[ 2010年2月 ]
全32件
|
1
|
2
|
3
|
4
|
5
[最後]
次の5件 »
2010/02/28 08:11
オリンピック
オリンピック
色んな話題を提供してくれたオリンピック、終盤と成った。
開会前の期待通りには行かなかった様だが、 「其れ成り」の結果だったのかとも思う。

競技前の過大な期待は、選手の皆さんの「応援」になったのか其れとも「足を引っ張った」のか。
テレビ等の報道は、日本の選手の為になったか、又相手選手側に「戦術」を提供し、 「対策」を立てる「情報提供」に成って仕舞ったのではないか。
オリンピック等の国際競技大会での、過大期待報道で勝てないのは「選手」の皆さんの実力不足だけなのだろうか。
又一・二の選手の服装問題は、日本全体の「行動・躾」確認の為と、すべきでは無いのだろうか。

オリンピックでの金メダル確保は、世界記録を更新するより難しいとか。
全体のメダル獲得の選手の姿を見ると
「金うれし
銅でも嬉し
銀口惜し」
こんな姿を感じた。
特に浅田真央さんや団体スケート選手の気持ちなのか。
銀でも、皆さん良くやったと拍手を送りたい。
2010/02/27 19:24
テレビ会社の常識
テレビ会社の常識
27日夕方、NSTの「スマスタ」を見ていた。
その中で、妙高市を「赤にこだわる」形での紹介が有った。

女性リポターが、赤倉スキー場や妙高市の「かんずり」の製作過程を紹介した。
屋外で、赤唐がらしの「雪さらし」も、面白おかしく放映。
その後、製品仕込を職人と共に、何の躊躇いも無い形で>、「髪」を覆う事無く参加。
こんな姿を放映する、テレビ会社の常識は何処に有るのか。
又、この様な姿でリポターに「仕込み」をさせた会社の常識は。
放映されれば自分の会社の「宣伝」に成るとでも考えているのか。
こんな会社で良いのだろうか。

番組製作者、放映責任者もテレビの影響力を考へ慎重な態度で番組制作を行ってほしい。
保健所等の指導体制はどうなっているのだろうか。
若者等の行動批判の前に、大人の責任は重大である。
今回早速、放映会社に指摘電話を入れ様と思ったが「営業時間外」との音声対応、此れも現代的対応。
テレビ会社よ貴方達の常識とは此の程度なのですか。
古太鼓の其の後
持ってきた朱塗りの古太鼓、虫穴から虫粉が出てくる、未だに木くい虫が寄生している様だった。
これ以上の虫害を防ごうと、朱を落とし殺虫剤の塗布と注入を行い、虫穴を木屎と接着剤で補修、其の後 「柿渋」 を塗布した。
此の修復作業、言葉で書くと極簡単だが、この期間約2年を要した。
その後、古欅で「台」を作り現在保管中である。

2010/02/26 07:47
古太鼓の謂れ
朱塗りの古太鼓
今から20年近く前、高田寺町のお寺で改修工事が行われた。
其処で雑用的仕事をさせて貰っていた小生、天井裏に入って色んな角度からの写真撮影を依頼された。
其のお寺で保存工事始まり、内容物の多くが野積み状態で置かれ、一部雨に濡れる状態だった。その中に皮が破れ、虫に食われた朱塗りの太鼓が有った。
関係者に「あの太鼓要るんでしょうか」と聞き、 「要らなければ欲しい」と住職さんに聞いて貰った。
「要らない」持って行って下さいとのこと。
ただでは問題が有るかと「酒2升」で頂いて来た。
皮は破れ、太鼓の胴も虫穴が多く、妻は又ガラクタを持って来たの言。
数か月其のままで置いたが、破れた皮を剥いで見ると、作成年代や製作者の名前が胴の中に書いて有った。製作年代は宝暦・製作者は、京三条・橋村利右衛門や利重?(花押)が有り、明治代に高田で張替が有った書き込みが有った。
その後虫食いを修理すると共「橋村利右衛門」とはどんな方だったか、調べたいと思った。
また宝暦年代には、高田に「大地震」が有った事も記録に残っている、此れ等の関係は有るか等興味が湧いた。

まず作者と思われる、橋村利右衛門氏に付いて調べたいと、高田の仏具屋さん等に京都の仏具屋の紹介を頂き電話をしてみた。
京都の仏具屋さんによれば「橋村家は、お上と共に江戸に行かれたが、その後家系は絶えたのでは」の返事だった。
其の後太鼓演奏集団等にも問い合わせてみたが進展は無い。

今回ホームページ等を調べた処、松岡徳峰氏の「古美術商のエッセイ」の中に「破れ締太鼓と雨降り」が有った。
橋村家に付いても、少し知る事が出来た。
もう少し橋村家や此の太鼓の謂れ等も知りたいと思っているが、ご存知の方は御知らせを。
2010/02/25 09:09
空虚の三日間
何だか解らないけれど、時間に追われ、起きる問題に対応、三日間が過ぎた。
朝10時前義弟が、新潟の仕事先で倒れたの電話、心肺停止、息を吹き返したが予断を許さない状態。
病院に向かう車に連絡は、収容された病院は五泉市の病院、入ってくる電話は状態悪化のみ。
11時過ぎには「死亡確認」の連絡。
家族は臨終の場に間に合わなかった。
その後は、全て起きる問題に、時間に追われた、対応のみ。
職場の皆さん、病院、葬儀、関係者には、兄として成り行きでの対応、と云ったら申し訳ないがそれが現実。
私以上に、残された家族の混乱は、いかばかりか。
遺族と成った、連れ合い、子供たち、混乱の中、懸命の対応。
4歳の孫「爺、目を覚ませ」と遺体に問いかける。
でも、故人の人徳か、職場、病院、町内等の関係者の皆さんは、心温まる対応。
天候にも、恵まれた三日間が過ごされた。
兄として全ての人たち、条件に感謝のみ。
残された家族に、周りの皆様の御芳情に感謝と共に、今後もご指導を。
、