えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2019/06/10 17:59 <経済政策こそ地方の力、守るより攻める事です。>

 

 人間の歴史は政治の歴史でもあり、その政治は経済の歴史でもあります。経済政策の中心は大昔から食べる、物を作ることから、この高志の国、後の越の国の経済がスタートしたと712年に太安万侶により編纂された古事記に書いてあります。この上越地方には米作りに適した上質の土地と雪解け水がある事から、神代の時代に石器から「鉄」を作る技術を開発した出雲の国の大国主命が、ヒスイと美人の誉の高い奴奈川姫に求愛のために大きな木造船で海路を進み居多ケ浜に上陸し、高志の国に初めて農耕、漁業の指導を行いました。

 

 米作りを始めとする食料、特に江戸時代までこの越地方を潤したのはお米と塩ですがこの間上越地方の経済発展に尽くしたリーダーは上杉謙信公です。米作りは勿論、色々な技術者を呼び寄せ、越後上布(現在は重要無形文化財に指定されている)、青芋(あおそ)、うるし、砂金、和紙、塩、竹、材木などを海路で都のあった関西方面に売り上越地方の経済発展に力を入れた武将で武力だけでなく経済人としても政策通の政治家でありました。

 

 高田に政治の中心が移り、やはり初期の松平越後中将光長時代の家老小栗美作(おぐりみまさか)は新田開発と野尻湖の水と関川の水を利用して頚城平の用水開発を実行し新田を開墾し米の生産量を8万5千石増加させた経済政策力抜群の指導者の一人です。残念ながら小栗はその後の越後騒動に巻き込まれ56才で切腹の身となりましたが上越地方の農業者にとって最大の功労者です。又、そのお米を江戸、大阪の穀物商に運んだ北前船の海船業者で直江津の経済が潤っておりました。

 

 明治の新しい文明開化の下での経済政策は驚くなかれ、全国でも一番早く東京へ米や石油を運ぶ鉄道を敷いたのが、高田城下の豪商十代目藤屋市郎右衛門の長男、室孝次郎(むろこうじろう)翁が信越線を当初は民間人の出資で始めました。その後は国営とはなりましたが鉄道があったが為に高田が軍都として栄え人口も増え全国から商売人も移住し商業都市として昭和の年代まで活気がありました。

 

 又いち早く和田村出身の金子伊太郎氏は関川の水で電力を起こし、上越電気商会を立ち上げその電力で大きな工場が上越地方に出来、多くの雇用が生まれ経済的にも効果が生まれました。

 

 さて上越市は大変恵まれた土地や水、又交通立地にも優れ、上越沖の海には「燃える水」と言われる最高のエネルギー資源のメタンハイドレートも眠っています。この「宝」をどう活かすのか、私は6月13日午前10時本会議場で上越市の経済の将来像を市長に伺います。是非傍聴においで下さい。歴史は教えています。