えいじま義雄の蓮風便り

「蓮」の花と薫りのように清く「義」一筋に政治の道を貫きます

2014-03-07 17:21:56.0 次々に起きる若者の凶悪殺人事件。その原因は?

 またかと思う程、最近若者が市民を襲う凶悪無差別殺人事件が連続しています。一般市民は常に戦々恐々として自分自身を守らなくてはいけない社会になって来ています。

 その犯人の若者が逮捕され警察に連行される時、何の悪びれることもなくふてぶてしく、しかも得意そうにさえ見えるその顔と態度を見るにつけ、私の胸は嫌悪感でいっぱいになります。どうしてこのような人間が増えているのか、その病巣を突き詰め、一日も早くその解決のために大鉈を振るう時期が来ていると思います。

 

  戦後67年、教育問題を審議する会議は幾度となく開催され、教育者と云われる大学教授、文部官僚、文教族政治家などが星の数ほど現れ会議に会議を重ねて来ていますが、現況を見ますと、少しも良くなるどころか益々凶悪犯罪を犯す若者が増えて来ているように感じられます。その一番の原因は、この教育者、学識経験者と云われる人たちは、実際の現場で泥をかぶり汗を流そうとしないからです。このままでは自分の生き方を見失い、引きこもり、精神を患い、そして犯罪に走る若者が今後益々増加していくのではないかと危惧されます。

 

  昭和20年代から見れば現代は、物は巷に溢れ、庶民の生活環境も豊かに且つ便利になりました。しかし反面、私たち日本人の精神は弱くなって来たように思います。迎え来る困難を乗り越えようと努力もせず、自分のことばかりで周りの人々のことなど一切考えようともしない。自分の思い通りに行かないとすぐに逆切れし、暴力や犯罪に走り、家族や周りの人々を哀しませる。そういう若者が増えて来ています。

 

 このようないびつで未熟な人間を造りうる社会環境は何かと言えば、それは人間の精神の基礎を形成して行く幼児から小、中、高校生までの躾、礼節、精神と肉体の鍛錬が絶対的に不足していることが原因と思われます。そして団体生活、奉仕活動と文武両道の精神を指導出来る教師を育ててこなかったことが最大の原因です。

 さらにもう一度親の社会教育も重要だと思います。今日のような好き勝手に我がままに育てている無責任な親が多い時代が続けば、日本の将来に希望は持てません。

 

 

  お金は掛りますが、国はまず中学校を全寮制にして団体生活を体験させ、規律を教え込み、世に出ても社会の荒波の中に生きる知恵と勇気、苦難に耐える強い心を教え学ばせることが肝要と思います。

 現況をどう捉えておいででしょうか

 私は、日本の教育制度は日本人に合う日本人のための制度に一日も早く改革すべきだと思います。皆様はどう思われますでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014-02-21 17:06:27.0 メダルは孤独に打ち勝った者のみに与えられる

 一般にリーダーやアスリートであると言われる人たちは常に孤独と戦い、それに打ち勝って来た人であると思います。本当のライバルは他人ではなく自分であります。1964年、私の青春時代まっただ中行われた東京オリンピック、マラソンランナーでエチオピアのアベベ選手は優勝インタビューの中で「私は76人のランナーに勝ったのではない。私は私に勝ったのだ」と言う名言を残されました。私は非常に感銘を受け、座右の銘にしています。

 

 現在行われているソチオリンピックも世界中に感動と勇気を与えてくれています。そして、悲喜こもごものドラマが繰り広げられています。国の代表として出場し、さまざまなプレッシャーをはねのけ、表彰台に上りメダルを授与される栄誉に浴する選手もいれば、コンマ1秒の差で惜しくもメダルを逃してしまった選手もいます。また、怪我や病気を克服して大会に出場し、大活躍を魅せる選手もいます。我々一般人には到底想像もつかない努力を積み重ねているからこそ、その雄姿を見て感動するのも当然かと思います。

 

 日本選手団も男子フィギュアスケートで金メダルを獲得した若干19歳の羽生選手もいれば世界から“レジェンド”と言われた41歳の葛西選手が銀メダルを獲得するなど活躍も見せていますが、一方で期待されながらメダルに届かず不本意な結果に終わってしまった選手も沢山います。トップアスリートは常に羨望の的にされますが、その反対に嫉妬・誹謗中傷の的にされやすいのも確かです。特に不本意な結果に終わってしまった時はマスコミが手のひらを返すが如き態度に象徴されるように負の感情が噴出します。極端な民族至上主義を持っている国では、選手が不本意な結果になると聞くに堪えないような罵倒を選手に浴びせかけ、その国で生きる事さえ否定するような事態に陥ります。日本人は融和を大切にしますが、反面傑出した才能を持つ人に対しては嫉妬や足を引っ張る人も残念ながら存在します。

 

 酷な言い方ですが、そのようなプレッシャーもはねのけるほどの精神力を持つしかありません。現在オリンピックで表彰台に上がる栄光を勝ち得た選手はそのような強靭な精神力を日々の練習の中で身につけているのだと考えます。また、素直な信仰心を持っていると私は考えます。

 私が常に訴えている武道教育はこの様な高潔な精神を身につける事を目的とし、現在日本社会に陰鬱に積っている瓦礫を一掃できるチャンスです。

 現在のオリンピックで活躍されている選手の中から見習うべき精神の持ち主が出現することを願ってやみません。

2014-02-07 13:58:35.0 高田開府400年祭の意義とは何か

 

 昭和46年4月、旧高田市と旧直江津市が合併し、残念ながら“高田”と云う歴史感のある地名が消滅して早43年が過ぎました。今日、市民には“上越市”と云う市名が定着しています。さらに平成17年の大合併により14の市町村が一緒になり、大上越市が誕生して9年目を迎えています。

そんな中私は、「今一度郷土の歴史を紐解き、先人たちが残した多くの偉業や業績を顧みることが開府400年祭の大切な意義である」と考えます。

 

 なぜ直江津今町にあった福島城から高田に城を移す必要があったのか。高田藩の開祖・松平忠輝は越後全域と北信濃四郡、長野善光寺、そして野尻湖もすべて高田藩が統治していたことを考えますと、徳川幕府はこの地を直轄地として政治、経済、治安、防災、文化、教育などあらゆる面の中心として高田を重要拠点としていたことが判ります。
 江戸中期1741年(寛保元年)以後120年間、徳川四天王の名門榊原家がこの地を統治することになり、文武両道を推し進め、度重なる自然災害、大火、疫病と遭遇しながらも藩主と家臣が結束して住民のために政策を実行して来たその足跡を学ぶこともまた大切なことと考えます。
 特に幕末、一年間を掛けての長州征伐への出兵、京・大阪への出兵などで藩の財政は困窮の一途をたどりました。しかし徳川親藩として苦汁の選択をせざるを得なかったのです。さらに会津戦争後、敗戦会津藩士1744人を寺町の寺院に降伏人として手厚くその身柄を預かり、途中亡くなった68人を埋葬し会津墓地を建立し弔うことも行っています。これらの事例からもお判りの通り、榊原家の藩主と家臣は、義を貫き惻隠の情を持って行動する、まさに武士道の鑑であったと云えるのではないでしょうか。

 もともと直江津も、頚城村も、安塚、浦川原もすべて高田藩に属していたので、ただ単に旧高田市だけの催事ではなく、オール上越として上杉家、松平家、榊原家と連綿と続いた伝統を誇りとして、この歴史遺産を後世に伝えることが高田開府400年祭の最大の意義ではないかと思います。

 時をほぼ同じくして新幹線開業が控えています。また新しい歴史の扉が前へと押し開かれようとしています。観光客の増大を図り、さらに上越を全国に広くアピールするために市として各地域に分散している歴史的資産を一同に集め“上越歴史博物館”を建設することを考慮して欲しいと切に願うものであります。