[ 2017年3月 ]
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稀勢の里の優勝は奇跡のように感じました。
あの日の国技館の観客とお茶の間でテレビやラジオで観賞していた相撲ファンは、左肩の大怪我の中右手1本で、あの馬力のある大関照ノ富士に本割と優勝決定戦の二番に勝てるとは夢にも思っていなかったでしょうが、心の中では奇跡を念じ稀勢の里の背中を押したと思います。
二場所連続で日本人力士が優勝したのは何十年も前の事です。国技館はもう外国人力士にその地位を奪われていましたので 我々日本の相撲ファンは長い間失望し国技館や地方の本場所もガラガラ、地方巡業も組めない程人気が低迷していた時代もありましたが、稀勢の里の横綱就任から急に連日満員の状況が続きました。
アメリカのトランプ大統領は強いアメリカを取り戻すと訴え国民の支持を得ましたが、大相撲も強い日本人力士の出現で2600年以前よりの歴史と伝統ある相撲を継続して愛し続けてきた日本人の心がひとつに纏まり、そして歓喜し興奮する日もあっていいのではないかと思います。
新聞やテレビを観れば悲しい出来事と暗いニュースばかりです。
かつて「巨人・大鵬・玉子焼」と呼ばれた人気者が国民に計り知れない楽しみ・夢・希望を与えてくれました。今回の稀勢の里は痛みに堪え横綱としてのリーダーシップ、責任を全うしようとした根性と精神に多くのファンは拍手と声援を送り、稀勢の里の歓喜の涙で千秋楽の幕が下りました。
日本全国の日本人が、また茨城県牛久市の市民の皆様は地元として誇りを感じた日だったと思います。
一日も早く怪我を治して稽古をしっかりやり、嫁さんを貰い横綱として大相撲をリードして下さい。その事が皆んなの願いです。
桜の開花の話題も聞かれるこの頃になり、いよいよこれからお祭りの本番を迎えます。 さて今日は・・・?
ミュージシャンのガクトさんが謙信公になりきって自分の白馬まで用意して、これまで謙信公祭を盛り上げてくださいました。上越市は謙信公祭において謙信公の「義の心」を全国の特に若い方々にもっと理解をして欲しいといと言う大きな目的を掲げて、これまで祭りを開催してきました。 そしてガクトさん自身も、謙信公の人間性に引き付けられ, 一昨年この上越市の「謙信公祭」を歴史に残る祭りにしたいという意気込みを語っておりました。
「ガクト謙信公」のこれまでの実績を見ると、全国から一日でおよそ21万人もの人が春日山の山麓線沿線や合戦を行う会場に詰めかけるという状況でした。
その経済効果は上越地区全体のホテルや旅館は軒並み満員御礼、タクシー会社・鉄道・飲食店・みやげ物店などに於いて数億円のお金が上越地区に落ちました。
それだけこの祭りが、ガクトさんの出演で盛り上げを見せていたという実績があるにも関わらず、昨年この祭りの実行委員長が交代し地元の祭りにしたいと言う事でガクトさん抜きで実施して見たら案の定、観光客やお客様は激減し経済効果も何も表れませんでした。
新幹線も開通し上越市の観光PRとして「謙信公祭」や国宝の謙信公の大刀である「山鳥毛」、武の殿堂としての「県立武道館」などを目玉として県外からの集客を図らなければなりません。そのためにも謙信公の愛刀「山鳥毛」の早期購入や、県立武道館の名称を例えば「謙信公武道館」と名付ける運動をしたりと、気運を盛り上げ行かなければ成ない時なのであります。
しかしながら大変残念なことに、本年の謙信公祭にもガクト氏を呼ばないと言う決定がなされてしまいました。
上越市の何事にも消極的で長続きしないという欠点が再び表れ、議会で私は激しく部長に言い寄りましたが案の定、一切前向きな答弁は無く元通りの閑散(かんさん)としたお祭りになる事は火を見るより明らかです。
いかに上越市は観光が,長野県や富山県・石川県より企画・立案能力が無いかが良くわかりました。これだけの観光資源を生かせない不思議な街だと思います。ちなみに現在のお祭りの実行委員長は、元上越市役所のトップ官僚の方です、これでは上越市の観光政策が良くなる訳がないのです。議会でもうこの事を言うのは辞めたいと思います! では又・・・!
50年後の日本の人口は8000万人にまで減るという見通しが発表されています。
人口減少は国力を低下させます。
地方は益々疲弊し、中山間地域は廃墟化し荒れ放題となり野生動物だけが増え、手の付けられない所だらけになります。
又福祉制度も財源不足で維持出来ず、年金・保険・介護制度も労働力、資金不足で現在のままのサービスは維持出来ません。
少子化・人口減少の問題は50年前から国は警鐘を鳴らしています。
子育ての制度や子供達の育つ環境も昭和30年代頃から見れば改善され、国民の生活・経済水準も欧米に負けないレベルにまで向上しましたが、出生数の減少によりこの10年間で公立の学校が5400校も統廃合の為閉校されています。
さて人口減少問題の原因は国や地方の行政が一生懸命制度や法律・条令を改革しても若い人達の考えや親や社会の考えを改めなければ人口は増えません。
親や社会が子供達に20歳代後半までに必ず結婚するよう教えそれが当り前で、一人前の普通の人間は結婚する事が常識であるとする社会にするにはやはり個人の心の問題です。
政治や行政は環境や制度だけを良くしても多くの若い方々は結婚適齢期になっても「結婚は個人の自由だ、誰からもプライバシーまで言われたく無い、個人の権利まで指示されたく無い」と言います。
この事は戦後教育の欠陥が70年後になって如実に結果として現れ、家族・家庭・地域が崩壊してしまった状況になりました。
銃声も無く血も流さず静かに着実に進んできた我が日本国の弱体化は、強い個人主義を是正せず甘やかしてきた結果です。
子供には「厳しい社会に正面から立ち向かえ」と言うべき親達が逆に「社会が厳しい事は悪い事だ」と平然と言い、義務・責任も教えず、その結果育った人間を「今さえ良ければ良い」とした考えを持った人間にしてしまった事に気が付かない限り、独身で結婚しないで一生を終える人が増え続けてしまい、結果的には少子化の根本問題は解決しません。
人口増加は若い人達の考え方次第です。