[ 2015年10月 ]
全3件
幼い子供と老人が命懸けで国を捨て、ドイツを目指し難民として脱出している姿が報道されています。
あの中東諸国は宗教上のイスラム教の同じ人間同士での宗派、部族の争いが今日の悲劇を招いています。あの地域は約5000年前メソポタミア文明の発祥の地であり、数字や天文学、特に暦を発明、発見した人類最高の頭脳明晰な哲学者、科学者を輩出している地域なのに21世紀の今日になっても、殺掠の悲劇が続いていることが不思議でなりません。
5000年間、人間は進歩していない証拠です。その罪深さは色々あるでしょうが、その一つに同じ人間が同じ人間の偏見と差別、リーダーの独善が悲しい原因だと思います。
争いはすべて差別から出発しています。肌の色、宗教、生まれたところ(出身地)、性別、年齢、貧富、学歴、職業などあらゆることで人間だけが醜い差別が原因でその巻き添えで何の罪もない可弱い人が殺されたり、いじめられたり、自殺や戦争まで引き起こしてきた歴史を繰り返しています。
この上越でも同じことが言えます。なぜ人物が出ないのか、リーダーが必要なのに、また新幹線時代に乗り遅れている原因の一つに人間同士の醜い差別感が暗雲となっています。心と目が狭いと発想が貧弱で小さく、大きい冒険や挑戦もせず、目先の自分の損得のみの発想では、夢のある喜びに溢れたところにはならないのです。
生まれたところや性別や年齢、貧富、職業でなく、余所者を嫌わず、排他的な気風を排除しないと、この国も我々の町も時代に取り残された暗く寂しいところになることだと思います。
赤い血の流れている神の一族、大らかな心と思想で明解に幸と不幸がそこから分かれます。目先の小さなことより、争わず、気持ちは広く何事も恐れず、包容する大空と大地の天と地の間に生きる人間、もう少し良くしようと結束すべきだと思います。
この国は不幸なことに自然災害が多発する国です。
地震、津波、台風、地すべり、火山噴火、低温、猛暑、豪雪による雪害などこれだけの厳しい環境を乗り越えて来ました。そして地下資源は0(ゼロ)に等しく世界から多種多様な物を輸入しなければなりません。国土は狭くその80%は中山間地です。
さて、私はこれだけのハンデがありながら有史以来、2600年以上続いている歴史を持つ国は世界の中で他にありません。高度な文明を持ちながら滅亡・崩壊して行った国は沢山あります。
我が国においてもその危機に直面した時が2度ありました。
1度目は1853年6月(嘉永6年)突然、米国使節団としてペリーが黒船に乗って日本の浦賀にやって来ました。そして幕府に開国を迫りました。 また、イギリスやロシアも日本に開国を迫りました。当時、鎖国を行っていた徳川幕府は、諸外国ようなの科学技術の近代化に遅れ、世界の「戦う兵器」の違いをまざまざと知らされ国内世論は二分されました。
結局、「日米和親条約」の不平等な条件を飲まざるを得ず条約締結という屈辱を味わいました。その後、徳川幕府の時代は崩壊しましたが、この不平等条約は改正することが出来ずに日清、日露戦争に日本が勝った後の1911年(明治44年)になってやっと改正出来ました。マシュー・ペリーの黒船来航によって日本が開国してから、実に56年余の歳月が経過していました。そして明治維新の猛者達によって日本国は欧米の植民地化をなんとか阻止致しました。
2度目の危機は1939年から1945年の6年間、世界を相手に戦った第二次世界大戦で1945年のポツダム宣言を受諾しその後の無条件降伏でした。8月15日、天皇陛下の一言で停戦となりました。
9月27日、駐日アメリカ大使館公邸においての天皇陛下とダグラス・マッカーサーの会談で、天皇陛下は「今回の大戦争の責任は私一人にあります戦犯として裁きを受けるので国民を餓死させず復興させて欲しい」との訴えがマッカーサーの心を動かし国体の維持と日本国の継続が出来ました。(この詳しい話の内容は、私の8月9日のブログに天皇陛下の御製の4首の歌と共に掲載しておりますので、ご参照下さい)
この2回の国の存亡の危機を救ったのは、まさに日本人の「精神性の気高さ」「魂の崇高さ」と「教養の深さ」「賢い決断力があった国民と指導者の熱意」でありました。そして、そういう国民を育ててきた江戸、明治、大正、昭和の20年までの教育の中身が良かったからこそ優秀な人間(国民)が出たのだと思います。
今日、世界中がテロに怯えています。何千年もの間、殺し合いを行っている地域があります。また、自爆テロを先導したりする方法で平和になった国は世界の何処にもありません。
人間は「心」と「思考」こそが最大の資源であり、その基は「教育」です。国民がどれだけ「賢いか」なのです。
いつまでも自虐史観から脱却せずポピュイズムという一見、耳触りの良い言葉だけの政党の公約や混乱が目的のマスコミに毒されている国民が多数を制すれば当然国は乱れていきます。
正常で秩序正しい誇りとしてきた精神が瓦解する時や反日国家の侵略・攻撃を受けることなどを想定し考えると、常に国民は冷静に賢い判断の出来る知識、情報、教養を学び得ようとする姿勢を常に持っていなければならないと思います。
国も地方公共団体も本当に誰が責任を持って動かしている分からなくなっている様に思います。2020年の東京オリンピックという国を挙げての行事、その運営を行っている東京オリンピック組織委員会という組織が、当初メインスタジアムの建設費が予定より大幅に増加する事を「材料費が値上がったからだ。見直しをする必要なない」との強気の一転張りだったのが、安倍首相を始め、世論の強い批判にさらされると一転して文部科学大臣が見直しを宣言しました。トップたる文部科学大臣の責任はともかく、問題はその下で責任も取らないでこの国の事業の大事を行っている無責任な官僚が存在している事が大きな原因です。
その以前のエンブレム盗作問題も世界中に恥をさらしました。一部の官僚が更迭されたと言う報道もありましたが、ネット上ではこの審査・採用に関わった人物の名前が列挙されており、そういう人たちが何の責任も取っていない事に少なからず憤りを感じているのではないでしょうか?
官僚というのは責任逃れが上手な人たちで、“霞ヶ関の常識は世間の非常識”を地で行くような事ばかりしてきました。何かと言えばすぐ「●●組織委員会、●●検討委員会、有識者会議」などを立ち上げ、さも仕事をしている様に装いますが、その人選において非常に偏った事がされていると言う批判が巻き起こります。そういう人たちの決定した事に官僚・政府が追認し、利権に群がる人間が国民の税金をむしり取ると言う事例の枚挙にいとまがありません。人間の業の深さというものでしょうか。
上越市も同じ事が言えます。最大会派(議長を出す会派)はたいがい行政側に立ち、行政の政策に常に追随する議員ばかりです。これでは本当に納税者である市民に申し訳が立ちません。無責任な役人体制を直さない限り、役人は自らの保身だけに気を配り、定年後の天下り先を確保する事だけに必死に働くだけです。
国の大事もさることながら、この地方都市である上越市でも人口問題・観光問題・地域問題と難問が山積しています。今までどおりの役所仕事では埒が開きません。体裁だけ取り繕って「民間の第三者機関へ委託しました。市としては支援するつもりはありません」ではもはやどうすることもできない時代に入ってきているかと思います。国でも地方公共団体でも官民一体となって責任を分かち合い、どうすればこの国と地域が良くなるか真剣に考えるべき時期ではないかと思います。