えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2014-10-21 03:44:11.0 政治家の不祥事は有権者の投票行為の失敗が原因か?

 大きな仕事をする政治家は、本来は市民有権者に信頼され、畏敬の目で見られるべき職種であると考えます。

しかし、国会議員から全国の市町村議員に至るまですべて全員とは言いませんが、私を含め政治に関わっている人間に対して畏敬の目で見られているかと云うと、逆に胸に議員バッジを付けている自体恥ずかしくなるような不祥事が頻発している昨今です。

 最近でも議員政務調査費の出鱈目な使い方、女性関係に関わる不祥事などがマスコミメディアで報道されているのを見ますと、同業にいます私にして居たたまれないくらい呼吸が苦しくなる思いを感じてしまいます。そこには「至誠にに悖る無かりしか」「言行に恥ずる無かりしか」の『五省の精神』の欠片も感じられません。

 

 今国会に於いても、日本の運命を左右する重要課題を論議しなければならない時に、やれ「ウチワがどうした」「雑音がどうした」など言葉尻を捉えた低次元な問題ばかりの論争を繰り返しています。そんな中で“政治に関心を持って下さい” “投票に行って下さい” “選挙のお手伝いをして下さい”と声を枯らして訴えても、政治そのものの質の低下を天下に曝しており、政治家が軽蔑の対象となってしまっていて、私は空しさを感じています。

 政治こそ最高の良識と常識の府でなければなりません。しかしながら現状は、お金と権力闘争の場と化しています。これでは日本の将来、地方の未来に明るい希望は持てません。

 

 政治をなして行くことは大切ことです。然るに現状は、政治家としての能力も見識も無く、ただ目立ちがり屋でパフォーマンスばかりで中身の無い人が横行していることも事実です。こう云う人を選んではいけません。がっかりした4年間になってしまいます。

 

 有権者の皆様、選挙の時は立候補者その人の人間性、哲学、家庭生活、人間関係をよく見て聞いてその適格性を見抜きましょう。決して政治に関係の無いこと(例えばルックスが良いとか、亡くなった前任の子息だから)を理由に選ぶべきではありません。結果の多くは失望が待っています。

 

 世の中は、政治によって、リーダーによって必ず変わります。

 『1頭のライオンに率いられた100頭の羊の群れは、1頭の羊に率いられた100頭のライオンの群れに勝る」と云う格言があります。優れた政治家を選び育てることが肝要かと思います。

 

 

2014-10-15 13:57:22.0 高田の歴史の重さと戦国大名の威厳を感じる展覧会

 高田開府400年記念特別展「越後の都 高田と徳川家康の血族」が上越総合博物館にて10月4日から11月16日まで開催されます。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康が所持・使用していた国宝・重要文化財級の武具・茶器・書状等92点が展示されています。我が地元の英雄上杉謙信公・そのライバルであった武田信玄公、高田城築城の総責任者伊達政宗公ら同時代に生きた英傑の遺品に触れた時に私は身震いをしました。

 秀吉が天下統一を果たしてから家康が関ヶ原の合戦、そして大阪の陣を勝ち抜いて元和偃武を開きその後15代264年に渡って太平の世の礎を築いた事は世界史の中でも稀有な例として評価されています。

 

 そしてこの高田の地は家康と阿茶局(あちゃのつぼね)の六男として生を受けた松平忠輝が長じて越後六郡と北信四郡(高井、水内、更科、植科)を治める大大名としてその国府に定められました。また忠輝を愛した生母阿茶局は高田を西方浄土にすべく易学・風水の大家に占わせ、米山の薬師如来、妙高の大日如来の「気」が交差するパワースポット、即ち現在の高田城址公園の本丸がその場所とされ築城が行われました。一方、家康は高田を軍事上の重要拠点と考え自らの息子を配置し、街道を整え、城下を整備し、産業を振興すべく努力を傾けました。

 

 当然ながら現在の様な技術・重機等は皆無であり、膨大な人員と金がかかった事は想像に難くありません。また、自然災害・疫病が発生すれば深刻な人手・食糧不足に陥る事も容易でした。為政者はその苦難を乗り越え領内を経営しなければなりませんでした。領内で一揆が頻発すれば公儀(幕府)から改易され、領主はより石高の少ない領地へ転封(てんぽう)されます。高田藩を約130年間預り、明治維新まで続いた榊原家は様々な事情から播磨姫路からこの越後高田に転封されてきました。榊原家は特に名君と謳われた3代藩主榊原 政令(さかきばら まさのり)公が赤倉温泉の開発、殖産興業の奨励を行い藩財政の立て直しに尽力しました。今年、高田開府400年と言う事で松平忠輝公を顕彰する動きが盛んですが、榊原政令公が今日の高田の礎を築いた人物であると言う事も忘れてはなりません。

 

 そのような由緒正しき「高田」の名前を昭和46年、何の魅力も感じられない「上越市」という名前にして発足させ、現在に至っても上越新幹線沿線にある都市と思われている知名度の無さに貶めた当時の政財界のお歴々の罪は今なお消える事はありません。

 現在に生きる我々はそれらの先人の過ちをただ非難するだけでなく教訓として新たな知恵を生み出す土台としなければなりません。

 最後になりましたが、冒頭で申し上げた特別記念展、是非観に行ってこの地が刻んだ悠久の歴史を肌で感じ取って下さい。

2014-10-13 22:41:17.0 『ノーベル賞はあきらめない基礎研究とチームワーク』

 日本の誇りであり、アジアの誇りでもありますノーベル物理学賞を3名の日本人が受賞しました。

 

昭和61年以前には結晶の素材としてほとんど見向きもされていなかった窒化ガリウムに注目し、昭和61年に、青い光を出すのに必要な高品質の「窒化ガリウム」の結晶化に世界で初めて成功した、名城大学教授 赤崎 勇氏(85歳)と師弟関係にある 名古屋大学教授 天野 浩氏(54歳)、さらに平成5年、独自に開発した装置を使って、極めて明るい青色LEDの開発に世界で初めて成功し、世界中の研究者を驚かせた カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授 中村 修二氏(60歳)ら3名の情熱とあきらめない執念が世界に認められた快挙でした。

 

最近の日本の科学界はあってはならない不祥事が多く発覚し、科学者の世界まで非常識がまかり通り色々な問題が報道され、ついには世界的な学者が自殺するという暗いニュースが流れていただけに今回のニュースは久方振りに明るく大変嬉しいニュースでした。

東北大震災、台風・水害、噴火災害など日本全体が深い悲しみの中に自信を失いかけていた時だけに、物創りの国「日本」の評価が再び世界で上がり、我々日本人に誇りと自信、やる気を呼び起こす素晴らしい受賞であったと思います。

 

インターネット(IT)時代になり100年前と比べ地球全体(世界)が狭くなり国境もなくなり、一国の経済は自国内だけの影響でなく遠く外国の情勢、例えば 政変、紛争、財政状況、自然・人為災害等々によって瞬時に連鎖的に為替相場の上下や市況の上下、外国人投資家の動静などに影響を与え自国の経済が変動してしまう程、情報・ニュースの受発信がグローバル化しています。そしてこのノーベル賞のニュースも一瞬にして世界中を駆け巡りました。

 

安定した豊かな国や地方であってもそこに住み生活する集団にとって知識や情報の追求は基本であります。また異なる国民・民族間ではお互いに切磋琢磨の努力を厭わないことがその国民の民度の優劣を決定する分かれ道だと思います。

ノーベル賞は地球のどんな所に住もうが生まれようが、優しさと美しい神様のような温かい霊の持主たちが自然と集まり、その中心となるリーダーと周りの強い結束力で確固たる目標に向かって一体となりこれをやりたいと思い願うことから第一歩が始まると思います。そして決してあきらめず一歩一歩努力を積み重ねたそこからノーベル賞という奇跡が起きるのです。

スポーツや芸術であれ また経済であれ科学・医学・政治であっても団結力のあるチーム・団体、企業、政党、国民・市民、町内会、家族に至るまでこのような奇跡は起こりうる思います。日本の敗戦後の復興も正にこの事の証明だと思います。

 

自分の住む町をどんな町にしたいのか? いつでも答えられるだけこの町を常に愛することと情報を知ること、さらに歴史的裏づけのあるこの上越市は全国屈指の人材を各界各層に送り出した土地でもありますので、それらのレベルの高いこの町の伝統的人物の足跡を大切にし、誇りあるものを子供達にしっかり受け継がせることを私達日本人は考え、自身を持ってノーベル賞をアジアの中で一番受賞者の多い国であることを自負するべきであると思います。

 

ノーベル物理学賞に続きノーベル平和賞の受賞者が発表され、パキスタン人のマララ・ユスフザイさん(17歳)が受賞しました。ノーベル賞史上最年少の受賞となり、世界中が驚きと賞賛の声を上げました。

このマララさんの受賞までの経歴はあまりにも過酷で苦難に満ちたもので、自分の死を覚悟して命懸けで活動してきた中で、世界中の人々が感動し突き動かされた結果の受賞だと思います。

受賞したマララさんが行ったイギリス中部バーミンガムの図書館での英語による受賞決定スピーチは、とても17歳の少女が語ったとは思えない素晴らしい内容のものでした。これは是非とも日本の子供達にも読んでもらいたいと思います。

今後、日本においてもマララさんのような立派な若者達が育ちあるいは育て、この後に続いて行ってくれればと心から願うものです。

今回ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさんに最大限の敬意と賛辞を送りつつ、今後の活躍を見守りたいと思います。