えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2014-07-16 21:17:37.0 『上に立つべき人なら心に秘めたる信念を!』

多くの生物はその種毎に群れを作り、ボスがいて統率されています。 そして、集団のリーダーは指導力を発揮します。

人間はまず家庭であれば世帯主がリーダーです。町内であれば町内会長、組合であれば組合長、会社では社長、学校なら校長、スポーツチームなら監督です。さらに政治行政であれば市では市長、議会では議長です。政党においては党首、政府なら当然内閣総理大臣となります。

このように私たち人間の世界の様々な群れにはボス、つまり大なり小なり「長」おさ)が必ずいて群れには欠かせない存在なのであります。

 

さてそこで、群れあるいは集団における「長」の資質について少し歴史を紐解いて見れば、越後の国を統一し関東管領になった上杉謙信公、ライバルの武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった武将の天下統一の野望と命がけの戦に向う統率力度量そして経済力など、さらにもう一つはやはり当人の大願成就に向けての強烈な確固たる信念が「長」の資質には絶対的に不可欠であると思います。戦後では、田中角栄元総理大臣であったと思います。

 

ところで「リーダー」を目指す人には、「長」が付けば何でもいいと言って「長」になりたがる人は大勢いますが、本当に自身がそれだけの器であり、人間としての統率力信頼感大局観清潔感信義を重んじ、公平平等を宗としさらに権力を私物化せず時を見て次の世代に引き継ぐという出処進退の潔さを心得ているかは甚だ疑問であります。

そして私たちがリーダーの選択を誤ると次第に閉塞感に覆われ、明るさや活性化も緊張感も無くすべてが停滞し、やる気も迫力も無くただただ輝きを失った愚鈍な集団となってしまいます。国においてもこのような負の連鎖が点から面に拡散拡大し暗くて寒い俯きかげんのネガティブな国になります。町も同様です。

 

思い切った政策や改革の断行を行うリーダーは自分への批判を気にしたり支持率や人気などは眼中に無いものです。それらを気にし自分に対するすべての受けを計算するリーダーはただひたすらその席にしがみ付き信念がぶれて何の用をなさない無能・無力、無責任なリーダーです。

 

たとえ天命を受けリーダーになりその権力が膨大であったとしても毎日毎日批判され、反対されやりたいことの半分もやれず終わったり、また「長」としての役割を一切果たすことができないこともあります。。

『安倍総理!本当に歴史に残る仕事をやり切って下さい!評価は歴史が証明します。小さな仕事は小さな人にやらせ、大きな仕事こそ大きな政治家が全身全霊を懸けて完遂して下さい。そのような政治家がいたからこそ今日の日本があるのです。どうか心に秘めた信念を貫いて下さい!』

 

2014-06-27 09:50:18.0 この国の安全保障はだれが責任を持って考えるのか

自国の領土・領空・領海が他国によって侵攻された時、自国の戦力のみで対応できると考えられるのは米国・ロシア・中国ではないでしょうか?そのほかの国々は大なり小なりこれらの大国と軍事同盟や条約を締結したり、自国と友好関係にある国と同盟や条約を結んだりして他国からの脅威に対抗しようとしています。

 

 一方日本においては69年前、当時アジア地域を植民地化していた欧米に対してその解放と大東亜共栄圏の建設を目指して戦い、衆寡敵せず破れ去りました。そして連合国(主に米国主導の下)に昭和20年から昭和26年のサンフランシスコ講和条約締結まで約6年間占領下におかれました。その間、戦前の日本の体制(国体)を「軍国主義的」という名の下に公職追放を行い、教育現場に左翼的思想を広め、日本を骨抜きにしようと様々な事を画策しました。

 

 そのような中で作られたものの一つに「日本国憲法」があります。敗戦のショックで自信を失っていた日本に言葉巧みに独立国としての矜持を失わせるような内容の憲法を作らされました。

 

 それが今日、中国の尖閣侵略、韓国の竹島不法占拠、ロシアの北方領土不法占拠、さらに国家の主権を完全に侵された北朝鮮による日本人拉致事件に対して何一つ有効な手段を打ててない現状です。国家として当たり前の自衛権さえも憲法9条に代表されるように手枷足枷を自ら嵌めている状態です。

 現在安倍首相が目指す憲法改正の前段階として集団的自衛権の解釈変更の議論が行われていますが、左翼的な政治家・マスコミ・文化人はこぞって「憲法改悪反対!」とか「明日から戦争になる」とか「徴兵制度復活」とか「アジアの国々が憂慮している」と判を押したような話しかしません。日本国の真の独立とはどういうものか、軍事力を持つと言うのはどういう意味なのか、安倍政権がもっとはっきりきっちりと国民に説明する必要があると思います。そして国民も「平和主義」という甘い夢に眠らされないように常に緊張感を保つようにしなければなりません。

 

 若い人たちの中には「今のままの日本では駄目だ」という危機感、緊張感を持った人たちが増えてきていると思います。これからもどんどん増えてほしいと思いますし、それが当たり前の世の中に変わって行くべき時期に来ているのではないでしょうか?

 

 そして、国際常識としての「平和」とはいかなるものか、観念論ではなく現実論で考えてほしいです。「平和ボケ」に浸っていると夢から覚めた時、とんでもない事になっていますよ。

2014-06-17 06:47:33.0 これでは期待は出来ません‼ 上越市の観光政策と交流人口の拡大

  6月13日、私は通告通り6月上越市議会において、トップを切り一般質問を行いました。

 当日、市政に関心の高い市民の方々が傍聴席が満席になるほど沢山お出で下さいました。まことに有り難うございます。その後、多くの方々から傍聴された感想の電話を頂きました。感謝申し上げます。

 

  我が上越市は、全国的に見てもこれ以上ない観光資源や交通利便性の良さという素晴らしい宝を持ちながら、観光都市に成りきれていません。その原因は、市・行政当局の組織の欠陥と歴代市長の観光政策に集中しない点にあったと思います。

 そこで私は、現在の産業観光部から観光部門を分離し、市長部局の『観光局』として独立させ、観光と交流人口の拡大のみの政策に集中させるべき」と考えます。

 まず観光局長には、「観光業務に精通し、10年位の長いスパーンで当市を観光都市に生まれ変わらせる経験豊かな実力者を礼を尽くして招くべきだ」と市長の考えを伺いました。

 

 同時に「市民を中心に5年間続けている全国的にも珍しい『水墨画フェスティバル』を市は後援ではなく、これからも長く続いていくために上越市主催にする考えはないか市長の考えを伺いました。

 

 

 『水墨画フェスティバル』は一つの例ですが、日本の伝統と文化の美の展覧会を上越市で開催することは、当市の文化・芸術のイメージアップにつながり、次世代の担い手である小中学校生の才能の発掘にも役立ち、また遠く県外からの芸術ファンが来越され交流人口の拡大が見込まれ、ホテルの宿泊、中心市街地での買物や飲食などの経済的効果にも繋がります。

 

 もう一つ「現在の『上越まつり』の名称を1000年続く京都八坂神社の祇園祭りを継承する伝統ある『直江津・高田祇園まつり』に戻すべきである。交流人口の拡大のためにも考えて欲しい」と訴えました。

 

  しかし、市長の答弁は「大事な問題のすべて、すなわち観光もフェスティバルも、お祭りの名称も民間団体、組合、愛好団体の市民がそれぞれ話し合いの努力でやって欲しい。行政は行政の範囲内でサポーターとして公平で公正な面で支援する」という紋切型の答弁でした。燃えるような前向き姿勢は少しも感じられない、やはりお役所はお役所だけの発想しか出来ない、夢を感じられない答弁でした。傍聴に来られた市民の皆さんもさぞガッカリされたことと思います。