[ 2013年9月 ]
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今回の野田村支援、当NPOが刈羽社協と訪問させて頂いたのは、此れから起こりうる、被災者の皆様の支援の在り方を、過去の災害から考えたからである。
今被災者の皆様の復興進度は、2・3割の方が自らの力で元の生活地や、新たな生活地で新居等を求められたと云う。
これと同等位な比率で、旧来の勤務先や、敷地復興などの問題で、新たな生活地が決まらないと方が居られると云う。
又、諸般の事情で公的支援が必要な方も居られる様だ。
此れから起こりうる、新居の構え方、対業者の対応など多岐にわたる。
これ等を過去の災害地支援の経験から被災者の皆様に知って頂きたいからであった。
今回は対業者対策として、如何に安心できる対応が有るかの「悪徳業者対応」講座。
もう一つは、如何に危険性の少ない住居を構えるかの「不燃対策」の実演で有った。
しかし被災者の皆様の関心は決して高くは無い様だ。
安心して住める、敷地、住居条件、これ等も復興には欠かせない事項だと思っている。
不燃実験の写真

日程四日目もはや帰るだけとなった、予定では午後7時刈羽着。
太平洋の日の出は雲間から。

朝9時ホテル発、途中野田道の駅には見送りの皆様がおそろい。
そこで地元支援の買い物が続く。
お世話になったお礼、今後の問題などの話、会話は尽きない。
多くの皆さんが別れを惜しむ。

今後の被災地との交流。
そして新たな事態への対応の在り方。
被災者の皆さんしか解らない悩み、その軽減策、復興対策をどうするのか。
最後に残る「自立への道」其の支援とはどんな形が望ましいのだろうか・・・。
支援活動2日目午後となった。
これからは買い物等による支援活動?
22日は近隣する「あまちゃん」ブームに沸く久慈市の秋祭り。
それから北限の海女の地「小袖海岸」巡回となる。
神事から神輿、各町内山車巡行となる
北限の海女の活動地域


夜行バスでの移動から、二日間の支援活動、何をしたのと問われるかもしれないが流石に疲れたが実感だった。
支援活動2日目、20名のボランテアは3班に分かれた活動となった。
双班は村内二か所仮設住宅訪問。
その内容は、手芸交流と歌声交流、もう一組はシイタケ栽培農家の被害住宅跡地や農地の草取りなど。
仮設住宅に「空き部屋」が多くなって来た、訪問ボランテアのバス中での会話。
住宅の空き部屋が増えたと云う事は、復興が進で来ている一面とも云える。
事実仮設住宅に「空き部屋」表示も有る (下の写真)


もう一か所の避難住宅近くの小さな川には鮭の回帰が見られた。
河口から2km弱位な所。
この鮭、震災前に生まれただろう、ふるさとの川に帰り何を感じたのだろうか。
8月、頚城区希望館で開かれたた、市内分権や上越市の地域協議会のシンポ等。
その時の登壇者、参加者有志の皆さんがより深く学びたいと集会を開いた。
講師は上越市地域協議会の検証委員会検証委員会座長「岐阜大学准教授山崎氏」
24日、日程を調整、柿崎区での集会で指導して下さった。
午後1時の昼食会に始まり、深夜1時のフリートークまで続いた。
ラーメンをすすりながら、町内の旧跡を回りながら、前回の集会の課題点の追加講習、其々が抱える地域の課題。
話は尽きない。
時間と自然は全ての人に平等である。
其れを、どの様に生かすのか個々の課題であろう。
柿崎海岸に沈む夕日。この夕陽何を見て何を感じて,入陽となったなったのだろうか。
