えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2015-11-14 10:32:44.0 旧高田・旧直江津地区の衰退の原因と対策

 旧高田と旧直江津が合併してから44年、近隣の町村との合併から10年が過ぎました。今日振り返って見て、発展し「良くなったなー」と形で表れているところは、私の見る限り、『リージョンプラザ』から『かに池交差点』の周辺だけであり、そのほかで「良くなった」と思えるところは目には浮かびません。

昨今の現実は良くなるどころか、あれほど賑わい楽しく活気のあった両市の中心街は“シャッター街”と揶揄されるほどに衰退しています。

 

 当時から一家に一台のマイカー時代の到来に、言葉では「近代化、近代化」と呪文のように唱えられていました。しかし、話が道路拡張、駐車場整備等の各論に入ると、行政も地元住人も大同に付くことなく、地権者エゴなど、小異の悶着で計画はとん挫の連続でした。その結果、400年前から変わらない、現代の車社会に対応しない街並みが続き、今日の衰退を招いているのです。

 

その原因に私は「まちの顔たる中心街の衰退に危機感を持ち、警鐘を乱打する人物(リーダー)が不在であった」ということをまず第一に挙げます。それに反対意見を恐れ、何もやらない事なかれ主義、行政と地域住民との意思疎通不足が今日の衰退を招いていると思います。

 

  例えば、上越市にも『都市計画審議会』なるものが有りますが、その実態は全く当たらず障らずの形式審議会であり、本当に大局的観点から、将来を予想できる人達が審議しているとは思えません。その人選も「なんでこの人なんだろう?」と思える人がいます。今現在審議している内容とはまるで関係ない肩書の人、専門外の学識経験者、〇〇団体、組織の代表者等々。その人達が決定して、市長与党が多い議会において賛成多数でその審議会案を通します。その結果この町をシャッター街にしてしまっていると言えるのです。

 都市計画を効率的に運用して行くためには、現場を良く知っている政治家(首長・議員)を審議会に入れるべきと考えます。

 

 一つの提案として(ものすごく多くの反対意見が有ると思いますが)、まちの利便性の良い処に学校があります。しかし少子化で修学人数の減少した学校同士を統合し、出来た空地を活用し、現代の車社会に対応した活気あるまちづくりをして行くことを考えたらどうでしょうか。

まちの中心部には強力な地主の土地が有り、行政としても計画を遂行して行くにやりにくい事ではあるとは思いますが、まち全体がどんどん衰退してすれば地代も下落し、地主も困ってしまうことになってしまうと思うのです。

 

やはりまちの中心部に役所、商店街、公共の集会場、市場、公園、美術館などの、人が集まる物を作ることが都市計画の基本であり、時代が代ろうとも都市としての将来設計の基本であると思います。

 

 今一度、100年先の直江津、高田の将来像を見据えた都市計画を作るべきだと思います。さもないと、このままでは見る影もないまちになてしまう恐れが十分にあると憂慮しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015-11-04 09:42:21.0 日中韓の三カ国会談に思う事

東洋の哲学では心の平穏を求めることであり、金や権力を求める事は忌むべきものとされています。かつて日本は中国大陸より様々な文化技術を持ち込み、また遣隋使・遣唐使に代表されるように命をかけて留学生が大陸に渡り、さまざまな文化技術を学んで日本に戻りました。西暦894年、あの菅原道真公が当時の大陸の唐王朝が衰えを見せており、日本の文化への寄与が少ないと判断し遣唐使廃止を朝廷に進言し、それから日本独自の文化が花咲く平安文化への道筋を作りました(唐は907年に滅亡)。

 それから千年経過した現在まで、日本は「士魂商才(渋沢栄一の言葉)」の通り、西洋の優れた文化技術を取り入れ独自のものとしつつも御皇室を頂点とし、今日世界に誇れる素晴らしい国を作ってきました。そして国家の根本にあるものは儒教・仏教の道徳の精神であり、とくに儒教は発祥地であるはずの中国よりも儒教の精神を立派に受け継いでいるのではないかと思います。

対して中国・韓国は王族を巻き込んで血で血を洗う権力闘争の末、現在の体制になっています。信じれらるものは金と権力であり、その都度、時の政権に都合のよい様な歴史の改ざんと国民への一方的な教育を行ってきました。中国・韓国の度が過ぎる反日の姿勢は全て政権の指導の賜物であります。

 

 今回、日中韓の宣言で「歴史を直視」と言う宣言がされましたが、日本と明らかに価値観の違う中韓が「歴史を直視」できるのでしょうか?

 私も何度も触れましたが、中国の覇権主義は留まるところを知らず、遂に米国は軍艦を派遣してそれを認めないと言う行動に出ました。韓国は経済依存度で中国への傾倒を強めてはいるものの、先のTPP合意に焦ったのか日本への協力を強めたいと言う(彼らの言う「用日(政治問題を無視して都合よく日本を利用する)」)思惑も働き、俗に言う「蝙蝠外交」を行っています。

 今回の安倍首相の訪韓でずいぶんと韓国側は期待をしていたようですが、安倍首相は朴大統領との会談もそこそこに昼食もとらずわずか28時間の滞在で日本へと戻ってきました。安倍首相のこの行動は「今まで通り難癖をつけて日本から援助を引き出そうとする態度には断固として応じない」と言う強烈なメッセージが隠されていると思います。

 

  外交と言うものは常に相手の言い分を全て鵜呑みにしてニコニコ両手で握手するものではありません。片手で微笑みながら握手をする反対側では常に目を光らせて武器を握っていると言うものが本来の姿勢です。外交は自国の国益が最優先されます。そのような外交戦略によって日本に平和がもたらされ、国防は先の安保法案による集団的自衛権により国防費は抑えられ、経済発展と文化発展、観光産業の発展があるものです。安倍首相は兵法三十六計にある「近攻遠交」の戦略思想に基づいた素晴らしい外交を行っているものと思います。私はそれに期待する一人であります。

2015-10-26 15:23:17.0 すべての悲劇の素は偏見、独善、差別ではないか

幼い子供と老人が命懸けで国を捨て、ドイツを目指し難民として脱出している姿が報道されています。

 

あの中東諸国は宗教上のイスラム教の同じ人間同士での宗派、部族の争いが今日の悲劇を招いています。あの地域は約5000年前メソポタミア文明の発祥の地であり、数字や天文学、特に暦を発明、発見した人類最高の頭脳明晰な哲学者、科学者を輩出している地域なのに21世紀の今日になっても、殺掠の悲劇が続いていることが不思議でなりません。

 

5000年間、人間は進歩していない証拠です。その罪深さは色々あるでしょうが、その一つに同じ人間が同じ人間の偏見と差別、リーダーの独善が悲しい原因だと思います。

争いはすべて差別から出発しています。肌の色、宗教、生まれたところ(出身地)、性別、年齢、貧富、学歴、職業などあらゆることで人間だけが醜い差別が原因でその巻き添えで何の罪もない可弱い人が殺されたり、いじめられたり、自殺や戦争まで引き起こしてきた歴史を繰り返しています。

 

この上越でも同じことが言えます。なぜ人物が出ないのか、リーダーが必要なのに、また新幹線時代に乗り遅れている原因の一つに人間同士の醜い差別感が暗雲となっています。心と目が狭いと発想が貧弱で小さく、大きい冒険や挑戦もせず、目先の自分の損得のみの発想では、夢のある喜びに溢れたところにはならないのです。

生まれたところや性別や年齢、貧富、職業でなく、余所者を嫌わず、排他的な気風を排除しないと、この国も我々の町も時代に取り残された暗く寂しいところになることだと思います。

 

赤い血の流れている神の一族、大らかな心と思想で明解に幸と不幸がそこから分かれます。目先の小さなことより、争わず、気持ちは広く何事も恐れず、包容する大空と大地の天と地の間に生きる人間、もう少し良くしようと結束すべきだと思います。