えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2015-01-25 19:54:41.0 『嗚呼、情けない! 気配りと気概の無い現代社会を考える。』

元旦祝日に国旗も出さない、門松も飾らない隣近所や上司、日頃お世話になっている人に年し始めの挨拶もしない。あるいは町内会の新年会にも出席しない、また出席してもまるで遊び着のままの様なだらしなく締まりのない服装で出席している。お正月の公式な席のはずなのに気にもならず、恥ずかしくもないのでしょうか?

 これらの事は要するに現代人は昔の人達より多くの知識があり高学歴であっても、当たり前のことが当たり前に出来ない人間に言わば「退化」してしまったと言えるのではないでしょうか。

 昔の人は「己の分を知り、恥を知る」という観念を当たり前として自分の中に持って生きていました。戦後になって時が経つにつれ「己の分」が「己の権利」に変わり、「恥を知る」は「贅を知る」というように様変わりしてきたため、人との絆や心を大切にしてきた日本人は、今や自分さえ良ければいいという「自己中心」で物や金を大切にする「拝金主義」の民に変わっていく過程での一つの現象であるように思われます。

 何か友達からお歳暮やプレゼントが送られてきても礼状の手紙をしたためる人はほとんどおりません。

要するに「ずく」「気配り」「気持ちの配慮」「気遣い」「思いやり」「気概」の心が段々薄れている証拠だと思います。私がよく言う「薄情な社会」になっているのです。

 人間として大切な決まりごとが出来ない大人が増えているのは「和の文化」の衰退です。

幼稚園、保育園から小中高生までに礼儀作法をきっちり教える道徳教育を厳しく教え育てる教育の基本に据るべきです。これは教育現場の教師や親が教えるべきですが、残念ながら今の教師も親も子供のお手本になるような礼儀作法や社会生活全般の習慣等についての知識や常識、また体験がないため子供達に指導が出来ないのではないかと思います。

 そこで私は、地域の子供達は地域で育てないと「良い子」が出来ないと思い武道を通じ礼儀作法と強い肉体と精神力を子供の時にしっかり身に付けさせるために、学校・家庭以外で青少年の健全育成を目的に掲げた上越武道連盟を立ち上げました。

参加7団体で本年も社会奉仕活動、講演会、体験学習、時には子供達、保護者、指導者でのバーベキュー大会などを開催し、会員相互のコミュニケーションや絆を深め、子供達に人間関係の大切さをしっかりと教えていこうと思っています。

 いずれにしても、大人が「ずく」が無くなったらおしまいです。知識と行動が一緒になって初めて大人と言えるのです。我々の先輩の明治、大正、昭和の20年以前の方々の「気概」を今一度学び直し、さらに未来の子供達に伝えましょう!

世界中から賞賛された日本人の礼儀正しさ、責任感の強さ、結束力の強さ、知識の高さ、高い道徳心をもっともっと誇りれるよう、それらを実践していた人達のことを今こそ紐解くべきだと思いますが皆様は如何思いますか?

 

 

 

 

 

2015-01-19 15:24:23.0 リーダー不在の悲劇、その原因を考える

 3月14日、北陸新幹線が夢を乗せてこの街にやって来ます。しかし、新駅の周辺、その区画整理事業に15年間、100億円以上の税金を注ぎ込んで来ましたが、今のところ地域活性化の証しになるものは何一つありません。巨大な新駅舎と空地だけが目立つ淋しい風景が広がっています。 この状況を招いた最大の要因は、このまちに官民を問わず、創造力、実行能力に富む卓越したリーダーが不在であると云うことに尽きます。

 リーダーシップに富む人材は急には出現しませんし、また簡単に育てられる訳でもありません。それは畑の野菜や果物と同じです。人材は丹精を込め時間をかけて育て上げるものなのです。

 幕末時において長州、薩摩、土佐、佐賀鍋島、会津からは、明治維新後の新国家を牽引する政治家、実業家、軍人、学者を数多く輩出しています。それは「優秀な人材を育てよう」という気風や習慣がその地に有ったからにほかありません。

逆にリーダーが生まれてこない処に共通している悪癖は、能力や手腕力のある人がいると、本来その能力とは関係ない陰湿な“悪口陰口”“差別”“嫉妬心”“悲観論”等々マイナス要因の横行しているこです。「やれ生まれがどこだ」「親代々職業がどうだ」「あんな学校出だ」「以前の職業がどうだった」など、その人の持つ良い事や能力を絶対に誉めることなく寄ってたかって潰しにかかってしまうことです。その罵詈雑言はやがて本人や家族の耳に必ず入ります。その結果「人の上に立ちたくない」「リーダーになりたくない」「自分さえ良ければそれでいい」といった人目ばかり気にする小粒な人間だけの社会になってしまうのです。

 近頃は町内会の役員のなり手がいなくて困ったり、新年会をはじめとする町内の諸行事への参加者が減少して来ています。これはまさにそこに住む住民の心が自分の町内に愛情が無くなっているからです。“情が無い”心が問題です。阪神大震災や東日本大震災でも判る通り、死者の少なかった地域や町は日頃から町内の結束力の強い所でした。いかに皆んなをまとめ指揮を執るリーダーが居ると居ないとでは大きな差が出てくるということです。

 今後我々の上越市は、長野市、富山市、金沢市との都市間競争が益々激しくなっていくことが予想されます。競争を勝ち抜き、より我がまちを発展させるリーダーを育てる大切さをもっと認識する必要があると昨今痛切に思うこの頃です。

 何もせず、自ら汗を流すことも無く、噂好きの情報屋、駄弁評論家ではまちの活性化などほど遠い話です。人材を育て上げる温かい情のあるまちにしましょう。

 

 

 

 

 

 

2015-01-14 13:07:48.0 自国の平和と安全は他国任せでよいのか

パリと言われれば「芸術の街」として世界でも有名な都市であり、一度は訪れてみたいと言われる場所でもあります。そのパリの街のど真ん中で、戦争さながらの銃撃戦が繰り広げられました。いつどこで起こるかわからないテロ行為は日本を含め世界中のいたるところで起きる可能性があります。原因は民族対立・宗教対立・思想対立などさまざまですが、なんの罪もない一般市民がテロ行為に巻き込まれ死傷する悲しいニュースが日々流れる世の中となりました。

 70年前、あの大東亜戦争の悲劇を体験した日本人がだんだんと少なくなるに従い、平穏平和にたいする免疫力が低下し、「あって当たり前」と思う日本人が増えてきたために、我が国の危機管理について議論を行うと必ず「戦争する国になる」「徴兵制が復活する」「アジアの国々に対して反省がない」と三文判で押したような反対論が巻き起こり、“革新的”“進歩的”と称する政治家・評論家・言論人・有識者・マスコミ等が非難の大合唱を始めます。彼らは日本が置かれている現状を理解せず、戦後行われてきた自虐・左翼的教育にどっぷりと浸かったことで思考停止に陥り、さももっともらしい平和論を唱えています。しかしほんの少し冷静に考えてみれば、北では北方領土問題でロシアと対立し、西では竹島を不法占拠する韓国、常にミサイルを日本海に発射して瀬戸際外交をする北朝鮮、南では尖閣諸島を虎視眈々と狙う中国と対立しています。そんな緊張している中で「我が国だけが平和と言っていれば侵略なんかしてこない。だから自衛隊なんかいらない」とのんきに唱える状況ではないと思えるのは私一人だけではないはずです。

 安倍政権、政府与党自由民主党は長期的な国家戦略に基づいて国の安全保障について一部の的外れな批判をものともせず、着々と新しい日本の枠組みについて実行しようとしています。「日本は素晴らしい国」、そんな日本を育てて行くのは外国人ではありません。日本に住んでいる我々日本人が自らの手で行うものなのです。そして日本の安全保障も当然自らの手で行うのが当たり前です。他国の助けを借りずに自国は自国で守る。そういう覚悟を日本人は持つべきです。安直なロマンチシズムで国は守れません。覚悟の無い国を他国が護ってくれるはずもない。そういう風に私は思います。