えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2013-02-09 09:12:57.0 昨秋の県知事選に來越した泉田県知事に誘致をアピール

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2013-02-06 17:44:52.0 改めて覚悟が必要な 国際化の中の日本

 平和な日本では考えられないようなアルジェリアの人質立てこもり事件は結果として10名の日本人の命が奪われると言う最悪の結末を迎えてしまいました。関係者の方々に深く哀悼の意を表すと共に、このような事件を引き起こすテロに対して激しい憤りを覚えずにはいられません。

 アルジェリア政府の国益を守るために日本人がその盾となって殺害されました。人間が地球上にいる限り暴力や戦争が絶えることなく、その罪深い歴史がこれからも続いていくという事を認識しなければならないのもまた事実であります。
 我が国は幸いにして島国であり古代においては民族の争いというものもありましたが、幸いにして99%同一民族であり、その後の国難や内戦の時代を乗り越えて発展して来ました。
 
 戦後68年わが国は、平和主義の名のもとに経済繁栄を謳歌して来ました。しかし、ひとたび諸外国に目を向ければ、歴史・宗教・民族観の違いによる内戦・国境紛争・石油を始めとする利権を巡る争いが絶えません。大陸にある国家は互いに侵攻し易い地理的要因の為に軍隊を常備し、相手からの威圧に対抗していく状況を作り出しています。その為に軍備が全てにおいて優先され、その結果「死の商人」と呼ばれる兵器産業が跋扈し、巨額の利益を得、国民への教育福祉など社会事業は後回しにされている国が多数あります。さらには国民を戦争に駆り立て、結果として人心国土はいつまでたっても荒廃したままという状況になっているのです。
 翻って、我が国を取り巻く状況を鑑みるに、中国の尖閣諸島への侵入を始めとする領土拡張政策、北朝鮮の核開発に始まる瀬戸際外交、韓国との竹島問題、ロシアとの北方領土問題等、どれをとっても「我が国だけが平和主義」と観念的平和論を唱えている状況ではありません。

 政治家も国民も一丸となって“国際化の中での日本人とは何なのか”を考えるべき時が来ていると思います。
 私はその答えを導く一つとして幕末の志士達の志や魂を学ぶべきではないかと思います。主義主張は違っても彼らは本当に命をかけて日本が幕末の動乱を乗り越え、諸外国の脅威に対して一致団結して日本の文化伝統を守りつつも日本をいかにして近代化させようと知恵を絞り努力しました。戦後68年が経過し、今まさに内憂外患であります。

 そのような中で先人の知恵に学ぶ事は決して「古い考え」ではなく「温故知新」の中に答があると私は確信します。
 「国際化」とはどういう事なのか、皆で考えようではありませんか。

2013-01-22 09:55:29.0 高田開府400年事業、何を残すか

 高田開府400年記念が近づいて来ています。わが町高田は、徳川家康がこの地を重要拠点として45万石の越後最強にして最大の城下町を築き、慶長19年(1614年)に六男松平忠輝を高田城に入城させたのが始まりです。その後幾多の藩主の交代がありましたが、寛保元年(1741年)から徳川四天王の名門榊原家が明治維新までの130年間を統治しました。
 時代は明治、大正、昭和、平成と変わりましたが、高田の人達は榊原家を誇りに思い、この城下町の歴史と文化を守り続けているのです。
 
 大正2年(1913年)9月10日から16日までの1週間、高田開府300年記念祝賀事業が盛大に開催されました。雪深く、何事に付け地味で消極的な田舎の城下町が、かくも盛大にして華やかなイベントを企画し演出したのか、私は今でも不思議に思っています。
 上越地域の近代化の基礎を築いた、高田市初代市長・倉石源造の指導力、発想力そして止むに止まれぬエネルギーとパワーがそうさせたのでしょうか。
 
 明治41年(1908年)誘致に成功した陸軍第十三師団が入城し、人口も増え高田は軍都として経済発展をして来ます。そんな中での開府300年祭は、県内初の展覧飛行によるエンジン音とプロペラの空を切る音に観衆は熱狂しました。また榊神社での祭典、法宝物展覧会、花火大会、提灯行列、芸妓連の屋台山車、など多様なイベントが盛大に行われたことが記録に残っています。

 その後高田は、ハイカラな洋風建物が数多く建築されたり、織物、バテンレース、スキー、農機具、家具などの製造産業も盛んになり、それに伴って商店街や夜の料亭なども大変賑わう様になり、今以上に活気に満ちた町であったようです。

ひるがえって平成の今日を見るに、新幹線開業間近なこの町として100年前のあのエネルギーとカラフルな発想力を持って100年後に残す事業を誰が指揮し、指令しているか全く見えません。また時代の流れを感知し、指導する塾もありません。

 そこで私たち仲間が集まり、市民学習塾『雪下駄塾』を立ち上げ新幹線時代に相応しい勉強会を開催しています
 「温故知新」今こそ先人の知識、生き方を学びましよう。“高田開府400年”そんな理念を込めて盛り上げて欲しいと思います。