ドンカズの動き

趣味やNPO災害支援の状態の報告です。 宮澤一也の「云いたい放題、書きたい放題」でも地域の事を真剣に考えています。 震災等の活動体験を語り継ぐ大切さを感じました。 今までやってきた活動を元に纏めた、PP等使い防災活動、ボランテアの有効活用等の「出前講座」引受ます。但し顎足付。

2010/01/21 08:23 古墳文化の伝播

古墳文化の伝播
 頸城における前期古墳の様子は比較的解ってきたが中期に入ると実態は不明で有る。

前期以降の古墳が確認されるのは中期でも後半の(五世紀後半頃)初期群集墳で有り、比較的小規模の古墳が群を成す物である。頸城ででは、新井天神堂・観音平古墳群である。
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前期古墳群遺跡から後期古墳群の中断は、大和政権の進出が日本海ルートから内陸(東山道)変化が考えられる、また古墳石室の状態から頸城や魚沼は北関東系と思われる。

それは胴が膨らむ形は北関東に多いためで有る。

一方佐渡は畿内系と思われる「横穴墓」が主流である。水運伝達が考えられる。此の変化は急峻な山岳地帯の伝達困難と考えるべきだろう。
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越中では横穴墓が主流でありそれの分布は青海町までと言われている。

一方、頸城東部の古墳群の多くは横穴式石室では無いが小型の「箱式石棺」と思われ作られたのは古墳終末期と考えられよう。

「横穴墓」は丘陵の中腹に直接横穴を掘った物であり初期群集墳から横穴式石室墳の変化は形態の変化だけでなく葬送に係る儀礼や祭礼の変化とも言える(557p参考)