えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2014-12-30 16:27:01.0 お正月に思う

 明けましてお目出とうございます。

 国旗を玄関に掲げましたでしょうか?初詣で神様の前で何を祈願されたのでしょうか?

 お正月は昔から一家団欒、女性は台所に立たず、女衆を休ませるために料理を沢山作り、お節料理を三箇日で食べるのが日本の伝統でした。

 しかし、近頃はその良き風習がどんどん消えて来ています。日本髪、和服着物、正月映画、雑誌新年号の絵本、初売大売り出し、双六やかるた取り遊び等々、今は懐かしい思い出となってしまったものばかりです。それに家の中でも、人間同士の対話が切れること無く、にぎやかで楽しかったことの思い出がお正月の印象として残っています。

 それが現代では大型店やコンビニが、元旦から休まず営業しているのを見るにつけ、それは便利で売上も多少は上るかもしれませんが、そこにはお正月を楽しむおと云った余裕がまったく感じることは出来ません。正にユダヤの商人と化した経済優先のこの国の、この地方の形が見て取れるのです。

 私は「昔はよかった」と云う懐古趣味はありませんが、それでも日本人の文化、習慣が凝縮しているお正月の風習が我々の生活から段々消えて行くことに「これで良いのか」甚だ疑問に感じています。

 日本人は常に新しいものを求め、明治以来進歩的思想や技術を積極的に取り入れ、その結果日本は一流国家となり、昭和20年の敗戦からも日本人は懸命に働き努力して、いち早く復興を遂げ、世界から羨望される、存在感のある国家となりました。

 しかし残念ながらその間、逆に日本の良き伝統・文化が薄れ、または失われて来ていることも事実です。特に戦後“人・物・金”が東京をはじめとする大都市に集中し、地方のエネルギーのすべてが吸収されて行きました。その結果地方の町や村は過疎化が進み限界集落と化し、田畑は荒れ放題と云う問題が生じて来ています。新しいものやお金のみが人間に幸福をもたらすと思って邁進してきたツケが回って来たと言えます。

 古来からの日本の高い文化性と崇高な霊性から生まれた『和』の精神が“古い”の一言で否定され、本来日本人向きではない欧米の習慣、文化、システム等が入り込んでいます。これはアメリカが良く口にする“民主化”の思い通りの成功事例なのかも知れません。

  日本人は和服を着て、和風の正月料理を食べ、日本酒を味わい、騒々しいテレビ・新聞は遠ざけ、家族、親戚、ご近所、友人知人と語らい合う場を楽しむのが日本の正月の過ごし方です。

 これからの日本を担う若い方々に本当の日本の良き慣習を継続して行って頂きたいと望む一人です。

 

 

 

 

 

 

 

2014-12-28 01:12:38.0 『県立武道館は中規模建設では建てても役に立たない!』

 県のお役人さんがまた大きな過ちと言おうか愚策と言おうか未来に禍根を残す事をやろうとしています。

それは県立武道館建設の基本計画が正式に上越市に決定し、その武道館建設の規模について例のごとくお役所の責任逃れに一役買うような行政の言い成りになる人物に白羽の矢を当て、〇〇検討委員会、〇〇部会、〇〇会議などを用意し学識経験者(ほとんどが未経験者)、経済人、市民団体の代表、今回はスポーツ団体の代表などを人選します。そして事務局として行政の部・課長が目を光らせながら、その検討部会が形ばかりの検討会議を開催して行政の思い通り当初計画通りのものを知事や市なら市長に報告します。

 

今回も「県立武道館は中規模での建設になる」と一年程前より噂が出ており、この「中規模」では各種競技において北信越大会も開催できず県内大会がやっとやれる程度なのです。このような規模の会場では例えば相撲の場合、今まである高田公園の相撲場よりも小さく観客も50人、サブ土俵もなく正式な大会誘致は一切出来ません。又、剣道、柔道、空手なども中規模の6面ではやはり大きな大会は開催出来ません。これでは上越地区全体の経済活性化や経済効果は期待出来ません。

空手連盟では、大規模」での10面仕様であれば世界大会の誘致が可能になると考えておられました。上越を世界にアピールすることが出来るこの大きな夢やチャンスが6面では一瞬にして消えてしまいます。

 

どうして地元の武道連盟の声を聞こうとしないのでしょうか? 市役所は我々がいくら良いアイデアを出し良い事を訴えても、いつも真逆な悪い方向を選択していますが全く県庁も同じ穴の狢です。 この建設に多額の税金を投入しても利用団体、利用客が少なかったら税金の無駄使いの”天下の箱物行政”になる感じがします。 

全てを仕切るのは最後は行政の役人ですが、やがてその役人も定年となり多額の退職金を手にして、「後は知らない。どうぞご自由に」とでも言うように次の天下りの別世界で我が世の春を謳歌するのです。これが今日の日本の行政の標準スタイルです。 このような現場を見ない考えない紙の上の計算と言葉遊びのお役所仕事では地方の活性化など1000年経っても無理でしょう。

 

安倍総理の地方創生も言葉だけで、さらにこのような地方公務員の現状の体質や発想では到底成し遂げられるものではありません。もっともっと厳しい民間企業などの体質に変えるべきと私は強く主張します。

 

 

 

 

 

2014-12-24 10:04:02.0 絶対に間違っている「投票に行かないのも自由」なんて。全ての根源は道徳教育不在に有り。

香港では9月末より、“自由の中で選択できる真の民主的選挙制度”を求めて、学生・市民が結束して大規模な政治集会デモを行って来ました。しかし12月に入って、残念ながら中国中央政府の強権的圧力によって、集会デモ参加の学生、市民は逮捕、または強制排除され、民主化を求めた今回のデモは形の上では一応の収束をみました。

 逮捕拘束された学生・市民は厳しい尋問にさらされ、「二度と国家に逆らいません」と云う精神の中身が変わるほどのむごい体罰を受けていることが想像されます。

 

 ここで皆さん、少し考えてみませんか?この間の衆議院総選挙の低い投票率をどのように受け止めておられるでしょうか。

 香港では若者が、命懸けで選挙権の行使を訴えているのに、日本では議会制民主主義を自ら放棄している人間が47%もいるこの現実をどう考えますか。私は腹が立ち、怒りで胸がいっぱいです。

 

 事ここに至っては、日本人でありながら、日本国の行く末を決める大事な参政権を自ら放棄している人達に厳しい罰則もしくは罰金を科すべきだとまで思っています。また学校教育や地域、企業などにおいても、住民の政治参加をもっと積極的に教え、呼び掛けるべきだと思います。

 

 「その国の国民なら、その国に帰属し、国の決まりごとを守る」というごく当たり前ののことが出来ない低レベルに陥った現代社会。この原因は学校、社会、家庭における教育の責任です。

「投票に行かないのも自由」などまったく『自由』と云うものを履き違えていますし、そういう若者が増えて来てます。投票しないと云う事は、政治に対し白紙委任状を差し出して「好きにやってくれ」と言っているにと同じことなのです。あとで自分達に大きく影響してくる政策(例えば税金、福祉、国防等々)が自分の期待を裏切るような事態が起きて文句を言っても、「今更何を言っているのだ。ちゃんと機会を沢山設けているのに、あなたには文句を言う資格は無いよ」と言うことになります。これが社会の論理であり、政治を軽視する者は政治に裏切られる結果となるのです。

 そういう意味で国民全てが死ぬまで道徳心を学び礼節を守れば、もっと混乱も差別も無い幸せな楽園国家が形成されるものと信じます。

 

 しかし昨今、余りに「自由‼、自由‼」と叫び、公序良俗を破壊し、秩序を混乱させ、この国の弱体化を狙っている一部の集団、さらに現実を直視しないでに頭の中だけで観念的な理想郷を抱いている反日政治記者、反日政治評論家など左翼の病巣が拡大している現状を皆さんはどうお考えでしょうか。

 

 私は、子供教育で一番大切な『道徳』について教えていない文科省に「喝‼」を入れたいと思います。

 私は、「もっと道徳教育に力を入れろ‼」と叫びます。