しが成長発展することによって、逆にそのイメージを吸収する日が必ず来る」と行政は強調しますが、未だそうなってはいません。 
私たちは「上越市の名前でいいんですか?」と市民に問いかけてから二年に成ります。市議会でもことあるごとに市名問題が取り上げられています。 これまで会として、新潟県史はじめ中頸城誌、各市町村市などに目を通し、また図書館等で地名や郷土史の調査・研究に取り組んできました。市名・地名を通し郷土と民衆の歴史を考え、自分を見つめることの大切さを痛感しました。 今、市名を議論する意義は、「上越市」に代え真に愛着の持てる市名を作る事にあります。市長は「市名の由来は上越後(かみえちご)にある」と主張していますが、私たちの会で調査研究した結果、その歴史的裏付けが薄いというのが結論です。 すぶり続けている市名問題の原因は何処にあるのでしょうか。「上越」という市名をきめた手続きか、それとも「上越」という名称自体なのか。それとも両方なのか。これが市名を考える「最後のチャンス」と私たちは考えています。
 ぜひ、市民のみなさんの知恵と意見をお寄せ下さい。
今回で小冊子の概要の掲載は終わります。この間書き込みも頂きました。感謝します。

下の二図は、コシ、およびクビキ地域の区域変化等の概要図です(どんかず作)

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2009-09-26 07:23:28.0 桃太郎旗の訴え

はためく旗は何を云う

取り入れが最盛期の農村地域の路肩に、取り入れの安全や、交通安全等を訴える「登り旗」が立っている。その中に此の頃何を訴えるのか良く解らない旗が立っている。代わり映えのしない、何を云おうとしているのか、誰が経ったのか私達には分からない。こんな旗、街中立っていたら、全く目立たないだろう。だから街中で立っているところはある程度限定されて居るのかも知れない。
 云うまでもなく一ヶ月後に迫った、お祭りに関しての>「訴え」だろう。だが何と個性がない事なのか
今は「市民派」を表面に出さないと選挙は戦えないとか、でも庶民には誰が何を訴えているのか皆目見当がつかない。効果が少ないと思われる余計な所に金をかける、こんな首長選びで本当に良いのだろうか。


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2009-09-25 08:34:19.0 小冊子の内容・7。[識者の声]

 
くびき野の一隅から
 杉 みき子(様)児童文学者
 
生まれてからずっと「高田市」で生きてきた私は、この市名が消えたとき、自分の全存在を否定されてしまったような気がしました。生まれ育った土地の地名は、その人間の心と体の一部です。市民にろくな相談もなく、ずさんな投票などで機械的に改革してしまっていいものではありません。市名地名を含めた「ことば」が人間の心に及ぼす影響も、もっと真剣に考えなくてならないと考えます。
 「上越市」という名ができてから四十年近くたちますが、この名を使うのが未だにいやでたまりません。せめてもの抵抗で、名刺には「もと高田市」とつけ加えています。
私的な文章では「くびき野」をよく使いますが、これは現在の「上越市」全体をカバー出来る名称でもあり、個人的にはずっとこれでいくつもりです。


歴史的郡名を継承しよう
 楠原 佑介(様)(地名情報資料室主謀

 奈良時代後期、古代律令国家は地方を66国2島・555郡(『律書残編』のち『和名妙』では592郡)・4041郷(『和名妙』)に区画していた。その一部は、1700年前の中国の史書「魏志倭人伝」にも掲載されている。
中世、荘圓制の展開や武士団の領地争奪により歴史的地名が混乱する事態が生じたが、近世初頭の土地調査確立過程で古代国郡制が再確認され、近代の郡制でもおおむね踏襲されてきた。
 世界中で、これだけ古い歴史を有する地域群を、これほど多数保存し継承した国や地域はほかのどこにもない。
天皇制や封建土地支配制度という歴史過程伝承的地名群を忌避し改廃する理由は何もない。
現代行政区画名で有る市町村名も、歴史的伝統的地名を継承せよ、と主張するゆえんである。

(以上小冊子より)

杉 みき子 氏 略歴
 新潟県 高田在住
 昭和32年・「かくまきの歌」ほかの短編で日本児童文学者協会新人賞を受賞。
 昭和47年・「小さな雪の町の物語」では小学館文学賞を受賞
 昭和58年・「小さな町の風景」で赤い鳥文学賞受賞
       「白い道の記憶」で新潟県同人誌連盟賞を受賞・
        他多数の児童文学等を執筆
 日本児童文学者協会会員


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楠原佑介 様の活動紹介
楠原佑介(くすはら ゆうすけ、1941年 - )は地名研究家、フリーライター。「地名情報資料室・地名110番」主宰。岡山県児島郡小串村(現:岡山市)生まれ。埼玉県上尾市在住。京都大学文学部史学科(地理学)卒業。出版社編集部退職後、フリーライターに転じた。住居表示・市町村合併などによる地名の変更に警鐘を鳴らす活動をしている。 地名の改変、保存、地名語源などの研究の実質的な第一人者の一人。いわゆる地名だけでなく、駅名、国際的な紛争の渦中にある竹島や日本海など広義の地名にも新聞や雑誌等で、広い視野から意見を述べ、また各種地名辞典や地名資料の編集にも積極的に関わっている。(引用)
私たちの「市名を考える会」でも講演、指導を頂いている。

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