えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2018/03/25 08:23 ♢ 坂の上に「雲」があるのでしょうか・・!♢

 

 間もなく「平成」も終わります、そして明治維新の大改革から150年です。 高田平野に蒸気機関車が走るレールを引き、関川に発電所をつくり、大型工場を誘致し石油やガス井戸を掘り、電信や電話を利用し情報化時代を予測し、この高田の街に新聞社を発足したり、国民参化の政治の自由民権運動や頸城自由党などの政治結社を立ち上げました。 

 

 新しい農機具の生産・スキーの製造と軍隊の誘致。当時としては斬新なワインの製造など、この頸城地方の人達は誠に新時代に積極的に力強く向き合い取り組む努力を行い、特に教育者を育てる師範学校や公立.私学の学校レベルを加速させ、様々な世界で活躍する人材を世に送り出しました、あの頃はまさに坂の上には「雲」がありました、1889年.町村制施行により高田町が発足し、1908年.頸城郡高城村と合併し高田町を新設、1911年.高田町から市制施行し高田市となり中頸城郡から離脱し、大正.昭和と高田と直江津の商工業は明治のいぶきが残像として残り元気がありました。 

 

 さて「平成」と言われて30年この間、明治.大正.昭和のあの坂の「雲」はどこかに消えてなくなりました、すべてがマンネリ化で何かに挑戦していたハングリー精神が逞しい、バイタリティーがあったあのエネルギーが感じられません、国も地方も人材です。  教育は江戸時代の藩校や私学の寺小屋が、全国各藩で武士や平民まで学問を大切にして来た事が維新の成功につながりました。 戦後の世界が称賛した復興も日本人の頭脳と精神力、「心」が一つに結束すると言う学問を実践したからで有ります。学問こそ最後は行動です、昔の人は現代人以上に強く、優秀で素直で情もありましたから欧米人に負けない国を維持してきました。

 

 さて、この国と、この上越のまちの上にどんな「雲」を描く人物を産み育てるか、我々の大事な仕事です。       それでは又、