[ 2011年8月 ]
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仙台の女性支援団体に、支援物資を運びました。
28日朝5時15分に出発、11時頃に団体事務所に着きました。


事務所役員やボランテアの方と荷物を降ろし整理、その後若葉区の運ぶ荷物と、南三陸町志津川の荷物も積み若葉区に、その後ホテルに帰りました。
志津川の話は明日にします。
宮城県を中心に、野菜や、掛け布団等生活物資を4回、約800kgを宅急便で送りましたが、28日から三日間の予定で、仙台で活動中の団体に、ランクルで生活小物を運ぶ予定です。
100kgくらいかなー。

ついでに、少し災害地を回って見ようと思っています。
生活復旧に必要な、職場必需品等の要求も有る様ですので、どんな対応ができるかの検証です。
「たかた」の表示を探していますが、仮名ではまだ見つかりません。
しかし、ローマ字表示で又、一件発見しました。
新潟県立中央病院創立120周年記念誌4頁に有りました。
アムステルダム国立博物館所蔵、「明治15年当時頚城郡立高田病院の見取図」として載っています。

今各所で出された、当時の文献・記念誌を調べているところです。
8月13日投稿、高田は「たかた」だったに付いて調査勉強中です。
公文書館や写真台紙の写真館等に「たずねて」見ましたが、詳細不明です。
ある機関によれば、研究者等は問題のある地名には、なるべく触れず、暈しておくようです。
ですから「たかた」「たかだ」の発音が何時から変わったかは、今のところ分かりません。
然し「高田」を「たかだ」と云った始めは、信越線高田駅の発音で有ったが通説の様です。

然しこの発音論争「裁判」で決着されたとも云われて居ます。
「TAKATA」の印刷物は、ある写真の台紙です。

この写真館に尋ねた処、写真館は色んな事情で二回の転居を余議なくされて居り、当時の物証等は保存されて居ないとの事です。
発音変化の経過、裁判の記録等御存じの方は、お知らせください。
ご協力を、お願い致します。