ドンカズの動き

趣味やNPO災害支援の状態の報告です。 宮澤一也の「云いたい放題、書きたい放題」でも地域の事を真剣に考えています。 震災等の活動体験を語り継ぐ大切さを感じました。 今までやってきた活動を元に纏めた、PP等使い防災活動、ボランテアの有効活用等の「出前講座」引受ます。但し顎足付。

2014-05-19 07:42:07.0 話題提供依頼

5月31日午後「郷土の地名と歴史を訪ねる会」が発足するとか。

 

7年余り地域の地名問題に取り組んだグループの、新たな取り組みの始まりとなる。→(指)

 

その設立集会での「話題提供依頼」が舞い込んだ。

 

動きの悪いパソコンで、資料の整理を行っている。あり

 

昨日は高田図書館で開催中の「福島城」関連の写真を取ってきた。

 

高田開府400年、この中の疑問に取り組んでいる。

2012-10-08 21:19:13.0 キビタシの森、観劇して感激

8日午後3時、小生、新潟市東区プラザホールに居た。

新潟駅から約4km、歩いて約1時間であった

興味ある演劇が行われた、此れを見る為に行ってきたのである。

今から1500年位前か、大和政権が蝦夷を制定する為に作った前進基地。

渟足柵の役人とその手先、蝦夷と云われた森の民・それを助けるコシの人。

約2時間近い演劇であった。

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クビキの成り立ちを勉強し、頸城平丘陵地帯の古墳群、なぜ出来、誰がなんで葬られたのか

古代の大和制定に伴う、土地の豪族の墓。

そんな簡単な事なのだろうか。

どんな社会にも、頑張りながら歴史から見放された人たちが居る。

そんな人が、地域の住民の事を、将来を本当に考えているのかもしれない。

2010-07-05 18:00:13.0 直江津の由来

4日に「市名を考える市民の会」で地名の検証が行われた。
今回のテーマは直江津。
発表者は牧野守氏。

上越市史を中心に「直江津の由来」と題し話された。
直江の名の起こりは諸説ありとされ

①・古くは直江荘で有った事による。

②・直江氏が此の地を支配していた事による。

③・アイヌ語のナヨップ(海と川口の間の集落)がなまった事による。(直江津今昔物語)

④・和むの動詞が変化した。(直江津今昔物語に在るが否定的記述)
 
また直江津町史では「直江」に付いて「越中から来た場合、郷津あたりまで岬や岩が有ったのに、ここから直線とも云える海岸線で単調な砂浜が続く事になる、つまり直海で有り直江で有る」としている。
等、身近な書物より地名の成り立ちを紹介された。
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又その後江戸期からの、今町と直江津の関係から、時代による「地域名」の変化等が話された。

此れ等に対し参加者から多くの意見が出された。

特に「直江」の始まりは古く「上杉家・直江家」以前から地名として在った様で、直江家が「由来」とする、郷土史研究家の意見には否定的な様である>(この項、宮澤の感想) 

2010-06-27 10:18:26.0 鉢飛び伝説はどうして生まれた?・2

その頃、頸城地域の山間耕地では「米」は育たなかったのではないだろうか。 

南方作物だから、此れは当然で、平地なら兎も角、山間高地では到底育つ作物では無かったと考える。

だから何年に一回の凶作は当然で「此の対策は」農村地域の大問題で、娘売り・間引きが在っただろう。
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各地を回っていた、 「高僧、泰澄」は寒冷地の出羽で育つ米なら高地でも育つと考えた。

其処で沖行く船に「種籾」を分けて貰うべく、弟子の「沙弥」を使いに出した。
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然し米を運ぶ「上部清定」は、官米だからの理由で分けてはくれなかった。

その理由は単に「官米」だからだったのか、「種籾」を分ける事の産物分散を防ぐためだったのかもしれない。

然し何回もの航海が無事であったとも思われない。

在る時、暴風等に会い船が、入江に避難や、遭難の事態も当然考えられるだろう。
その時、地元の住民等が、救助しなかったり「略奪行為」も考えられる。

だが、高僧泰澄や弟子沙弥は住民に対し「困っている人」に救助の手を差し伸べる大切さを説いたのではないか。

助けられた、上部清定等は自分達が頼みを拒んだのに、遭難時親切な対応を受け、出羽で作っていた「籾」を分ける事にした。

此れによって「米山」の山頂近くまで「稲作」が出来るようになり、地域の生活は楽になった。
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此れが新説「鉢飛び」物語である。 

2010-06-26 17:48:29.0 鉢飛び伝説はどうして生まれた?・1

鉢飛び伝説はどうして生まれた?・1

奈良時代の高僧泰澄和尚の弟子沙弥(臥行者)、は毎日、海を眺め沖を通る船に「鉢」を飛ばし糧を得ていた。この様な伝説は各地に見られる。

伝説、神話として云い伝えられる事として見れば良いのかも知れない。

頸城平野の東部丘陵の海よりに在る米山、この南側の寺に伝説の石碑が立つ。

だか此処から日本海は望めない、なのに何故沖の船に「鉢」を飛ばす事が出来たのだろうか。
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鉢を空に飛ばす位だから、そんな事は考えなくても、お見通しなのかもしれない。

米山に付いては此の、鉢飛び伝説により「米」が飛んだので米山説。
山頂近くまで「米」が栽培されて居るから米山説が有ると聞く。

高僧泰澄和尚な実在の人物とされている。弟子沙弥(臥行者)も実在の人物と考えて良いだろう。

出羽の住人上部清定が、上米を運んでいたとされる事も、人名はともかく上納米が運ばれて居た事は確かだろう。

此れに対し、通行税、寄港給水等消費物資等の手数料も当然要求したと考えられるが、上納米との名目で、拒否軽減を求めた事も考えられる。

此れが鉢米、拒否として語られた事に無理は有るだろうか