えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2019/11/12 21:16 首里城消失と雁木の消滅、高田城の復元は

 沖縄観光の目玉でもあった那覇市の首里城正殿が火災で焼失してしまいました。炎に焼け崩れる首里城がテレビで放映されている場面の中に那覇市民の顔も映りましたが、皆さん、炎を見上げながら涙を流されていました。肉親の火葬場の様な状況の崩れゆく城への別れの感情が、遠く離れている私達の胸の中にも伝わって来ました。

 沖縄は昭和のあの戦争で、数多くの歴史的建造物が消失し、やっと時間を掛けて復元した琉球文化の最高の物が結集して造り上げた建物や展示品のすべてが灰に帰してしまいました。

 伝統文化の損失は、取り戻す事の出来ない遺産の損失です。上越市も昭和50年代に五智の国分寺の本堂にあった大きな五つの如来像と大伽藍を火事で焼失させてしまったり、また高田本町3丁目の大正4年建造の木造の高田市役所や、高田公園内にあった陸軍の師団施設の一つ偕行舎、直江津駅前いかやの木造3階建ての入口、高田本町6丁目高田館の入口など、上越の旧市内の中にも多くの歴史が染み込んだ建造物があったのに保存もせず、いとも簡単に解体したり、火事で焼いてしまいました。

 文化財として後世への伝承は、その時代に生きている人間の責任感の表れです。全く誰も責任を考えなかった、悲しい心の在悪寒を感じてなりません。国も県も市も、文化の薫りと遺産を守り大切にする心の無い所は、味気ない所になってしまいます。雁木も高田の心の表れた「情」の表現の通路です。段々と消えています。人情が消えて行っている姿なのです。淋しい事です。それも各個人の持ち主の心の問題です。文化財の保存は、崇高な人間の心の持ちように懸かっているのでしょうか。

 首里城は必ず復元するでしょう。高田のお城も復元したいですね。

2019/11/02 12:54 <こんな国会や報道では政治家は萎縮するばかりです。>

、 

 現状の国会審議を見るにつけ誠になさけなくてなりません。国民が今解決して欲しい問題、不安でたまらない問題、早く国政で取り上げて欲しい問題に対しての政策上の議論では無く、安倍総理大臣が任命した各大臣や副大臣の閣僚の言葉尻を捉えて、その事を問題にして、鬼の首を取ったように勝ち誇った顔と態度で与党を攻撃して、その事が政治家の仕事であるかのように感じている野党の国会論争と、それに輪をかける反日、左翼支援の日本の週刊誌とマスコミ各社の報道で閣僚は本音を言えなくなってきています。

 

 大事で判り易く真実を表現出来ないような、鎖に縛られて常に脅えながら発言していては政治家の言論の自由は非常に抑圧されている状況ではないかと危機感を感じるのです。

 

 議論や演説は抽象的で物事の説明が全く真実とかけ離れた言葉や、流れの前後を切り取り、その言葉尻だけを取り上げて攻撃して問題を拡大し、本人は勿論、任命した内閣全体まで、イメージの悪い内閣と政党であると言うプロパガンダだけで政局を左右している現状の政治体制の状況では、益々国民は大切で大事な政治が嫌いになってしまいます。

 

政治そのものも、政治家や選挙にも無関心になり、政治家に成りたい、やってみたいと言う人が出なくなり、政界全体が小粒で個性も無く、味気も面白みも無い政治家ばかりになってしまいます。現状の国会は、益々大衆受けだけを狙った安っぽい猿芝居国会です。国の将来ビジョンを見据えた格調の高い政策論争を国民の前に見せてもらいたいと切に希望します。

 

りんご箱の中のりんごが腐ったような常態の国会中継を見るたびに、これが国民の代表か!と思われる次元の低い論争は長屋の井戸端会議です。まだ庶民のおじさん達の居酒屋での議論の方がよっぽど立派な事を言っています。りんご箱の腐ったりんごや、〇〇の腐ったような論争はやめてもらいたいたいですね。

 

2019/10/29 16:43 <置き忘れて来た昭和の心。>

 

 時代がどんどん過ぎて行きます。私は昭和15年生まれですから子供の頃にはまだ「愛国心」という言葉が残っておりました。映画やテレビ・ラジオの放送も、音楽番組も大衆が喜ぶ娯楽番組は人情味溢れる物ばかりで、町内の中も隣近所の付き合い方も人情味が溢れておりました。しかしながら現在は日本列島全体に「愛」と「情」の2つの文字が薄れ、消えている感じがしてなりません。

 

 あの国民的人気のあった葛飾柴又とら屋の寅さんが主人公の下町人情ドラマ「男はつらいよ」の寅さんを演じた主演の渥美清さんが亡くなりドラマが終了となって随分経ちますが、あのほのぼのとした情溢れた雰囲気が日本の伝統の味だったような気が致します。昭和20年代から50年代までの日本は全体が「とら屋」さんの座敷のように人情味に溢れておりました。どこにでも元気で人の好いおじちゃん、おばちゃんが居て、隣近所との付き合いも深く、兄弟姉妹仲良く笑ったり喧嘩もしたり、涙を流したりしたあの時代は過去のモノとなってしまいました。

 

今では人間同士の心の中には「愛」と「情」が消え、どこでも無味乾燥で殺伐とした社会になっているような感じがしてなりません。なぜこのような世相になってしまったのでしょうか。その原因は政治でも教育でも社会でもありません。悪くしていったその原因はひとり一人の人間の心であり、各々(おのおの)の個人の責任です。心の中だけは政府や行政ではその心の中を左右する事は出来ません。

 

法律や道路や建物は作れますが、ひとり一人の人間の心の中までは管理出来ません。暖かい家庭や家族、町内会、職場はひとり一人の人間がお互いに「愛」と「情」がその心の中に無ければ成り立たず、殺伐とした人口減少まっしぐらの高齢化社会にしてしまったのです。

 

「愛」を知らないから恋もしない、結婚もしない。やる気も無く、目的も無く、親が残したお金とモノで引きこもって暮らしている人間が増えています。最近話題のある書物によれば「ひきこもり」の日本国内での人数は政府発表の100万人ではなく500万人にもなると警鐘を鳴らしています。この500万人もの人達が再度社会(職場)に復帰出来れば、人手不足も解消出来、日本の国力発展に大きく貢献出来るはずです。

 

この「ひここもり」数の増加も政府や市役所の責任ではありません。異論・反論はあるかと思いますが、これは個人の問題です。甘やかされ、厳しさの体験も無く育ててしまった結果です。物とお金至上主義で大切な人情、愛情を我々はどこかに置き忘れて来てしまいました。