[ 2016年1月 ]
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1月24日大相撲千秋楽・支度部屋の喧騒
これから臨む取組みは、これまでの己の相撲人生の中で最も重要な大一番。自らの相撲道を信じ、すべての精神を集中する『琴奨菊』の姿がそこにありました。土俵へ向かう花道でそっと合掌する姿は力士らしからぬ様にも見えますが、その祈りには取組み相手と己が怪我をしないよう、お互いに力を出し切って悔いのない最高の取り組みが出来るようにとの願いが掛けられているように思います。
土俵上、「琴バウアー」なる気合の動作は、まるで天(あめ)より「ソサノヲ」や「タチカラヲ」はたまた「タケミカツチ」の神々を勧請しているようにも見えます。
福岡県の柳川市民だけではなく、日本中の祈りの言霊が念力となって「琴奨菊」の背中を強力に押しました。
取組相手も天下の大関「豪栄道」です。しかしその「豪栄道」がまったく何も出来ないまま敗れてしまい、すごすごと花道へ消えて行きました。 「琴奨菊」の圧倒的な強さは降臨された武の神々によるものなのかとさえ思える程でした。
そしてこの一番には、勝負の世界における勝者と敗者の違いや厳しさがよく表れていたように思います。
土俵は昔から15尺の狭い円型の空間の中で、男同士が裸でぶつかり合い僅か数秒間から長くても数分間、真剣に戦う日本古来からの『神事』とも深い関わりのある競技ですが、私は子供の時からラジオに齧り付いて大相撲の実況放送を聞いて胸を躍らせておりました。
さて近年、国技である大相撲においては日本人の優勝者が何と10年間も現れず、その結果日本人の横綱も誕生しないという誠に情けない状況が続いておりました。
そんな中、やっと念願が天に通じて「琴奨菊」が優勝を果たしたことに、私は心から嬉しくて堪りませんでした。
現在の日本人力士はモンゴル人力士より稽古量は絶対に足りません。さらに精神力、集中力に甘さがあり、ただ小手先だけで勝とうとする焦りで怪我をすることが多いようです。したがって”バタバタ相撲”となり、バランスが崩れればすぐ「ゴロリ」と負けてしまう不甲斐ない相撲ばかりが目に付きます。
私が若い時分に角界にいた折、土俵の側で水付けをしていた関係で「栃錦」「若乃花」「柏戸」「大鵬」といった名力士たちの生の相撲を間近で目の当たりにしてきました。だからこそ言えるのですが、今の相撲はあの時代の相撲とはハッキリ中身が違います。 それは「稽古」という大変辛く苦しい努力を死に物狂いでしないからなのです。
今場所の「琴奨菊」は、場所前の稽古の厳しさや量の多さもさる事ながら、非常に落ち着いた精神と強い集中力を養ったことが自身を優勝へと導いたのだと思いました。 すべてはここ一番という時に発揮される集中力と絶対勝つという強い精神力です。
政治や行政の場においてもそれは同じです。都市間競争に勝つ町は、市長を先頭に行政、議会、市民が自分達で戦って必ず勝とうとする意欲や行動が一体化されている、つまり意識の一体化と集中が出来ているということなのです。
”日本人力士たちよ!” これからも引き続き稽古に精一杯励み、そこで満足せず「横綱」を目指して”堅忍不抜”を胸に頑張って下さい。
なれるかなれないかは、”絶対に「横綱」になって見せる”という強力な決意と気力の持ち方次第なのではないでしょうか。
日本社会の慣例となっている各組織、団体、企業の新年祝賀会の行事も一段落した今日この頃です。
今年も私は、市会議員と云う立場もありますので絆の深い近隣の町内会新年会に来賓として出席させてもらいました。
出席して見て本年つくづく感ずる事は、急激に進む高齢化の凄さと人間関係の希薄さです。200世帯の町内会でもご高齢の方々20~30人位の出席で、それも年々少なくなって来ています、世代は交代していると思われるお宅でも若い人達の出席が有りません。青年会、婦人会、壮年会も無く、有るのは老人会だけの町内の新年会はどこか元気を感じられません。
新しい年を迎え、「町内会長を中心に明るく住み易い町内会にしましょう」と云う出発の意味を持つ新年会に、その町内の役員、班長も出て来ていないと言うことはどうしたことでしょう。町内住民間のコミュニケーション不足は、物質は豊かでも、現代社会の心底は暗く冷たいものを感じさせます。「出来るだけ周囲の人達とは係わりたくない」「自分の世界以外には興味が無い」「町内会などどうでも良い」と言うことでしょうか。
かって日本人の美徳とした仲間内の「情」「人間愛」が全体的に失われて来ている風潮ですが、その風潮がこんな田舎の地方都市にも及んで来ているようです。
町内会は法律や条例はもちろんなこと、規則があってそれに縛られるものではありません。しかし私が大切にしたいのは、目には見えない人間としての絆を持ち、互いの約束事を守ることです。天下国家を論ずる前にまず自分達の町内会を盛り上げ、仲間同士仲良く付き合い、明るく元気なまちにすることが肝要かと思います。我々は、今もう一度考え直す時期が来ていると思います。
世の中は、そこに住む人の“心”で決まります。「良い人が居れば良い事が起こり良いまちになります」と言うのが私の持論です。
それから町内自治は住民の協力無しには出来ません。町内会長のなり手が無いのは町民の協力が無いからです。リーダー不在は結局のところそこに住む人たちの責任であると思います。
平成28年は丙申(ひのえさる)であり、丙申の年の年にはある事柄や事象が真実として現れ明らかにされるという言い伝えがあります。新旧交代、新しい時代に向かっていくための年でありたいと思っています。
本年4月には統一地方選挙があり、上越市議会も任期満了に伴い選挙が行われます。奇しくも丙申の選挙になる為か、これまで行政に対してモノを言ってきたベテランの議員が多数引退されるという”丙申”を感じさせる状況になってきました。長い方では11期(44年)に渡り政治と選挙のあくなき闘いの中に身を置き、一日たりとも心休まる日の無かった議員生活の御苦労は察して余りあり、また尊敬に値する偉業であり、深く敬意を表するものであります。
議会と言う所は武器なき戦場、強大な権力を持つ行政側に対して議員がその施政に対して議論をぶつけ、どちらに理があるのか市民のみなさんが注目する場所でもあります。それだけにプレッシャーは尋常でないものがあります。
立候補予定者の皆さんは既に昨年から選挙に向けてのさまざまな活動を開始しています。今年新人として立候補予定をする方々はその運動を通じてどのような感想をお持ちでしょうか。世間は思っていた以上に世知辛いと感じたかもしれません。その中で素晴らしい出会いに恵まれて思わず涙がこぼれそうな感激もあったかもしれません。
私もそのような経験を過去6度経験し、そして今年7度目の挑戦を致します。「常在戦場」の気持ちで政治活動を心がけてきました。一生懸命、ぶれずに是々非々を貫いてきましたので堂々と市民の皆様の審判を受けたいと思います。
自分の主義主張とこのまちへの夢を実現させ、喜びと楽しさがあふれるまちを作りたい、そしてこのまちに住む人達の人柄が賢く、自主自立の精神が強く、次の世代の子供達の教育に熱心な伝統を残すまちを作りあげたいと存じます。
寿命が尽きるその日までも国様に向け挑戦し、日々努力、そしてこのまちに「運」と「ツキ」を呼び込める様な戦略を立てるリーダーを作る必要があると思います。そのためには心を同じくする同志を集め、その結束力が必要です。冒頭でも申し上げました“全てが明らかになる”年、丙申、4月の統一地方選挙と7月の参議院選挙、日本の運命がかかっている大事な選挙です。日本の行方を方向付ける天王山、有権者である国民の賢明な判断に期待したいところです。