ドンカズの動き

趣味やNPO災害支援の状態の報告です。 宮澤一也の「云いたい放題、書きたい放題」でも地域の事を真剣に考えています。 震災等の活動体験を語り継ぐ大切さを感じました。 今までやってきた活動を元に纏めた、PP等使い防災活動、ボランテアの有効活用等の「出前講座」引受ます。但し顎足付。

2009-12-07 12:07:47.0 佐味と夷

佐味郷の意味する処は、
佐美(佐味)郷とは「佐渡」の類にて上国より下越に下がるに佐渡を左に見る為の地名。とされるが、「佐」に対しての意味を用水と、するという。

さて佐味郷には尾神嶽があり「大出口」泉水が吹き出し、後の明治22年の合併での「水源村」の意味する処とされ、明治34年の合併で「源村」に変っているが水源地の意味は継続されていると云う。


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佐味郷の先端部分に有るのが現在の大潟の犀潟で有るが、ここも当初は「犀浜」と呼ばれたという。北東に海と南西に広大な低湿地沼池接した土地に砂丘が広がっていたと思われる。

もし「サイハマ」「佐水浜」で有ることは否定できるのだろうか。 「佐」に対しては、水源、用水の他、語調を整えたり、狭い等にも使われるという。


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夷の地域で何が有ったのか。

越後古図等の地名に「えびす」と記されているところが多く「さびれた地域」とされるが、古図が制作された時代は江戸時代が多いとされ、多くは言い伝え等から描かれたと言われ、図に記されている神代の姿では無いが、今の定説の様である。
だが現実に「夷」の地名は残されている。


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一つは前述の事だが、もう一つは「えびす様」を祭った所に起因するという。

私も当初夷浜は海岸地域であり当然「えびす様」関連と思った。

古代地図等から寂れた地域と蝦夷関連を知り以前は未開の地域の表現とした。

越の先住民族蝦夷の存在大和民族の北地征伐の中で何が有って地名に関連したかである