ドンカズの動き

趣味やNPO災害支援の状態の報告です。 宮澤一也の「云いたい放題、書きたい放題」でも地域の事を真剣に考えています。 震災等の活動体験を語り継ぐ大切さを感じました。 今までやってきた活動を元に纏めた、PP等使い防災活動、ボランテアの有効活用等の「出前講座」引受ます。但し顎足付。

2009-09-19 17:12:56.0 小冊子の表紙です。16頁構成です

小冊子の表紙です。16頁構成です
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2009-09-19 10:11:30.0 小冊子の内容・3

今までは合併に際しての行政側の言い分を主に書いてきましたが、是からは小冊子の内容で私達の調査内容や意見を書いてみたいと思います。。(以降4回に分け投稿)
(以下小冊子より)
市民が誇りを持てる市名を!
市民の意思を第一に 
平成の合併が「第三の革命」といわれる地方分権の延長上にあると考えたとき、住民も行政側も血を流さんまでも汗をかくべきでした。
 合併後の事業や制度等の議論は当然ですが、合併のシンボルともいうべき市名に付いて住民の意思を問わなかったのは、「仏作って魂入れず」です。「合併方式は編入でも、気持は対等」と、木浦市長は上越地域合併協議会の冒頭で宣言したにもかかわらず、実行されませんでした。
 対等とは二者の間に優劣・上下の区別がないことを意味しますが、旧市と旧十三町村との一体感醸成のためには、わだかまりを抱えたままではマイナスであるのは言うまでもありません。
地名は地域の文化
地名はその地域の文化であり、歴史や生活を伝えるシンボルなのです。三十数年経ってもなじめない市名に誇りなど持てるわけはありません。ましてや他の地域とまぎらわしい、いちいち説明しなければ分からない市名など最悪です。
 民族学者の谷川健一さんは「地名は日本人のアイデンティティ(自己確認)に不可欠な存在で有り、日本人の情緒を触発する媒体」と言っています。
北陸新幹線・新駅名の議論と共に 
北陸新幹線の開業をひかえ、駅名議論が活発になっています。それに合わせ市名問題も決着すべきであり、今が最後のチャンスだと思います。「上越市」に代えて真に市民が誇りを持ち、愛する事のできる市名をともに考え実現させましょう。このささやかな冊子が、そのために少しでも役立つことを願っています。

2009-09-18 16:31:58.0 人を喰った話

貧乏な話が出たのでもう一つそんな話。
一昨年は春早々、能登沖震災、七月には中越沖震災と続いた。私も災害地でボランテア活動、
多くの仲間と被災地で震災対策を経験させて頂いた。能登輪島では三条の防災支援団体がボラセンの先頭で活躍、私も指導頂きながらの活動をした。その夏今度は柏崎で一緒に活動の機会を得、地元の社会福祉協議会の皆さんが云えない事を市や、県の担当者に改善を直訴、また被災者の求めに応じられない事や不満の対応、地元の人では人的関係で大変な事を分担、その活動は9月中ごろまで続いた。そんな活動の中で雑談も有った。
 ボランテアを続けながらの生活の話と成り、収入原は何処に有るかで、私に対して如何して生きて居ると為った。半年以上のボランテアで収入減は有りません
「今は霞を喰って生きています」に、三条の知人あんたの喰っているのは「霞」ではな「人」を喰って生きているんでしょうと為った。
確かに私の人生「人を喰って生きていた」が正解かもしれない。半年位な付き合いで人の本性を見抜くのは、流石多くの被災地で「他流試合」、いろんな人の付き合いの結果かもしれない。でも半年で本性を見破られるとは、まだまだ修行不足の私である。
 キリスト教の教えの中で「人はパンのみで生きるにあらず」とありこれを「パンのみで生きるにあらず」とは人間は「パンが無ければ生きられない」と云う事だと云った人がいた。確かに人間は食べなければ生きられない。こんな生活をしている私だが、貰い物も結構多く何とか生きている、誰かが見ていてくれるのかも知れない。

2009-09-17 19:14:31.0 貧乏人生60余年・・・。

我が人生、お金と女性には縁が少なかった。だから今まで何事も無く過ごせたのかも知れない。 
橋の下で生活する親子、子が親に橋の上を歩く人が蒼い顔で歩いている、どうしてかと聞いたと云う。親は、あの人達は就職や進学の為「試験」が有るだから心配で蒼い顔でいるんだ、お前は親のお陰でそんな心配は無い、親に感謝しなさいと言ったと云う。
「貧乏も板に付いたら一人前
」そう思っての人生、金は入る前から出るところが待っている、ますます貧乏が板に付く。こんな生活だから「振り込み詐欺」にかかる心配もない、振込犯、お金の有る所を知って居るらしく、我が家にはそんな電話も無い、電話が有っても振り込む金が無いから被害にかかる心配もない。
良くした物で我が連れ合い、三度の飯が食えれば「幸」と思って呉れて居り、貧乏に不満を云わない。だからボランテア活動や友好活動ができる。有難い事である。

2009-09-16 12:08:33.0 小冊子の内容2・上越線と上越市の混同

合併協議の時、「上越」の発音の混同について市側は上越線は「上州」と「越後」の上の二文字からなっている、一方上越市は「上越後」の後が取れた物であり、問題はないとの見解を示した。また市長は、混同があるなら「上越新幹線」を「新潟新幹線」に変えれば良いとの発言をした。北陸新幹線の市内の駅名さえ行政の大きな動きは見られない、増して「新潟新幹線」への変更運動はどうなったのか、全く動きは無いようである。 
引退を表明した市長に望んでも無理か、でも発言した責任はどうなる。他にも「道州制取り入れ後の上越州都論」も合併時のアドバルンに過ぎないのか。
だとするとなんとも無責任な市長だ。

 「上越市」の位置について関東圏等の認知度は低い。これを如何するかが課題であり、市名変更運動の一要素でもある。
上越市に為って30年以上経過し、今さらの意見も多い、でも新幹線駅名と共に今こそ私たちの市名を真剣に考える機会でもあると思う。
特に編入合併された旧13町村の住民は合併後しか市名変更の運動は出来なかったのである。