ドンカズの動き

趣味やNPO災害支援の状態の報告です。 宮澤一也の「云いたい放題、書きたい放題」でも地域の事を真剣に考えています。 震災等の活動体験を語り継ぐ大切さを感じました。 今までやってきた活動を元に纏めた、PP等使い防災活動、ボランテアの有効活用等の「出前講座」引受ます。但し顎足付。

2010/01/07 08:31 北陸道と「コシ」

北陸道の「コシ」

 「コシ」を考えるとき、この言葉がどの様にして生まれたかを考えなければ成らない。

前項の通り「コシ」に十一ケ国が記されているとされるが、この時「高志および越」の言葉が存在したかである。

八世紀初頭大和王権は全国を畿内・北陸道・東山道・東海道・山陰道・山陽道・南海道・西海道に分けた、そしてその下に「国」その下に郡・里の行政区画を設けた。

日本書紀によれば、崇峻二年(五八九)に阿部臣が「諸国の境を観る」の目的で北陸道に派遣されている。
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越の十一カ国と云うが本当は「北陸道」の道筋が十一ケ国が正しいのではないか。

「越」が北陸道の統一の過程で徐々に北部に拡大して云ったのであり「越」「角鹿(つのが)の坂」を前提にしたなら、若狭と敦賀を除いた福井県域から「越」が始まることになる。
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越の領域は徐々に拡大していくが、拡大とともに地域監視の体制が不備となり、また原住民討伐先進地域が監視者から遠くなり地域行政、戦闘指揮を身近とするため「越」の分割が必要と成って云った。

特に出羽郡および第一次越後国制定時における越中国は広大であり、まして静岡・糸魚川構造線の山地は住民監視に多大な障害で在り、その後の出羽国・三次越後国の地域確定に多大な影響が在ったことが推定できる。