えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2014/02/21 17:06 メダルは孤独に打ち勝った者のみに与えられる

 一般にリーダーやアスリートであると言われる人たちは常に孤独と戦い、それに打ち勝って来た人であると思います。本当のライバルは他人ではなく自分であります。1964年、私の青春時代まっただ中行われた東京オリンピック、マラソンランナーでエチオピアのアベベ選手は優勝インタビューの中で「私は76人のランナーに勝ったのではない。私は私に勝ったのだ」と言う名言を残されました。私は非常に感銘を受け、座右の銘にしています。

 

 現在行われているソチオリンピックも世界中に感動と勇気を与えてくれています。そして、悲喜こもごものドラマが繰り広げられています。国の代表として出場し、さまざまなプレッシャーをはねのけ、表彰台に上りメダルを授与される栄誉に浴する選手もいれば、コンマ1秒の差で惜しくもメダルを逃してしまった選手もいます。また、怪我や病気を克服して大会に出場し、大活躍を魅せる選手もいます。我々一般人には到底想像もつかない努力を積み重ねているからこそ、その雄姿を見て感動するのも当然かと思います。

 

 日本選手団も男子フィギュアスケートで金メダルを獲得した若干19歳の羽生選手もいれば世界から“レジェンド”と言われた41歳の葛西選手が銀メダルを獲得するなど活躍も見せていますが、一方で期待されながらメダルに届かず不本意な結果に終わってしまった選手も沢山います。トップアスリートは常に羨望の的にされますが、その反対に嫉妬・誹謗中傷の的にされやすいのも確かです。特に不本意な結果に終わってしまった時はマスコミが手のひらを返すが如き態度に象徴されるように負の感情が噴出します。極端な民族至上主義を持っている国では、選手が不本意な結果になると聞くに堪えないような罵倒を選手に浴びせかけ、その国で生きる事さえ否定するような事態に陥ります。日本人は融和を大切にしますが、反面傑出した才能を持つ人に対しては嫉妬や足を引っ張る人も残念ながら存在します。

 

 酷な言い方ですが、そのようなプレッシャーもはねのけるほどの精神力を持つしかありません。現在オリンピックで表彰台に上がる栄光を勝ち得た選手はそのような強靭な精神力を日々の練習の中で身につけているのだと考えます。また、素直な信仰心を持っていると私は考えます。

 私が常に訴えている武道教育はこの様な高潔な精神を身につける事を目的とし、現在日本社会に陰鬱に積っている瓦礫を一掃できるチャンスです。

 現在のオリンピックで活躍されている選手の中から見習うべき精神の持ち主が出現することを願ってやみません。

2014/02/07 13:58 高田開府400年祭の意義とは何か

 

 昭和46年4月、旧高田市と旧直江津市が合併し、残念ながら“高田”と云う歴史感のある地名が消滅して早43年が過ぎました。今日、市民には“上越市”と云う市名が定着しています。さらに平成17年の大合併により14の市町村が一緒になり、大上越市が誕生して9年目を迎えています。

そんな中私は、「今一度郷土の歴史を紐解き、先人たちが残した多くの偉業や業績を顧みることが開府400年祭の大切な意義である」と考えます。

 

 なぜ直江津今町にあった福島城から高田に城を移す必要があったのか。高田藩の開祖・松平忠輝は越後全域と北信濃四郡、長野善光寺、そして野尻湖もすべて高田藩が統治していたことを考えますと、徳川幕府はこの地を直轄地として政治、経済、治安、防災、文化、教育などあらゆる面の中心として高田を重要拠点としていたことが判ります。
 江戸中期1741年(寛保元年)以後120年間、徳川四天王の名門榊原家がこの地を統治することになり、文武両道を推し進め、度重なる自然災害、大火、疫病と遭遇しながらも藩主と家臣が結束して住民のために政策を実行して来たその足跡を学ぶこともまた大切なことと考えます。
 特に幕末、一年間を掛けての長州征伐への出兵、京・大阪への出兵などで藩の財政は困窮の一途をたどりました。しかし徳川親藩として苦汁の選択をせざるを得なかったのです。さらに会津戦争後、敗戦会津藩士1744人を寺町の寺院に降伏人として手厚くその身柄を預かり、途中亡くなった68人を埋葬し会津墓地を建立し弔うことも行っています。これらの事例からもお判りの通り、榊原家の藩主と家臣は、義を貫き惻隠の情を持って行動する、まさに武士道の鑑であったと云えるのではないでしょうか。

 もともと直江津も、頚城村も、安塚、浦川原もすべて高田藩に属していたので、ただ単に旧高田市だけの催事ではなく、オール上越として上杉家、松平家、榊原家と連綿と続いた伝統を誇りとして、この歴史遺産を後世に伝えることが高田開府400年祭の最大の意義ではないかと思います。

 時をほぼ同じくして新幹線開業が控えています。また新しい歴史の扉が前へと押し開かれようとしています。観光客の増大を図り、さらに上越を全国に広くアピールするために市として各地域に分散している歴史的資産を一同に集め“上越歴史博物館”を建設することを考慮して欲しいと切に願うものであります。