えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2015-01-29 09:22:39.0 大横綱『大鵬』と『白鵬』、二人の強さの源泉は“自恃”の塊りであること

 私は自分が生きている間に、あの大横綱『大鵬』の32回優勝記録を破る力士が出現するとは思ってもみませんでした。しかし『白鵬』は、この初場所においてしかも全勝で33回目の優勝を成し遂げました。

 

 33回も優勝する“強さ”は我々が想像する以上に過酷で厳しい稽古々々の連続の中から生まれたものです。誰かが力を貸してくれる世界ではありません。何しろ強くなるためには体を柔らかにし、足、腰、肩首、前頭部、手足指の力など、相撲に必要な肉体のすべてを他人の何倍も動かし、稽古で鍛える。それがプロの相撲界の伝統でした。

 

 私自身も青春時代の7年間、白鵬と同じ宮城野部屋に籍を置き、厳しい力士世界を見て来た経験を持つ者です。相撲界は依頼心のある人間は絶対に強くはなれません。強く上に上がって行く力士は、常に自分に厳しく一切甘えるということをしません。

 

 『大鵬』も『白鵬』も若い時は身体も痩せて細く、、困苦窮乏、辛い修業時代でも「早く強くなって親孝行したい、そして部屋の親方、お上さんにも喜んでもらいたい」と言う一念だけで精進して来たのです。その精神力と責任感は一般社会の20代の現代っ子とは比較になりません。それほど彼らは人間としての器が大きいし、心も強いのです。ちょっと強くなってのぼせ上り、天狗になったり、若衆を虐めたり、酒と女に溺れたりする年頃ですが、その辺がお二人の横綱が持っている“自恃”の心は立派の一言に尽きます。今場所の『白鵬』は正に「天は自ら助ける人を助ける」と云う格言を具現化したものだと感じました。

 

 昨今、日本全体が甘えの構造となり、努力もしないで欲求だけは強く、物事が少しうまく行かないとすぐに切れて自暴自棄になり、そして人生の敗北者になって行く例が多々目につく社会です。何かすると他人のせいにする甘えの考えは私は嫌います。

 

 “稽古”と云う言葉の漢語の原義は「いにしえを調べ、今なすべきことは何かを正しく知る」ということです。まちを良くする。国を良くする。そのため、そのまちその国の歴史と伝統を学び、いかに発展させていくか、我々一人ひとりが努力、勉強することがすなわち私達の“稽古”です。

 

 「今は辛い事でもいつかは自分のための肥やしになる。若い時の苦労は買ってでもやれ」とよく言われました。考えれば私は有難い経験をさせてもらいました。振り返って今つくづくそう思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

2015-01-25 19:54:41.0 『嗚呼、情けない! 気配りと気概の無い現代社会を考える。』

元旦祝日に国旗も出さない、門松も飾らない隣近所や上司、日頃お世話になっている人に年し始めの挨拶もしない。あるいは町内会の新年会にも出席しない、また出席してもまるで遊び着のままの様なだらしなく締まりのない服装で出席している。お正月の公式な席のはずなのに気にもならず、恥ずかしくもないのでしょうか?

 これらの事は要するに現代人は昔の人達より多くの知識があり高学歴であっても、当たり前のことが当たり前に出来ない人間に言わば「退化」してしまったと言えるのではないでしょうか。

 昔の人は「己の分を知り、恥を知る」という観念を当たり前として自分の中に持って生きていました。戦後になって時が経つにつれ「己の分」が「己の権利」に変わり、「恥を知る」は「贅を知る」というように様変わりしてきたため、人との絆や心を大切にしてきた日本人は、今や自分さえ良ければいいという「自己中心」で物や金を大切にする「拝金主義」の民に変わっていく過程での一つの現象であるように思われます。

 何か友達からお歳暮やプレゼントが送られてきても礼状の手紙をしたためる人はほとんどおりません。

要するに「ずく」「気配り」「気持ちの配慮」「気遣い」「思いやり」「気概」の心が段々薄れている証拠だと思います。私がよく言う「薄情な社会」になっているのです。

 人間として大切な決まりごとが出来ない大人が増えているのは「和の文化」の衰退です。

幼稚園、保育園から小中高生までに礼儀作法をきっちり教える道徳教育を厳しく教え育てる教育の基本に据るべきです。これは教育現場の教師や親が教えるべきですが、残念ながら今の教師も親も子供のお手本になるような礼儀作法や社会生活全般の習慣等についての知識や常識、また体験がないため子供達に指導が出来ないのではないかと思います。

 そこで私は、地域の子供達は地域で育てないと「良い子」が出来ないと思い武道を通じ礼儀作法と強い肉体と精神力を子供の時にしっかり身に付けさせるために、学校・家庭以外で青少年の健全育成を目的に掲げた上越武道連盟を立ち上げました。

参加7団体で本年も社会奉仕活動、講演会、体験学習、時には子供達、保護者、指導者でのバーベキュー大会などを開催し、会員相互のコミュニケーションや絆を深め、子供達に人間関係の大切さをしっかりと教えていこうと思っています。

 いずれにしても、大人が「ずく」が無くなったらおしまいです。知識と行動が一緒になって初めて大人と言えるのです。我々の先輩の明治、大正、昭和の20年以前の方々の「気概」を今一度学び直し、さらに未来の子供達に伝えましょう!

世界中から賞賛された日本人の礼儀正しさ、責任感の強さ、結束力の強さ、知識の高さ、高い道徳心をもっともっと誇りれるよう、それらを実践していた人達のことを今こそ紐解くべきだと思いますが皆様は如何思いますか?

 

 

 

 

 

2015-01-19 15:24:23.0 リーダー不在の悲劇、その原因を考える

 3月14日、北陸新幹線が夢を乗せてこの街にやって来ます。しかし、新駅の周辺、その区画整理事業に15年間、100億円以上の税金を注ぎ込んで来ましたが、今のところ地域活性化の証しになるものは何一つありません。巨大な新駅舎と空地だけが目立つ淋しい風景が広がっています。 この状況を招いた最大の要因は、このまちに官民を問わず、創造力、実行能力に富む卓越したリーダーが不在であると云うことに尽きます。

 リーダーシップに富む人材は急には出現しませんし、また簡単に育てられる訳でもありません。それは畑の野菜や果物と同じです。人材は丹精を込め時間をかけて育て上げるものなのです。

 幕末時において長州、薩摩、土佐、佐賀鍋島、会津からは、明治維新後の新国家を牽引する政治家、実業家、軍人、学者を数多く輩出しています。それは「優秀な人材を育てよう」という気風や習慣がその地に有ったからにほかありません。

逆にリーダーが生まれてこない処に共通している悪癖は、能力や手腕力のある人がいると、本来その能力とは関係ない陰湿な“悪口陰口”“差別”“嫉妬心”“悲観論”等々マイナス要因の横行しているこです。「やれ生まれがどこだ」「親代々職業がどうだ」「あんな学校出だ」「以前の職業がどうだった」など、その人の持つ良い事や能力を絶対に誉めることなく寄ってたかって潰しにかかってしまうことです。その罵詈雑言はやがて本人や家族の耳に必ず入ります。その結果「人の上に立ちたくない」「リーダーになりたくない」「自分さえ良ければそれでいい」といった人目ばかり気にする小粒な人間だけの社会になってしまうのです。

 近頃は町内会の役員のなり手がいなくて困ったり、新年会をはじめとする町内の諸行事への参加者が減少して来ています。これはまさにそこに住む住民の心が自分の町内に愛情が無くなっているからです。“情が無い”心が問題です。阪神大震災や東日本大震災でも判る通り、死者の少なかった地域や町は日頃から町内の結束力の強い所でした。いかに皆んなをまとめ指揮を執るリーダーが居ると居ないとでは大きな差が出てくるということです。

 今後我々の上越市は、長野市、富山市、金沢市との都市間競争が益々激しくなっていくことが予想されます。競争を勝ち抜き、より我がまちを発展させるリーダーを育てる大切さをもっと認識する必要があると昨今痛切に思うこの頃です。

 何もせず、自ら汗を流すことも無く、噂好きの情報屋、駄弁評論家ではまちの活性化などほど遠い話です。人材を育て上げる温かい情のあるまちにしましょう。