えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2015-06-10 15:29:53.0 この地の発展は夢と自信と誇りと住民の結束力です

高田開府400年祭の行事や、期待していた北陸新幹線開業ムードも一段落し、この2大イベントをいかに街の発展につなぐのかが大きな課題です。

 我が街は春日山・直江津・高田と城の移り変わりに伴い、城下町も移り変わってきました。

上杉謙信公が関東北信越に覇を唱えた時代は直江津地区が人口5万人を誇る一大城下町として発展しました。後に徳川幕府の時代に入り、75万石の大大名として六男松平忠輝公が高田に城下町を移して発展してきました。

 悠久の歴史・伝統を持ち、肥沃な高田平野を持ったこの土地からは明治維新に入り、政治家・軍人・学者・芸術家等々多方面に渡り逸材を輩出した素晴らしい土地でもあります。現在においては極東アジア・東アジア・ロシアと交易できる港湾施設を持ち、まさに無限の可能性を秘めていると言っても過言ではありません。

 

 しなしながら戦後、自由と個人主義の名の下に日本古来の伝統文化を軽んじる風潮が蔓延したためか、現在非常に閉塞感が漂う土地になり果ててしまいました。まちづくりを盛り上げるためには郷土愛・祖国愛などと言った高い精神性が必要です。

 夢を描き希望を掲げ、リーダーの下に一致団結してまい進するそういう風潮を作り出していかないといけません。“出る杭は打たれる”が如き風潮ではいつまでたってもこの郷土は良くはなりません。

 私の年齢からすると若い人たちに檄を飛ばす事しかできません。是非能力ある若者が一致団結し、次の郷土を築きあげて行って下さい。

2015-06-04 20:42:46.0 日本の国技『大相撲』と日本人の礼節を今再び考える。

 

 大相撲五月場所も大盛況のうちに終わりました。あの大横綱白鵬が終盤二日連続で黒星を喫し、新進気鋭の関脇照の富士に優勝杯を持って行かれてしまいました。

 “勝負は水もの”と云われますが、「今場所の白鵬はいつもと違う、もしかして?」と云う私の予想が的中した結果となってしまいました。それは白鵬の土俵上の態度や目線にいつもの横綱らしい品格とオーラが感じられなかったからです。

 

 昨年の福岡場所に於いて物言いの付いた自分の相撲に白鵬が、勝負審判5人に対して「あの勝負は子供が見ても判る。何を見ているんだ」と批判しましたした。そのインタビューが報道されるや否や、相撲関係者やマスコミから激しい批判の嵐が巻き起こりました。そのためかどうか翌一月場所、彼は報道陣に背を向けインタビューに答えず無言を通しました。これは異常な態度でした。

 このような事態が起きた時、普通は師匠である部屋の親方が苦言を呈し注意するのが当たり前ですが、しかし今回、一度も三役に上がれず、一度も優勝経験の無い親方がこの大横綱にそれが出来ないという処に問題が有り、白鵬自身の慢心を招き、心の隙が出来たと考えます。

 

 相撲も武道のひとつです。武道で一番大切なことは精神性です。そして“武道は礼に始まり、礼に終わります”。しかし昨今、その礼儀が型だけの作法に陥っているように感ぜられます。本来の礼儀、礼節は戦う相手に対しても、自分の周りの人達に対しても、思いやりと気配りの心を示すものです。そこに武人としての奥深い作法の心髄であるのです。しかしその心がモンゴル人の白鵬には理解出来なかったのかも知れません。それに横綱たるもの物言いがつくような相撲を取ってはいけません。

 

 礼節の“節”という処の意味は正義を貫くということです。例え大横綱と云えども、自分を育ててくれた師匠や協会の先輩である検査役の親方衆を批判してはいけません。「成らぬものは成らぬ」これが武道精神の大前提です。

 近頃の世相を見ると、この大前提のリズムが狂いだして来ていることを感じます。この異常さはもっと大きな悲劇が起きる前ぶれのような感じがしてなりません。

 

 日本人が日本人の心を失っている中での国技大相撲において、もう15年以上も日本人力士の優勝や横綱が出ないことは、この国の一断面を如実に表していると思いますし、正に日本相撲協会がその姿を象徴しています。私は本当に寂しく不安に感じてなりません。

 

 悪しきノスタルジーは良くありませんが、過っての栃若時代の相撲の味わいはもっと力の入ったものでした。現代にこそ『力士』と云う本当の力持ちの“侍”の出現を待ち望んでいます。

 来場所は白鵬の復調も楽しみです。

 

 相撲は、悪霊を払い、“天下泰平”“五穀豊穣”を祈る儀式でもあります。この国の歴史と共に共生して来た文化でもあります。その中身の奥深い霊性を守り続けて行きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

2015-05-26 21:14:11.0 『戦後70年、取り戻さなければならない精神基盤!』

 最近また信じられない凄惨な殺人事件が一段と増加してきています。

特に可愛いい盛りで何の罪もない無邪気で抵抗すら出来ない幼子を、見るにも聞くにも耐え難いむごい虐待で殺すという、まさに悪鬼の様な親や身内、大人が関与した事件が大幅に増えています。

そんなニュースを見るたびにものすごく腹が立ち、ぶつける所すら見えなくなる程の激しい怒りをグッと飲み込み、そして暫くすると今度はとてつもなく寂しく悲しい気持ちに襲われ落ち込んでしまいます。

 

 神様に近い幼子をいとも簡単に無感情に殺す人間が氾濫している現代社会。

この様な世相に歯止めをかけ、警鐘を鳴らす組織や団体は残念ながら何処にも見当たりません。しかし、こういう事件を引き起こす異常な人間を産み育てている教育に携わる人たちが、数多く存在しているという現実を私たちはよくよく考えなければなりません。

 国や地方自治体は教育関連政策にこれまで膨大な血税を使いながら教育改革を推進してきました。 文部科学省や県・市の教育機関、教育委員会、また現場の教師の組織である日教組や教育評論家、学者が戦後70年間、幾重にも会議に会議を重ねてきましたが、教育環境は一向に良くならず逆に悪化するばかりです。 この様な異常な人間が増えている現状に対し誰一人として一切責任を負いません。そして監視チェック機能も失っているこの状況は、実に恐ろしく大変不安で危険な社会が押し寄せている事を如実に物語っています。

この様な社会環境の中で特に懸念すべきことは、一番の弱者である子供達がまっ先に被害にあうことになるということなのです。

 

戦後70年間続いてきた教育の荒廃、偏執は、日本人の心の根底に根付いてきた『和』と『結い』の精神を破壊してしまったように思います。

現代社会の中で人間として、「やってはならない事」「最小限、守らなければならない決まり事」を指導出来なくなった今の教育は「教育もどき」であって本当の教育ではありません。

 教育の原点は、人間教育であり2000年以上前からの教えである「道徳教育」「東洋思想」そして「礼議と正義」にあります。 秩序正しい日常生活の基本や精神は、幼児期からの「礼節」の教えが土台となっている「武道教育」の実践によって養われます。

 

 日本には古来より「茶道」「華道」「書道」「柔道」「剣道」など様々な「道(みち)」があります。人が生を受けてから死を迎えるまでのほんの僅かな期間は「人生道」という次の世界に向かって歩むまさに『道』なのです。その道中でもがき苦しみ、悩みながら答えを見つけ、身につけたものが「道徳」です。

これらの『道』の伝統や文化を教育の中に取り入れ、幼少の頃から教え体験させることは人間の精神面の豊かさを養うにはとても大切なことであると思います。

 

 経済中心や個人の権利・自由も大切ですが、人間が一番おぞましく残酷で地球上の生命体の中で最悪な生き物にならないために一日も早く気づき手を付けるために、この上越市は県立武道館を誘致しました。武士道精神の祖たる謙信公生誕の地として「武道」と「道徳」の町を看板に「品格」や「気概」「気骨ある市民があふれる町」を作っていきたいと私は思います。

 「上越武道連盟」は人間を正しく育てることが重要な目標です。この考えに共鳴して頂けるサポーターを今、求めております。

 青少年の教育こそ、国造り町造りの基本だと考えます。どうか皆様方の心からのご賛同をお願い致します。