これだけの好立地条件の位置や土地や水資源を持ちながら、又高速道路、新幹線、在来線の信越、北陸の鉄道や直江津港、無いのは飛行場くらいで、全てが揃いながら戦後の経済成長の期間、経済と人口増を達成する為の成長の牽引力は資本力のある大企業の誘致であります。
直江津は戦前、77年前に信越化学、日本ステンレス、太平洋金属の三社があり三社で数千人の雇用と関連業者の経済力はこの上越地区には経済だけでなく全ての面大きな影響が今でもあります。
その後大企業は佐藤策治直江津市長の時代に三菱化成の工場が完成し多くの雇用と経済がこの上越の活性化を生みましたが、直江津と高田が合併し50年間、日本の経済成長最盛期の時期の間、上越市はその後これはという大資本の企業の誘致の成功例はありません。
1990年代のバブル崩壊後、工場団地はあっても500人1000人を雇用する企業はありません。したがって大和デパート、長崎屋、イトウヨーカ堂の撤退、高田、直江津の旧商店街は急激に廃れて人影が消えシャッター街になりました。
いかに政治家の力が必要か、です。行政の市役所の部長、課長を使いこなす指導やアイデア、発想、情報、人脈のあるリーダーを住民がお願いして、その仕事をやり切る人を生み育てる事が出来る土地の人間がいるかです。
田中角栄先生を生み育てた越山会のあった新潟五区でしたが、あの上越新幹線や関越高速道路も政治力でした。
上越市はこれをどう活かし切るかに懸っています。それは政治です。市民が誰を選ぶかで将来が決まる、という事を日頃から意識し考えるために勉強会に参加することも必要です。仲間や友達を作り、まちづくり、地域づくりに参加者が増えないかぎり上越市は発展しません。