えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2019/12/05 17:11 <封建時代であっても優秀であれば人材を登用していた名君、武士は勉強していました。>

 

 失われて行く歴史観が少子化を一段と加速させている感じが致します。明治維新の頃の日本人の意識や精神力の基は突然降ってわいて来たのではありません。260年もの間徳川幕府が武士と言う官僚と軍人達を子供の時から各藩でしっかりと教育を行い、家庭でも武士としての生き方、作法、仕来りが徹底して教え込まれ、優秀であれば町人でも時の大名、その下の代官がその人材を登用し、名字(みょうじ)帯刀を与え武士の身分として政事(まつりごと)の職を与えています。

 

 前島密翁も農家の生まれですか、江戸の幕臣に出世して行き明治維新の近代化の立役者のトップの座に登り詰めたのも幼少期に受けた教育が大きく影響しました。幼い頃からの母の教育と高田城下の長門町の倉石先生の私塾、文武済美堂(ぶんぶせいみどう)に下池部から暑い夏でも、大雪の時でも歩いて通って勉強を続けました。

 

 さらに12才の時、向学心に燃える情熱を携え、野宿までして長い道のりを大変な苦労をしながらも江戸まで行きました。そして長崎で再び医学や語学の勉強を行い、世界が変化している中で早く日本も近代化しないと欧米列強の植民地にされる危機感から、日本の防御の為に日本各地を歩き、感じた事を提言しています。当然幕臣の上席にも認められ、黒船来航時には独学で学んだ英語の通訳や文書の和訳などの事務方の役人に採り立てられました。

 

 明治政府になってからもヨーロッパ訪問団の一員として視察され、ヨーロッパ諸国の郵便、通信、保険、物流の鉄道、教育、憲法や商法など明治政府の大事な政策に取り組みました。大久保、伊藤、大隈、渋沢栄一、岩崎弥太郎などの政治家、実業家を育て、国家の為に尽くした人材を数多く輩出しました。

 

 我がこの地の江戸時代最後の大名、榊原家の殿様は勿論ですが、薩摩、長州、土佐、会津藩でも身分に関係無く、家柄より能力のある優秀な人材を活かし、特に明治のあの維新では身分は下級ではあっても能力のある武士がリーダーシップを発揮しました。

 

 しかし今日の日本はどうでしょうか。東大出のエリート官僚が国を仕切っていますが学歴があっても、世の中や人間学を知りません。田中角栄先生は小学校卒ではありましたが、自らの実力で日本のトップオブリーダーとなりましたが今でも田中先生を越える政治家は現れていません。前島翁も渋沢栄一も東大を出ていませんが、死ぬまで勉強した人達です。

 

 現代人の不勉強、それが現代病の病巣ではないでしょうか。