ドンカズの動き

趣味やNPO災害支援の状態の報告です。 宮澤一也の「云いたい放題、書きたい放題」でも地域の事を真剣に考えています。 震災等の活動体験を語り継ぐ大切さを感じました。 今までやってきた活動を元に纏めた、PP等使い防災活動、ボランテアの有効活用等の「出前講座」引受ます。但し顎足付。

2009-12-03 08:21:41.0 三区分は何時からか

後はどうして取れたのか.
越後の郡は、六郡から明治の変動期の藩政から藩区域県政や大区制を経て一五郡となってきた。
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これが確立したのは明治一二年、郡区編成法が敷かれた。
これにより頚城も三郡に分かれた。
私の考えで,越後に現在の三区分が必要になったのは此の頃であったと推察する。今まで藩区分等で表現できたが、広い範囲での区別が必要になり区分したのではと思われる。

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またこれより後の「郡事務所」の廃止が有った頃かも知れない。

此の時の三区分は頚城地域が上越魚沼・古志・刈羽・三島・南蒲が中越、其れ以北が下越ではないかと推論するが、中・下越の区分がどこなのか、過去は、現在はの、調査も必要と思われる。

私は過去の報告でも触れたが、越後・越中・越前の三区分した頃国府と言われた頃の繁栄から蒲原の農地開発等の発展から、新潟城の設立など港湾船便の運用などの利権の集中と実質的経済圏の移動等の要素をも考えてみる必要があるのではないだろうか。

又、加賀国及び能登国が七百年代に越前から分離された事が判明した。