えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2018-06-10 20:19:20.0 大事な事やらずして良い事は起きないです

 世の中の動きには、必ず兆候が微力ながら現れ始めます。人間の健康も、なぜ早期に精密検査が必要かと言えば、身体の中に当人でも分からない細胞や血管の異常を見つけてくれるからです。世の中が少しずつ健康でない異常な状況が表れ始めている時、人間ならばドックや入院手術、リハビリもありますが、社会全体にはありません。

 悲しくて寂しい事ですが、子供への大人による変質的な怪奇な殺人事件や、無抵抗な力の無い幼児へのまるで地獄絵図のような折檻、虐待事件が連日報道されています。また、学校での陰湿ないじめによる一番弱い子の自殺。そしてその原因の調査を内部で必死に対面と責任追及を恐れ、ひた隠しに走る学校と教育委員会の幹部。これらの一連の事件や行為は、小さな事の様ですが、その病巣は日本の一流企業の体質や、政府の中核の中にまで、同じく陰湿で汚い病原菌の様にはびこっているのです。

 この様に病原菌に侵されているのに、手術や薬を処方する名医や賢者、リーダーが日本には居りません。色々と気が付き、批判と評論を書くマスコミや大学教授の偉い先生方がおられますが、この先生と言われる人ほどバカで能無しと言う言葉通り、自分の論だけが正しく、あれが悪いこれが悪いと言うだけで、結論も行動力も無く、高い原稿料や講演料、テレビの出演料を求め、自分が目立ちさえすれば良いと言うだけの知識人に過ぎません。

 世の中の仕組みや制度、特に法律や憲法の改正、そして国家100年先を考えての提言を行うなど、時と場合を考えての手術療法をやれる人物が必要です。それはやはり、大学の先生ではなく、政治家の仕事です。

 日本人の悪い癖として、出る杭を叩くと言うのがありますが、悪いマスコミと共謀してなんでも反対して、それで飯を食べ、自分の存在だけを売り物にしている人もいます。しかし、やはり世論の基である市民、有権者が正しく、高い判断をする事が、世の中の悪い流れを正常に戻す名医であると思います。

 この町、この県、この国の未来を決める政治を勉強する事、関心を持つ事、選挙の投票に行く事が何より大事な事ではないでしょうか。

2018-06-09 06:11:29.0 ♢ 恥をかくことは歴史の残像として永遠に残ります ♢

 永い歴史を持つ我が国の中で最大の改革は、150年前の明治維新だと思います。 色々なドラマや人物の才能豊かな天才的なリーダーは、今日では考えられない人達が豪出していた時代ですが、当時一番活躍していたのは、やはり武士道と言う精神性を持った人達が、世の中を新しい国造りへと情熱を持って行動した時代でした。 それだけに歴史家・小説家には様々な舞台でのドラマがありましたが、私は非常に許されない出来事の記録を読みました、又、武道連盟で草取りをする大貫の会津墓地もゆかりの墓地であります。

 

 会津戦争(戊辰戦争)慶応4921日より115日の降伏の日まで籠城して武士道を貫いた悲劇の藩です、鶴ヶ城は井戸の中から広間や廊下まで自決や砲撃による戦死者の死体の山でした、この戦争での死者は3.014人と記録され、総攻撃のあった1025一日で戦死や非戦闘員である武士の家族の婦女、子供、老人の自決などでの死人の数は1.634人でした、しかし許せないのは死者の方々の葬儀も遺体の埋蔵の許可を許さず、みせしめの為、官軍の占領総指揮官を命令されたのは徳川家親藩、越前福井藩の城主.松平春嶽です、その家臣.久保村文四郎と言う武士ですが、官軍に媚、遺体を数ヶ月放置させ城の中も城下町中が腐乱死体の悪臭で会津若松の町中が地獄絵図のような有様で、その後ようやく埋葬されたそうですが、それにしても福井藩主もその家臣の侍達も外道(げどう)そのものの集団でした。

 

 占領政策が終了し福井に帰還の折、会津領.束根松峠で会津藩内のきっての使い手、高津仲三郎とその仲間を待ち伏せして斬殺しました、江戸や京都で心ある人はこんなざれ歌を残しています、「越前の松平春嶽はあんまの様な名を付けて、上をもうだり下をもうだり」と笑い者にしています。 道徳や情が薄れていた幕末の武士道、今日の高級官僚.一流企業の「恥」の心を失った時代と似ているのです。

 

 過去に学び未来を見極めるのも必要なご時世でないでしょうか・・!  リーダーたる政治家や政党の党主、軽薄な言葉と行動、恥を知れと国民は感じています。        では、

2018-06-06 16:44:07.0 〈人生とは何かを考える仲間づくり〉

 

 本年は例年に無く寒かったのか知人の方の葬儀が多かった年でした。参列させていただく度に高齢化社会を現実として受け止めます。最後の別れ、無言の友人知人、特にご支援いただいた同志、戦友の棺に花を入れる時は万感の想いが込み上がってまいります。この世での修業を終え浄土に静かに旅立っている顔、つくづく感じるのは、あの世には人間は何も持って行けないのに何故生きている時は人間は欲深く、名誉や肩書やお金や財産を残すことにのみ執着し我欲のみに夢中に生き、周りに嫌われ結局友達も少なく、陰に廻れば悪評だらけの寂しい不幸な一生の人の葬儀もたまには出くわします。

 

 色々な人間の最後のセレモニー、この別れの儀式を年間に数十回も見ていると本当に人生観が変わります。大きな会社を経営したり、公的な仕事での肩書があったとしても廻りの人から好感を持たれ最後まで私利私欲では無く「まち」のため地域のための廻りが良くなれば自分は少しくらい損をしても無心で汗を流す努力をして、なおかつ何もおねだりもしないで淡々とやるのが当り前、俺が俺がも無く辛く難しい事をやり切っている人がいます。こう言う人が、この世に修業に来ているんだという事を悟り、一生をしっかり生き切った人だったと言う死に顔との出会いが何人かおられます。そう言う方の葬儀には列席者も多いです。

 

 「徳」の種を蒔くから世の中は合わせ鏡、自分に「徳」が帰ってくるのだと思います。自分さえ良ければそれで良い、他人の幸福など無関心、世の中の事などは関係無い、こう言う恥さらし人間の顔は死に顔まで暗いです。この世は皆な人生は短いものです。生きている間は世のために良い事をやりませんか、少しだけ力を出してくれませんか、難しい事ではありません。世の中を悪くしている人の手助けをしたり応援してはいけません。世のなかを良くする人間を見極めたらその人を応援する為に口と足を使えば十分な「徳積み」です。

 

 今大事な選挙を行っています。それなのに投票も行かない、何もしないと言うより進んで勉強して政策が同じなら応援、支援する事も立派な社会への貢献です。そう言う方こそ「一隅を照らす国の宝なり」の人です。こういう生き方の多い「まち」や国は平和で繁栄を続けられる所です。

 そんな仲間を造っているのが「琢磨の会」の仲間です。生涯青春、生涯勉強の心が集まります。