えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2013-08-20 18:08:57.0 上越市の夜の顔 仲町の側溝改修工事始まる

 

 

 

 

1.   至誠に悖(もと)るなかりしか

2.   言行に恥ずるなかりしか

 

 仲町の側溝は誰が見ても「汚い」「臭い」「危険」のいわゆる「3K」でした。夜お酒を飲んで千鳥足で帰るお客さんがよく側溝に足を取られて転倒してうずくまっていたり、朝になると夜の名残と言うべきゴミが側溝内に落ちていたりと地域に住む人たちが非常に難儀していました。新幹線開業を二年後に控えた現在、繁華街たる仲町通りがこのような「3K」の状態であるのは恥ずべき事です。市街中心部である、大町・本町については流雪溝がほぼ整備され、昔のように側溝に雪が詰まって家の中に水が流入する事は殆どなくなりました。しかしながら仲町だけは側溝はずっと整備されてきませんでした。これは行政の怠慢と言わざるを得ません。この仲町の側溝整備について、私は20年間連綿として議会に訴え続け、漸く至誠が通り、言行に恥じない結果が実現しました。そのほか、儀明川の不粋な白いガードレールを撤去し、景観を損なわない色の安全柵の設置、高田駅エレベーターの設置、集会施設、高田小町、駅前コミュニティーホールの新設等も、市民の声を議会で何度も訴え続けた結果ではないかと思います。

 

 今変革の時であります。この上越市中心部の活性化こそ大きな政治課題です。市内中心部にどれだけ人を呼べるかです。残念ではありますが“まちづくり”関しては行政や役人が指導する方法では成功した試しがありません。そこに住む人たちの結束力・企画力・運営力が当然のことながら重要です。「ラーメン祭り」「酒まつり」などを企画運営している本町の青年部有志の方々のご活躍は素晴らしいものでありますが、一方でそういう新しい動きを嫉妬したり妨害したりしようとする風潮が高田にあるのも事実です。これでは活性化のしようがありません。

 

  歴史ある城下町高田、四季の町高田、酒と山海珍味の溢れる町高田等々さまざまな名物があります。あとは地域の人たちがそれをどのように生かすかアイデアを出し合ってほしいと思います。政治はそれをバックアップする手段です。その意味では政治は大切だと考えます。

 言行に恥じることなく前進あるのみです。

2013-08-10 20:44:43.0 一年365日の中で、8月15日の受け止め方

 8月15日。例年早朝、私は高田公園内の『忠霊塔』に赴き、「英霊の御霊よ安らかなれ」と静かに合掌して来ます。
 
私たち日本国民にとって12月8日と8月15日は特別な日であります。戦前、戦中、戦後の激動期を体験してきた私としても、この両日は、歌舞音曲を絶ち酒を断ち、心静かに、「何故日本は戦争に突入しなければならなかったのか?」「何故敗戦国日本が戦後急速に立ち直ることが出来たのか?」歴史秘話の読書三昧の日とし、想いを巡らす日としています。また特攻機で南の空に散った伯父達を偲び、御霊に安らかなれと祈ることにしています。

家内は「この日があなたの一年で一番機嫌が悪くなる日」という言い方をする日でもあります。

  先日友人と一緒に、映画『終戦のエンペラー』を見て来ました。

 昭和20年8月30日、厚木飛行場に連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーが降り立った時から、同年9月27日の日本の運命を決定付けた、昭和天皇との会見が実現するまでの歴史的秘話を映画化したものでした。

 当時、アメリカ国民の世論の大方は、「天皇を裁判にかけ、死刑にせよ」でした。しかしマッカーサーは「自分は、日本国を破壊し国民を奴隷にするような考えは全く無い」との考えで会見に臨みました。

 その会談で、天皇陛下は一言も自分の命乞いはせず、「国民が戦争を遂行するにあたって、全ての決定と行動の全責任は私にある。私の身はあなたが代表する諸国の採決に任せる。どうか国民を助けて欲しい」と、勝者の総大将の前で堂々と言われたそのシーン・・・・ 敗れても誇りを失わない昭和天皇の人柄こそ2000年連綿と続く日本国の美学の結晶ではないかと、胸が熱くなりました。

  戦争に敗れはしたものの戦後の復興において、天皇家は残り、独立国として世界から賞賛されるまでの民主国家に成長したのは、昭和天皇の人柄、マッカーサー総司令官の見識、そして彼の軍事補佐官で、日本の「武士道」を良く知るフェラーズ准将の適切な進言がその基礎となっていることは紛れも無い事実です。

  先人達が創り上げたこの誇りある日本国の平和と繁栄をいつまでも維持継続させるには、世界中の国々と仲良く、近隣諸国からより尊敬と信頼されることが大切であり、そのための外交に徹し、知恵と徳を積むことが大切だと思います。

 また我われ国民は、常に自国の歴史と先人達の残した遺産や哲学を学び、後世代の人達に自信と誇り持たせることだと思います。

 無国籍的で無責任であり、軽薄な現在のマスコミ情報に惑わされず、永い歴史と文化から生まれた日本人特有の精神を省みる日。それが私の終戦の日8月15日の受け止め方です。そして“平和の持続こそ政治の最大の使命である”と思っています。

 ご批判は自由です。

 

 

 参考You Tubeより

「終戦の詔勅」(玉音放送)

http://www.youtube.com/watch?v=TDgOFsH8PZo

 

終戦の詔勅全文(原文カナ)

 朕深く世界の大勢と帝国の現状とに鑑み、非常の措置を以て時局を収拾せむと欲し、茲に忠良なる爾臣民に告ぐ。

  朕は帝国政府をして米英支蘇四国に対し、其の共同宣言を受諾する旨、通告せしめたり。

  抑々、帝国臣民の康寧を図り万邦共栄の楽を偕にするは、皇祖皇宗の遺範にして朕の拳々措かざる所、曩に米英二国に宣戦せる所以も、亦実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て他国の主権を排し、領土を侵すが如きは固より朕が志にあらず。然るに交戦已に四歳を閲し朕が陸海将兵の勇戦、朕が百僚有司の励精、朕が一億衆庶の奉公各々最善を尽くせるに拘らず、戦局必ずしも好転せず。世界の大勢、亦我に利あらず、加之敵は新に残虐なる爆弾を使用して頻りに無辜を殺傷し惨害の及ぶ所、真に測るべからざるに至る。而も尚、交戦を継続せむか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延て人類の文明をも破却すべし。斯の如くむば、朕何を以てか億兆の赤子を保し皇祖皇宗の神霊に謝せむや。是れ、朕が帝国政府をして共同宣言に応せしむるに至れる所以なり。

 朕は帝国と共に終始東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず。帝国臣民にして戦陣に死し、職域に殉し、非命に斃れたる者、及び其の遺族に想を致せば五内為に裂く。且、戦傷を負ひ、災禍を蒙り家業を失ひたる者の厚生に至りては、朕の深く軫念する所なり。惟ふに今後、帝国の受くべき苦難は固より尋常にあらず。爾臣民の衷情も、朕善く之を知る。然れども、朕は時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ、以て万世の為に太平を開かむと欲す。

 朕は茲に国体を護持し得て、忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し、常に爾臣民と共に在り。若し夫れ、情の激する所、濫に事端を滋くし、或は同胞排擠互に時局を乱り為に大道を誤り、信義を世界に失ふが如きは、朕最も之を戒む。宜しく挙国一家子孫相伝へ、確く神州の不滅を信じ、任重くして道遠きを念ひ、総力を将来の建設に傾け、道義を篤くし志操を鞏くし誓って国体の精華を発揚し、世界の進運に後れざらむことを期すべし。爾臣民其れ克く朕が意を体せよ。

御名御璽
昭和二十年八月十四日

 

  

 

 

2013-07-25 15:11:51.0 金谷山『会津墓地』の草刈清掃を体験して感じたこと

 

 

 

先日、上越市武道連盟の主催による講演会と社会奉仕活動に参加しました。

 第一部の講演会では、講師に元上越教育大学名誉教授で、同連盟会員でもあり、講道館柔道5段であられる鈴木敏紀先生から誇り高き日本人の美学を説いた世界的名著、新渡戸稲造の『武士道』について高説を拝聴させて戴きました。

 武士の基本的精神「義」「勇」「仁」「礼」「信と誠」「名誉」「忠義」「忍」「躾」など、教養教育が軽視されている現代の学校教育現場では、この尊い精神は残念ながら教えることは出来ていない思います。                  そこで私達は「サムライ」の誇り高き生き方と、現代人が失ってしまった基本的価値感を、地域の子供達や青壮年、及び婦女子に武道を通して出来る範囲で教え伝えて行きたいと思い、実践している次第です。

 

 講演会が終わってからの第二部では班ごとに別れ、1班〔柔道・剣道・空手連盟〕は春日山々頂への「義」の土の運搬を行い、2班〔相撲・銃剣道・太極拳連盟〕は、金谷山にある『会津墓地』の草刈清掃を行いました。

 私は、本年も会津藩士が眠る『会津墓地』の草刈清掃に加わりました。作業をしながら現在放送中のNHK大河ドラマ『八重の桜』に描かれる会津武士の生き様を想うに、「理不尽な! なんと運の悪いことか」の一言に尽きると思い、墓前に手を合わせました。                                

 

 先日の放送では、京都守護職として御所を守り抜いた会津藩が時代の流れの中で、朝敵、賊軍の汚名までかけられ、14・5歳のまだ幼さが残る少年達が主家を守るために戦い。その親族、婦女子までが生き恥より死を以って会津武士の気高い精神を守り抜く人間像が描かれていて、胸に込み上げるものがあり、感動を覚えたものです。

 

 「義」の心を第一義とする上杉家が会津に移封し、かの地でも「義」の心が連綿と継承されて来たものと推察いたす次第です。

 明治2年、戦いに敗れた会津藩士1,742人が降伏人として高田藩榊原家の預かりの身となりました。しかし戦場での傷病や厳冬の長旅で体を壊し、死亡する藩士が多々出ました。その会津のサムライを手厚く葬ったのが、大貫地内金谷山狼谷の『会津墓地』なのです。私は、本年は特に藩士が「義」と「勇」の気高い志しを持って眠っていることを考え、奉仕作業を行わせて頂きました。

 会津では今でも藩校『日新館』の教育を継承し、「ならぬものはならぬもの」「礼」「信」「躾」の武道の精神を子供達に教え、特に“男性は男性らしく”“女性は女性ならではの習慣”を学んでいるのです。

自分たちの歴史に誇りを持ち歴史遺産を大切にしている地域、会津を又訪ねたいと思っています。

 高田にも誇りとする歴史遺産が沢山在ります。大切にしていきましょう。