ドンカズの動き

趣味やNPO災害支援の状態の報告です。 宮澤一也の「云いたい放題、書きたい放題」でも地域の事を真剣に考えています。 震災等の活動体験を語り継ぐ大切さを感じました。 今までやってきた活動を元に纏めた、PP等使い防災活動、ボランテアの有効活用等の「出前講座」引受ます。但し顎足付。

2009/10/29 19:37 久比岐の意義

久比岐とはどんな場所だったのか


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高志(越)そして久比岐の成り立ち
大国主の命と奴奈川姫の恋は、久比岐野を語るとき最初に出てくる物語と言って良いだろう。では其の「久比岐野」とは、どんな成り立ちを経て、現在の「頚城」と言われる様に成ったのだろうか。


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私たちの住む「頚城」は当初「奴奈川」と「久比岐」に分かれて居たかも知れない。
「クビキ」の表現には次の四つが有る事を認識しなければならない。多くの人が認知している、「久比岐」「頚城」此の他に「久比支」と「久疋」が有るこのほか「クヒキ」の表現も有るこれは享保八年版本「延喜式」民部省に記されていると言う。


まず「久比支」だが、東急本「和名抄」国郡部にあると言う。
「久疋」は天平勝宝年間の庸布墨書(正倉院宝物)「越後国久疋郡夷守郷戸主肥人堡麻呂庸布壱段」とされ、麻布「青芋」の献上書の様である。


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 「久比岐」越の国の一部とされる。又、「日本書記」に天智天皇七年(六六八)越の国から献上されたとする、燃える水・燃える土の記録の頃は「越の国」であり少なくとも三分割される以前は、越前地方から北は一つの「越の国」とされる。
(この頃「越」と「高志」は違う地域論も)
又清里村史では、大和朝廷から「久比岐」の国づくりが追認されたとする記述も有る。

2009/10/29 06:39 地名は如何して付いた

地名は如何して付いた。
新市に13区に次いで旧市15地区にも「地域協議会」の委員が選任された。
さて此の地域名どんな経過で付けられたのだろうか。

記録が残されている700年代に始まった地名、戦国から江戸時代、そして明治・昭和30年代の合併時に付けられたもの様々。

そんな地名の大元は「コシ」「クビキ」に始まる、それもどの漢字を使うかで、時代も意味も変わってくる。

この変革を「市名を考える市民の会」で調べてきた。
「クビキ」を調べた研究者は皆無に等しいと云う。
そんな中色んな研究書を調べてみた、当分の間お付き合い頂ければ幸いである。


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学論から外れた討論も(勝手にこんな事を考えた)
 
「くびき」と言われた私たちが生活を積み上げた地域、平成の大合併でこの地名は僅かに「気象情報」の中で「上越東頸城地方」としてだけ残った。無くなった地域名がこんな形で残っている事は皮肉で有る。


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無くなって仕舞ってから地域名を考えるなど「下衆の知恵後からまわる」の典型かもしれない。
知識のある人から見れば馬鹿にされる事は必然。でも無学故、そんな事を恐れず、過去の地域の成り立ちを継ぎ合わせ、文献に無い部分を推論で補ってしまう。学者の皆さんには許されない事だろうが、これも素人の良さと考えてほしい。
文献に無いからダメ等と云わず、間違っていたらどうして間違っているのか、何が正しいのかを議論して自分たちの地域の過去を洗い出したらどうだろうか、案外この地域の成り立ちを知る事が出来るかもしれない。


次回に続きます。