えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2018-06-09 06:11:29.0 ♢ 恥をかくことは歴史の残像として永遠に残ります ♢

 永い歴史を持つ我が国の中で最大の改革は、150年前の明治維新だと思います。 色々なドラマや人物の才能豊かな天才的なリーダーは、今日では考えられない人達が豪出していた時代ですが、当時一番活躍していたのは、やはり武士道と言う精神性を持った人達が、世の中を新しい国造りへと情熱を持って行動した時代でした。 それだけに歴史家・小説家には様々な舞台でのドラマがありましたが、私は非常に許されない出来事の記録を読みました、又、武道連盟で草取りをする大貫の会津墓地もゆかりの墓地であります。

 

 会津戦争(戊辰戦争)慶応4921日より115日の降伏の日まで籠城して武士道を貫いた悲劇の藩です、鶴ヶ城は井戸の中から広間や廊下まで自決や砲撃による戦死者の死体の山でした、この戦争での死者は3.014人と記録され、総攻撃のあった1025一日で戦死や非戦闘員である武士の家族の婦女、子供、老人の自決などでの死人の数は1.634人でした、しかし許せないのは死者の方々の葬儀も遺体の埋蔵の許可を許さず、みせしめの為、官軍の占領総指揮官を命令されたのは徳川家親藩、越前福井藩の城主.松平春嶽です、その家臣.久保村文四郎と言う武士ですが、官軍に媚、遺体を数ヶ月放置させ城の中も城下町中が腐乱死体の悪臭で会津若松の町中が地獄絵図のような有様で、その後ようやく埋葬されたそうですが、それにしても福井藩主もその家臣の侍達も外道(げどう)そのものの集団でした。

 

 占領政策が終了し福井に帰還の折、会津領.束根松峠で会津藩内のきっての使い手、高津仲三郎とその仲間を待ち伏せして斬殺しました、江戸や京都で心ある人はこんなざれ歌を残しています、「越前の松平春嶽はあんまの様な名を付けて、上をもうだり下をもうだり」と笑い者にしています。 道徳や情が薄れていた幕末の武士道、今日の高級官僚.一流企業の「恥」の心を失った時代と似ているのです。

 

 過去に学び未来を見極めるのも必要なご時世でないでしょうか・・!  リーダーたる政治家や政党の党主、軽薄な言葉と行動、恥を知れと国民は感じています。        では、