えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2014-11-04 06:04:47.0 学びの殿堂、会津藩校『日新館』を訪問して

 10月18日、さわやかに晴れわたった秋空の中、上越武道連盟の子供達と私達役員、そして父兄の方々総勢36名は、初めて会津若松市を訪問しました。

 そこでは現代までも脈々と繋がっている会津武士の実学と精神教育の学びの殿堂である藩校『日新館』をはじめ、自刃した白虎隊士が眠る飯盛山の霊廟。さらに往時を偲ばせる鶴ヶ城の威容を見学して来ました。その日一日、会津歴史研究会の会長さんが我々一行に同行されました、また日新館に於いては学芸員の方から事細かな処まで説明を受け、見識を深めて帰ってまいりました。

 そして私たちが、「毎年、雑木林の中で陽光も差さず雑草に覆われた会津墓地の草取り清掃のボランティア活動を行っている」と申し上げると皆さん大変喜んでくれました。

 

                           <上越っ子 会津に学ぶ>

 

 私は「歴史に学ぶ」と云う考えを、このブログを通じて何回も訴えてまいりました。「戦後置き忘れて来た“日本人の心”を今一度取り戻したい」と言い続けて来ました。そして武道を通して人間性の回復と、さらなる人間性の向上が教育の基礎たるものと思いから、上越武道連盟の子供達を会津の歴史に直接触れさせたいと考えていましたところ、今回、折良く高田榊原藩『和親会』様のご協力を頂き、その夢が実現できました。誠に感謝申しあげます。

 

 京都守護職の任にあった会津藩は、時の孝明天皇の信任厚かったのですが、天皇ご崩御後は一転して逆賊・朝敵の汚名を着せられる悲劇の藩でした。しかし会津藩士達は、生き恥を曝すより、武士として誇りを守ることを選択しました。

 私は上越の子供たちに、この会津武士の厳しいことに耐え偲ぶ心。結束して決まりを守る心。常に正々堂々と生きる心。など人間として一番大切な心を学んで欲しいのです。

 『日新館』で学んだ会津武士は、敗軍の身でありながら明治の日本の新しい国造りの中で立派に貢献し名を遺しています。それ故に『日新館』は日本一の藩校であったと評価されるのです。

 

 国家においても地方においても基礎となるものは教育です。会津藩の武士の子は数え10歳になると全員『日新館』に入学します。そこでは全員文(学問)と武道の実践を学び習得し、心身のすべて鍛え、「ならぬものはならぬ」を子供の時から叩き込まれます。

その精神は現代にも脈々と受け継がれ、会津若松市では青少年健全育成のため、『什のおきて』の現代版たる『あいづっこ宣言』を策定し子供たちに素読させています。

 

             <什 の 掟>

 

 ひるがえって我が上越市においても立派な人材を育成し世に残すには、良き指導者を広く世に求め「歴史と伝統に裏打ちされた教育」を取り入れる時期が来ている」と、私は強く思い会津若松市をあとにしました。

 教師でもない私達が学校の教室以外で、子供達の将来に大変役に立つ人間教育をこれからも行ってまいりたいと思っております。

 

 外国からのスポーも結構ですが、人間の道を教える日本古来の武道を守り育てている上越武道連盟に何卒物心両面のご支援をお願い申し上げます。加えて今回の研修旅行に参加して下さった子供達、引率の役員父兄の皆様、和親会の皆様に上越武道連盟の会長として御礼を申し上げます。

2014-10-21 03:44:11.0 政治家の不祥事は有権者の投票行為の失敗が原因か?

 大きな仕事をする政治家は、本来は市民有権者に信頼され、畏敬の目で見られるべき職種であると考えます。

しかし、国会議員から全国の市町村議員に至るまですべて全員とは言いませんが、私を含め政治に関わっている人間に対して畏敬の目で見られているかと云うと、逆に胸に議員バッジを付けている自体恥ずかしくなるような不祥事が頻発している昨今です。

 最近でも議員政務調査費の出鱈目な使い方、女性関係に関わる不祥事などがマスコミメディアで報道されているのを見ますと、同業にいます私にして居たたまれないくらい呼吸が苦しくなる思いを感じてしまいます。そこには「至誠にに悖る無かりしか」「言行に恥ずる無かりしか」の『五省の精神』の欠片も感じられません。

 

 今国会に於いても、日本の運命を左右する重要課題を論議しなければならない時に、やれ「ウチワがどうした」「雑音がどうした」など言葉尻を捉えた低次元な問題ばかりの論争を繰り返しています。そんな中で“政治に関心を持って下さい” “投票に行って下さい” “選挙のお手伝いをして下さい”と声を枯らして訴えても、政治そのものの質の低下を天下に曝しており、政治家が軽蔑の対象となってしまっていて、私は空しさを感じています。

 政治こそ最高の良識と常識の府でなければなりません。しかしながら現状は、お金と権力闘争の場と化しています。これでは日本の将来、地方の未来に明るい希望は持てません。

 

 政治をなして行くことは大切ことです。然るに現状は、政治家としての能力も見識も無く、ただ目立ちがり屋でパフォーマンスばかりで中身の無い人が横行していることも事実です。こう云う人を選んではいけません。がっかりした4年間になってしまいます。

 

 有権者の皆様、選挙の時は立候補者その人の人間性、哲学、家庭生活、人間関係をよく見て聞いてその適格性を見抜きましょう。決して政治に関係の無いこと(例えばルックスが良いとか、亡くなった前任の子息だから)を理由に選ぶべきではありません。結果の多くは失望が待っています。

 

 世の中は、政治によって、リーダーによって必ず変わります。

 『1頭のライオンに率いられた100頭の羊の群れは、1頭の羊に率いられた100頭のライオンの群れに勝る」と云う格言があります。優れた政治家を選び育てることが肝要かと思います。

 

 

2014-10-15 13:57:22.0 高田の歴史の重さと戦国大名の威厳を感じる展覧会

 高田開府400年記念特別展「越後の都 高田と徳川家康の血族」が上越総合博物館にて10月4日から11月16日まで開催されます。織田信長・豊臣秀吉・徳川家康が所持・使用していた国宝・重要文化財級の武具・茶器・書状等92点が展示されています。我が地元の英雄上杉謙信公・そのライバルであった武田信玄公、高田城築城の総責任者伊達政宗公ら同時代に生きた英傑の遺品に触れた時に私は身震いをしました。

 秀吉が天下統一を果たしてから家康が関ヶ原の合戦、そして大阪の陣を勝ち抜いて元和偃武を開きその後15代264年に渡って太平の世の礎を築いた事は世界史の中でも稀有な例として評価されています。

 

 そしてこの高田の地は家康と阿茶局(あちゃのつぼね)の六男として生を受けた松平忠輝が長じて越後六郡と北信四郡(高井、水内、更科、植科)を治める大大名としてその国府に定められました。また忠輝を愛した生母阿茶局は高田を西方浄土にすべく易学・風水の大家に占わせ、米山の薬師如来、妙高の大日如来の「気」が交差するパワースポット、即ち現在の高田城址公園の本丸がその場所とされ築城が行われました。一方、家康は高田を軍事上の重要拠点と考え自らの息子を配置し、街道を整え、城下を整備し、産業を振興すべく努力を傾けました。

 

 当然ながら現在の様な技術・重機等は皆無であり、膨大な人員と金がかかった事は想像に難くありません。また、自然災害・疫病が発生すれば深刻な人手・食糧不足に陥る事も容易でした。為政者はその苦難を乗り越え領内を経営しなければなりませんでした。領内で一揆が頻発すれば公儀(幕府)から改易され、領主はより石高の少ない領地へ転封(てんぽう)されます。高田藩を約130年間預り、明治維新まで続いた榊原家は様々な事情から播磨姫路からこの越後高田に転封されてきました。榊原家は特に名君と謳われた3代藩主榊原 政令(さかきばら まさのり)公が赤倉温泉の開発、殖産興業の奨励を行い藩財政の立て直しに尽力しました。今年、高田開府400年と言う事で松平忠輝公を顕彰する動きが盛んですが、榊原政令公が今日の高田の礎を築いた人物であると言う事も忘れてはなりません。

 

 そのような由緒正しき「高田」の名前を昭和46年、何の魅力も感じられない「上越市」という名前にして発足させ、現在に至っても上越新幹線沿線にある都市と思われている知名度の無さに貶めた当時の政財界のお歴々の罪は今なお消える事はありません。

 現在に生きる我々はそれらの先人の過ちをただ非難するだけでなく教訓として新たな知恵を生み出す土台としなければなりません。

 最後になりましたが、冒頭で申し上げた特別記念展、是非観に行ってこの地が刻んだ悠久の歴史を肌で感じ取って下さい。