えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2018-07-30 18:01:29.0 <迷想からの脱皮はいつだ!>

 

 オウム真理教の教祖と幹部にようやく刑が執行されました。あの忌まわしい事件は多くの罪も無い一般人を殺すという、およそ宗教団体としては考えられない事を大学出のインテリの人達をまで「悪」のマインドコントロールから目覚めず教団幹部の言うがままに人を殺し死刑囚となって行きました。

 

 人間は何故か良い事をすることには消極的なのに悪い事をする時は善悪の判断が出来ない生き物なのでしょうか。だから人間がいる所には必ず犯罪が起きています。最近では所謂一流企業でも一流の病院でも、又法律を作ってきた政府の高級な役所や官僚までもが止まる事無く犯罪が繰り返し起きています。

 

 どうして次から次へと悪い事件ばかり起きるのでしょうか?答えは簡単です。それは「教育」に尽きます。教育環境は良くなっているのに肝心の教育の中身が全くと言っていいほど薄っぺらになっておりお話になりません。戦後アメリカから押し付けられた憲法により個人の自由と権利ばかり強調されて、それと同等以上に重要な義務と責任がおざなりにされてしまいました。個人の自由と権利の実現は重要な事であり私はその事は尊重し、否定するわけではありませんが、あまりにもそれを声高に主張しすぎるとお互いを思いやる事の無いギスギスとした歪な世界が出来上がってしまうと思うのです。

 ジャーナリストの櫻井よしこ氏によると戦後の日本国憲法第三章「国民の権利及び義務」の章に出てくる言葉の回数で権利が16回、自由が9回、義務が3回、責任が3回で一番強調されているのは権利と自由で、義務と責任はほとんど無視、軽視されている。権利の裏には責任があり自由の裏には義務がある、それを果たしなさいということはすっぽり抜けている。と御自身の著書「日本人の美徳」で主張されています。

 昔の日本人は何事にも責任を持ち日本人としての義務をやり遂げる事によって矜持を持ち得てきました。又江戸時代の寺子屋の方が立派な人間を育てるための教育を行っていたから明治維新や日清、日露の二つの戦争にも勝ち越し、近代国家を短時間でやり切ってきました。これには昔からの教育のおかげで国民の熟慮する能力が高かった事も大きな要因です。知識欲も今以上に高く全てに誠心誠意の志が国中にあったのです。

 

 国民の一人一人のレベルが高く、生きていく上で一番大切な志を持たせる指導者や先生方が大勢いらっしゃったと言う事に尽きると思います。又昔の人は良く勉強も致しておられ知行一致の世の中でした。そこに戻す事です。それが脱皮の始まりです。

 

2018-07-28 07:45:32.0 <災害救済船空母の建造を望む>

 

 自然災害列島大国と言って良いほど巨大地震、台風、地滑り、大火災、豪雪、局地的豪雨など北海道から九州沖縄まで何時何処でも災害の起こる国が我が日本国です。そして残念ながら多くの死傷者が出てしまいます。被災者も出ます。病人、怪我人、避難者の皆様への救助は時間との闘いです。ところが災害は道路、橋、トンネル、鉄道を必ず寸断し交通も通信も水も電気も所謂ライフラインを全てストップさせてしまいます。食料も医療品も不足します。まさに戦場下と同じです。

 

 そこで災害防災省を設立しヘリコプターを100機位い搭載する航空母艦の建造を国に要望します。船の中にはきちんとした病院も備え風呂も用意し厨房も全て揃っていて食事にも困らないようにします。日本は海に囲まれている国です。災害が起こっても海上輸送には支障が無く現場近くに停泊してヘリコプターで被災者を救出する事が出来ますので戦争に使うのでは無く災害救助船として航空母艦が必要と以前より思っておりましたし、最近では5月9日の私のブログでも同じような趣旨で投稿させていただきました。

 

 しかしながら国会議員の選挙や国会の討論では誰も取り上げません。防災に関して国はもう少し真剣に議論を積み重ね国民の不安の解消に努めるべきだと感じるのです。

 

2018-07-26 20:28:19.0 ♢ 沢山の大事な事を教えて下さった故山崎様に感謝 ♢

 人生の中にこう言う立派に生きた人と出逢った事で、沢山生き方を教えて下さった方と今日26日お別れの告別式に参列し、最後のお別れの辞を申し上げました。 故人であられます山崎鐡男様は、私の後援会「北雄会」の幹事長、二代目.後援会長として、25年間大切な国..市政の政治、選挙活動を共に戦って来てくれた戦友でもあり良き指導者のお一人です。

 

 若くして高田中学から帝国海軍に志願し、海軍の軍人として青春期を国家への奉仕を行い身も心も海軍魂の固まりの人で、日本男子の見本を身近に拝見させて戴きました。

頭脳は明せきの上、人間性は穏やかで優しく曲がった事や世の中の不情理には迷わず戦う信念の人でした、戦後は企業人として働き、軍隊時代から身体を鍛えた柔道と相撲で、上越市の武道連盟の良き指導者の先輩として範を示して下さいました。 又、お住いの旧高田の栄町の町内会長.老人会長などに貢献され、地域の皆様の面倒に人生の大半を費やし、社会に代償を何一つ求めず、人様.社会に家族に尽くし切った尊い人でした、「一隅を照らす、この事は国の宝」なりの言葉を実践され多くの人達に親しまれ、惜しまれ浄土にお帰りになりました。

 

 山崎鐡男さん、有難うございました。 思い出は付きませんが大正生まれ、現代人には無い本当の日本人の良心を見せて学ばせていただいた、山崎鐡男様のご冥福を静かに祈らせて頂きます。