えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2019/05/16 18:19<誠実無欲の日本を代表する英傑、前島密翁>

 

 男爵前島密翁没後百年が経ち神奈川県横須賀市の浄楽寺で百回忌の墓前祭に横須賀市長や上越市長外300名近い関係者の出席の中で執り行われたと新聞報道を見て思う事は、中世の1500年代は上杉謙信公が活躍された時代であり、1800年代の江戸後期から今日の「令和」まででは「日本の近代化の父」と高い評価を受けられるNO1は前島密翁だと思います。

 

 「郵便の父」と言う事は多くの方々は御承知の通りですが、その他に江戸時代が終わり明治政府がスタートした時に、首都を大阪に移すと大久保や伊藤、木戸など討幕派の強い声の中にあって幕府側の前島翁は、東京が日本の中心で東北、北海道も日本である以上東京遷都が正しいと訴え、東京を首都にしたのが前島翁でした。

 又国字の改良、海運業の発展、新聞事業、電信・電話、鉄道、教育分野、保険制度などは前島翁の広い人脈、交際力、先を読む目、周りの人間関係の構築力など卓越した物を持ち合わせていたからこそ前に進める事が出来ました。その前島翁の魅力の素はどこにあるのかを知りたくて私は色々本を読み更に前島翁に魅かれました。

 

 前島翁の幼少時代の御母堂様の家庭教育の高さ、情熱があれだけの知識、教養、感性を磨き育て上げ、そしてあの明治政府の知恵袋であり原動力の中心の仕事をやりながら一切の個人的な名声や名誉を求めず又利権や私欲も一切無く、私生活も越後人らしく地味で真面目で儒学者の指導を実践しました。

 

 幼少の頃は高田の倉石侗窩(くらいしどうか)先生の文武済美堂(ぶんぶさいびどう=偉人を多く輩出し越後の松下村塾と呼ばれました)で学び、江戸に出てからは倉石先生の師匠である安積艮斎(あさかごんさい)先生の塾で学び、儒教の勉学通り終始リーダーとして心が清く私欲が一切無く、周りの範として最後まで自分の信念を曲げずに貫いた方だと思います。

 

 盟友でありました大隈重信が前島翁に政治家にならないかと誘ったら、前島翁は自分は政治家に向かない性格である。一つに嘘が言えない。二つに人の悪口を言えない。嘘と人の悪口を言う政治家には向かないとハッキリ断ったと言う話ですが、前島翁の人間性そのものが良く表れた話だと思います。

 

 やはり人間の内面、精神性がしっかり出来ていた上で頭脳と肉体が一体となった霊格の高い人柄だったと強く思います。私達は先人の偉人をもっと学ぶべき時代であると感じてなりません。又翁は誓って不邪淫戒、不妾語戒を神仏、祖先の霊に幼少期よりの受持の題目を生涯、道として貫かれた聖人に近いお人だったと思うのです。現代人は先人の顕証をやるべきではないでしょうか。