えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2014-09-21 10:27:14.0教育問題を問う 教員採用条件に社会体験、団体教育体験の加味を 

  昨今教員の不祥事が続発し、新聞テレビ等マスコミで報道されています。新潟県に於いても、ベテラン教諭の酒気帯び運転による自損事故。20代女性教諭が駐車場で拾った3千円をネコババし、それを得意気にフェイスブックに書き込んでいるというのですから、その常識の無さに呆れて開いた口がふさがりません。

  また精神的弱さからか、コミニケーション能力の無さからか登校拒否に陥る教員も大勢いるのです。その結果が今、学校ではいじめ、不登校、殺人、自殺が増え、大人になっても無責任で自分勝手で、まるで子供のような駄目大人を社会に送り出し、世の中を混乱させている一因を作り出しているのです。そこには元来日本人持つ美徳である「和」の精神、卑怯不正を恥じる「義」の精神、思いやりの「仁」の精神はまったく消え失せています。

 

  私は現在開催されている9月上越市議会の19日一般質問において、村椿正子教育委員長と、教育現場の代表である中野敏明教育長に「特に道徳教育の重要性について」伺いました。お二人のご返答からはこの件に関して、一生懸命努力されていること、苦慮されていることが判りました。

  しかし実際の教育現場では文部科学省や教育基本法の縛りが有り、また教職員組合、県、自治体の教育課など学校教育に関わる高い障壁の中でお互いの権力や意識、思想的な対立、学閥の力関係などが複雑に絡み合って「今本当に子供たちに何を教えなければならないか」と云う根本的な問題を解決出来ず権力闘争に明け暮れ、教育がどんどん悪い結果に流されているのが現況ではないでしょうか。

 

  私は、一つの方法として教員採用試験に当たっては一般実務社会を経験すること、また自衛隊、警察学校のような厳しい規律と規則の団体生活を体験することを受験資格の一つにしてはどうかと提案します。

 

  「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」と云う川柳がありますが、教員という職業は若い時から“先生”“先生”と呼ばれるため、いつの間にか自分が偉くなったような錯覚を持ち世間を知ろうとする努力も無く、一般常識の欠如した人間になってしまっている例が多々あります。そういう人間が道徳という崇高で深淵な知識を純粋無垢な子供たちに教えられるはずがないのです。今求められているのは道徳教育をやってみせ言って聞かせてさせてみることができる教員が求められているのです。

 高い偏差値能力だけでなく、正しく生きていくための総合力を加味した人間学、実学を体験した教員が大勢いる学校こそ、社会に貢献する文武両道の人間を送り出せるのではないかと思います。

 

 教育は国家の管理下ではなく、その地方地方の独自の教育方針で、日本人としての誇りを持ち、かつ広い視野を持ち、世界を相手にするような若い人を育て創り上げていくことこそ肝要かと思います。

 

  目標を失い掛けている日本に再び有能な若い指導者を創ることが今教育者の使命ではないかと思いますが、いかがでしょうか。