えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2019/11/29 10:00<激しく美しく貫き通した保守政治の革命家でした。>

 

 74才は若すぎるし、あの純潔な一本気気質の政治への情熱家であった白川勝彦先生、こんなに早く天国に帰って行かれた淋しさは心の中にポッカリと穴が空いた気持ちです。

 

 今から44年前国道18号線の石橋交差点の角で雨の日も雪の日も、30才の無名の青年だった白川勝彦さんは街頭演説からスタートしました。地盤、カバン、看板も何も無い十日町生まれ、上越市には親戚はおろか同級生、友人も誰もいない中から国会議員への熱い志だけでガムシャラに訴え続け、年末2年参りで賑わう日枝神社の雪の中に立って訴えるなど、当時はガリ版刷りのチラシで政策を訴え演説会を開くなど初めての新しいスタイルでの選挙運動を行いました。

 

 私も35才で30才の若い白川さんの熱いロマン、汗する知性みなぎる演説を高田の婦人会館で聞き、これからはこう言う若い政治家が現れないといけないと言う思いから支援者の一人となって、後援会の中核の一人として30年以上白川先生の選挙を一緒に戦いました。厳しく辛い事もあれば、リージョンプラザでは上越市では初めての1万人集会も成功させ、6回衆議院選挙で当選し感動の万歳も、又、落選の涙を一緒に流しました。

 

 この間旧新潟4区(現在の6区)では白川先生は国道18号線4車線化へ向け雪が降っても渋滞しない道路の整備、関川改修の完成、北越北線の電化による開通に尽力され、白川先生がいなければ何年、いや何十年と後回しになっていたことでしょう。自治大臣の時には新幹線地方分担金を自治省が出すと言う異例の法律で北陸新幹線早期開通を強く推し進めたのも白川先生の政治力です。

 

 自民党が野党に下野しすっかり自信を無くした時、白川先生と亀井静香氏と2人で自・社・さきがけ三党合意の荒業で自民党を再び与党にしたのも白川先生でした。幕末の高杉晋作のように強い信念の人でしたが軍勢的には恵まれない悲運の人でした。良く知られている事ですが99年に自公連立政権が発足しましたが、公明党は政教分離に違反し憲法違反であると、自身の信念から批判し続けました。その批判、方針を曲げなかった為その関係者から非常に厳しい逆襲をくらってしまいました。

 

 あまりにも理想を追い求め、自爆してしまった、純粋な雪国十日町の純白の雪のような心を持った人だったと思います。30才から30年間政界を走り続けやるだけやり切った白川勝彦先生、今は先に逝った大勢の同志とゆっくり休んで政治を語り合って下さい。

 

 「かっちゃん、ご苦労様。天国で又会いましょう」