ドンカズの動き

趣味やNPO災害支援の状態の報告です。 宮澤一也の「云いたい放題、書きたい放題」でも地域の事を真剣に考えています。 震災等の活動体験を語り継ぐ大切さを感じました。 今までやってきた活動を元に纏めた、PP等使い防災活動、ボランテアの有効活用等の「出前講座」引受ます。但し顎足付。

2010-12-31 07:35:06.0 小生と新潟県日中友好協会の軌跡・4、終

小生の提案に、山本常務理事も参加を表明。02年に現地調査を行う事に成った

此の時、一人の先輩「お前は民間人として調査するつもりだろうが、現地に行けば日本政府要人調査と思われるはず。くれぐれも行動、発言には注意するように」の注意を頂いた。

2002年 6月30日から 7月 5日の日程で、山本氏と小生は、 「希望工程」に依る支援対象地域の実状を研修するため、黒龍江省の「国家級貧困地域」がある大慶市杜爾伯特蒙古族自治県・林甸県を訪問した

現地の中心地大慶市までハルピンまで高速道で2時間トヨタクラウンを借り上げ、省外弁の案内で出発した。大慶市境界まで、市外弁「ベンツ」の庁用車二台が出迎え調査期間同行と成った。

調査対象の圏域では、公安の車が先導、県の要人が乗った車2台が案内役。

総勢5台の黒塗りの車を連ねての調査で、調査対象地域の学校では大変緊張された様だった。
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大慶市杜爾伯特蒙古族自治県並びに林甸県で、7校を訪問調査した。

帰国後審議を重ね、杜爾伯特蒙古族自治県白音諾勒村小学校を支援校に決定。04年から3年間、パソコン等の備品整備支援を行ったのである。
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此の活動の推移の中で、黒竜江省西北部の「広漠化対策」として植林活動等も行ったのである。

その後小生は体調を崩し又「希望工程支援」が一区切り付いた事から「実質活動」から引退の状況であるが、協会は新たな活動をすすめている。

詳しくは新潟県日中友好協会ホームページをご覧ください。 

2010-12-30 08:11:29.0 小生と新潟県日中友好協会の軌跡・3

2000年には北京、人民大会堂で「中日友好50周年」記念行事が行われた。

又、八達嶺に於いて、大記念植樹が行われた。
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当友好協会では20名余の代表団を、ハルピン経由で送りだした。

記念大会は日本各地から二千余名、中国側でも、国内要人を始め、各地か友好関係団体の関係者が集まり、記念集会が開催された。

当協会と黒竜江省との定期会議もハルピンで行われ、前記の諸問題等を討議した。

此の当協会では、中国貧困地域の就学支援事業の 「希望工程」に協賛金三十万円を持参、省該当団体に支援金を渡した。

是より以前、上越日中でも「希望工程」事業に協賛し、関係団体に支援金を渡して来た
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01年、県日中理事等で、「希望工程」事業協賛拡大を提案し、支援金募集等を協会事業として取り入れた。

そして、中国内「国家級貧困地域」調査を提案し、現地調査を実行する事を総会決定するに至った。

2010-12-29 07:36:33.0 小生と新潟県日中友好協会の軌跡・2

県日中の改組と、時を同じくして、上越日中も改組され、上越商工会議所会頭を会長に迎へ、事務所を同事務所内に置かせて頂き、新しい活動を開始した。

小生も、当時の前田事務局長の要請を受け「風除け」的存在とし、役員の末席に名を繋げる事と成った。上越日中代表で、県日中理事と成り各種行事に参加させて頂いた。

県都より遠い県南地域の代表としての地域活動は、小生の見識を広げさせて頂く機会、県都域の情勢を研鑽させて頂いた。

県庁建設地域の確執、それに関連する現ビックスワン地域開発問題。
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新潟東港と、三江平原開発問題、此れらを繋ぐ計画「図們江開発問題」等、此の地では知りえない情報を、佐野会長等の教えを得た。
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又中国訪問も、県日中代表団・各種添乗、随員等の立場で発展途上の中国各地を訪れる機会を得た。

中国では、小生の様な者が会えない様な、廖承志氏、孫平化氏等の中国要人と会見する等の機会を得、国政要人でなければ入れない、国、省の接待所等の宿泊機会も得た。
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県日中は、佐野会長もとに、活動を広げていたが、何時も活動資金難に喘いでいた。

これは我が国における、民間活動機関の永遠の課題の様だ。

県日中友好活動の象徴的存在であった佐野氏が、平成8年(1996年)東京で急逝され、県日中は新たな会長を得、、ハルピン、新潟直行便運航・総領事館誘致問題などで、中国側と話し合いを、続けて来たのである。

2010-12-28 08:56:19.0 小生と新潟県日中友好活動の軌跡・1

今回思わぬ処から、小生の日中友好活動が、指摘されました。

其処で新潟県日中友好協会の設立経過や活動内容等にふれて見たいと思います。

日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約は、1978年8月12日、日本国と中華人民共和国との間で締結された。
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これによって民間活動が主だった、両国間の交流は、一気に進む事になって行くのである

特に新潟県は、この条約締結の主役であった「田中角栄氏」の出身県で有った事も有り、全県的な友好活動推進の必要から「新潟県日中友好協会」が改組される事に成った。

1979年 5月13日、新しい「新潟県日中友好協会」が設立され、新潟県と中国との友好交流を促進する「礎」が築かれた。
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時を同じくして廖承志氏を団長とする「中日友好の船訪日代表団」が新潟西港に到着し、一気に友好活動が前進する事に成った。

此の時の県日中友好協会の、亀田郷土地改良区理事長の佐野藤三郎氏が就任した、そしてこの頃の両国友好交流活動は、友好協会が主謀する事が主流だった。

又主なる活動は、友好県・友好市の確立・三江平原開発等の計画確立、日本の援助確立等が主流だった。

これらの活動を底流として、新潟県と黒竜江省・新潟市とハルピン市の友好姉妹都市が設立された

此れらを源流として、新潟県内都市と中国国内各地との友好姉妹都市活動が広がったのである。

2010-12-27 08:00:18.0 民間友好活動とは

こんなコメントを頂きました。

ドンカズさん、この度は国家の内憂からもう一段視界を上げ外患について伺いたいことがあります。
 いまや政情不安な我が国は、北海に白熊、西の海に赤い熊、更には東の大洋の向こうから双頭の鷲に禿鷲が、かてて加えてこの島国を窺うさまざまな思惑の魑魅魍魎共に脅かされております。
 ついては、九月の尖閣事件を契機に中国の周辺地域への領土拡張行動が取り沙汰されていますが、この度の中国漁船による我が国巡視船に対する故意の衝突行為、ニイハオとにこやかに握手しながら、相手の向こう臑を蹴飛ばすような行為、こちらが友好と言ってもそうでない中国をどう見ているのか、新潟県日中友好協会の要職(監事)を占めて居られる貴方の、出来れば協会の正式なご見解をお聞きしたいものです。 
投稿者:Bonchi 2010/12/25 19:52

会の公式な見解は、しかるべき方法で県日中にお尋ねください。

これからは小生の私見です。

まず第一に国家外交と民間交流とは全く別物と思います。
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日本の歴史忘却は早い。
被害国には被害者が生存されている中、日本では過去の事の様に話される。
昭和20年8月15日、日本では「終戦」と云う。
此れを 「敗戦」 と云えてこそ、少しは相手国の感情が理解できるのでは。

尖閣湾事件を始め、我が国の外交は、その場当たりの云い訳に終始の感あり。
         
日本の政府が確固たる意志を持つ事が必要。
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「東の大洋の向こうから双頭の鷲に禿鷲」追従せざるを得ないなら国民にその意思・形態の説明を。

「この度の中国漁船による我が国巡視船に対する故意の衝突行為」
3087_129340396400.jpg尖閣諸島事件対応、事後対応は全て日本政府の責任

国内対象は停職始め大幅な処分。第一線で働く海保等が気の毒。加害船長を「処分保留」を返したのは弱腰の菅政権。
「センゴク38」といわれてしまう。

何処か可笑しい日本の政権。

さて、全て教育が大切では

どんな悪い事も正しいと教育されればそれを追行する、それが過去の歴史

再び日本がその道を歩んではいけない。
教育にしろ、マスコミ報道にしろ其れを正しく理解できる国民に成る事が肝要、此の教育こそ大切。

さて友好交流とは何か「相手がどんなに迷惑をかけても、それを迷惑と思わず相手の理解した行動を行う関係」その関係が築かれれば「相手に対する忠告が理解され得る」

現在の日本政府は行動は可笑しいが、それを自由に批判出来る国で幸い
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これが独裁国なら、小生とうに処刑か。