S太の骨髄移植日記

S太(当時小学2年生)が骨髄バンクを介して骨髄移植治療に臨んだドキュメントです。

2008/04/10 00:34 S太の骨髄移植日記109 ★退院+72日目 元気です④★

 3月28日。今日は、プロ野球セ・リーグ開幕の日でした。
S太が元気になって、ジャイアンツを応援している姿を撮影するために、東京からテレビ局の人が来ました。
 この様子は、翌29日(土)に関東で放送され、星野仙一さんからは、S太が投げている様子を見て『上原よりいいフォームしているぞ。』という、コメントもあったそうです。
制作会社の方の話によると、星野さんもS太の闘病生活のVTRを観て、めがねをはずして涙を拭いていたそうですが、生放送だったので残念ながらそんな星野仙一さんの姿は、放映されなかったそうです。


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2008/04/10 00:03 S太の骨髄移植日記 108 ★退院+72日目 元気です③★

 3月24日は、兄Y太の小学校卒業式でした。こうして、Y太のために公の行事に出席するのはこれが最後になるだろうと思い、気持ちを引き締めて、出席しました。
 同級生がY太の遺影を抱えて入場し、卒業生の席のひとつに置き、Y太も皆と一緒に式に臨むことが出来ました。
学校側の計らいで、Y太の名前も読み上げてもらいました。
やがて式の終盤、卒業生から[小学校生活の思い出を綴るよびかけ]があったので、ご紹介します。
 【よびかけのシナリオは、子どもの思いを第一優先に作成しました。子ども一人一人が考えた《6年間を振り返る短文》をグループで吟味し、それらを精選して作成しました。担当する言葉も、子どもの希望に沿って決めました。式場では、このしおりではなく、子どもの顔を見ながらお聞きください。子どもたちが、今一番伝えたいことです。
 
 1年生から5年生のみなさん
 今日私たちの卒業を一緒にお祝いしてくださって
 ありがとうございます
 実は私たちには、もう一人大切な友達がいます
 5年生の4月に天国へ旅立ったY太さんです
 ずっと忘れない
 友達を失った悲しさ
 でも、Y太さんは、私たちの永遠の友達です
 これから、そのY太さんといっしょに
 私たちの小学校生活を振り返ります】

という、とても嬉しい言葉で始まり、《野に咲く花のように》《心の中にきらめいて》のとても美しいハーモニーの合唱で終わりました。それはそれは、感動の一日でした。
 そして、在校生や来賓の方が退場した後、卒業生とそのご父兄、全学校職員の方々から、同じ体育館にて【Y太さんを送る会】が開かれ、そこでY太の卒業証書を家族が受け取り、Y太も大好きだった小学校を無事、卒業することが出来ました。
私たちにとっても、こんな素晴しい式が用意されているとは思ってもいなかったので、先生方や同級生の温かい想いに、涙が止まりませんでした。
 そんな同級生に、嬉しい祝電が届いていたので、最後にご紹介します。
 
【T小学校6年生の皆さん、本日はご卒業おめでとうございます。楽しかったこと、悲しかったこと、いろいろな思い出で胸がいっぱいだと思います。本来なら、皆さんと一緒に笑顔でこの卒業式を迎えるはずだったY太君は「野球選手になりたい。」という夢半ばで、2006年4 月9日、10歳1ヶ月と短い生涯を終えられました。皆さんは、病と闘っているY太君を一生懸命
励まし、Y太君が亡くなられた後も骨髄バンクドナー登録会等で、ボランティアとしてお手伝いされていたと伺っております。これからも、人を思いやる気持ちを忘れずに、そしてY太君の分まで、勉強にスポーツに悔いの無いよう力を思い切り発揮して、夢に向かって新しい中学校生活を送ってください。我々も「日本一奪回」を目指して、全力で頑張ります。皆様の輝かしい未来とご活躍を、心からお祈りしています。
読売巨人軍 上原浩治 木佐貫洋

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2008/04/10 00:03 S太の骨髄移植日記107 ★退院+72日目 元気です②★

 3月19日は、S太の8歳の誕生日でした。
プレゼントはDSソフトで、第一希望の【ケロロ軍曹】が無かったので、第二希望の【ポケモン・ダイアモンド】になりました。
とにかく、S太にとっては嬉しい一日となったようです。
誕生日までに生クリームも食べれるほど回復するとは思っていなかっただけに、改めてドナーさんに感謝したのでした。



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